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#721 スイーツ人生

#721 スイーツ人生_a0113732_23400302.jpg


先日、妹から実家の部屋を整理したいという連絡があり、親孝行に付き合った。敬老の日を意識したのだろうが、なかなか見上げた心掛けである。おそらく兄の教育が良かったのだ。

で、当日その部屋に足を踏み入れてみると、母が捨てられなくて困っている妹の嫁入り前のあれこれやら、彼女の家の押入れに収まりきれない着物やらなにやらで、部屋が膨れ上がっていたのだった。

「なんだい、みんなオマエのじゃん」

おそらく兄の教育が悪かったのだ。

ホームセンターに収納グッズの買い出しに行き、その日の午前中にわざわざ母がバスに乗って駅前で買って来てくれた押し寿司弁当を食べ、重い腰を上げて例の部屋の整理をして、人心地ついたところでお茶の時間になった。

 妹が差し入れに持ってきたのが写真のクッキーだが、知っている人はいるのだろうか? と問いながら、まちがいなく食いしん坊のあなた(不特定多数、でもきっと女性)なら知っていると確信している。

「紹介がないと買えないのよ」

 と妹はやや恥ずかしそうにそう言って、ピンク色の缶の蓋を開けた。

 別になんてことはない普通のクッキーである。まあちょっと小洒落ている雰囲気はある。

 で、食べてみたが、まあ美味い。

「しかしさあ、紹介がないと買えないクッキーって、人をバカにしてるんじゃないのか」

「まあ、お兄ちゃんにはわからないわよね」

 妹の発言にネガティブな響きはない。ただ単に、兄の性格を誰よりもよく知っているから、事実を正確に言っているだけのことなのだ。このあたりは人間関係において、非常に大切なところで、信頼しているからこそ言える言葉というのがある。信頼関係がないのに、ついつい本当のことを言ってしまう癖のあるわたしに比べると、妹はじつに時宜をわきまえた立派な女性だと思う。たぶん兄の教育が良かったのだ。

「で、いくらしたんだ?」

 妹はしばし黙った。悪い予感がした。聞いてはいけない質問だったのか。わたしは時宜をわきまえない男なのだった。たぶん両親の教育が悪かったのだ。

6,800円」

 と妹はかなり恥ずかしそうに小声で答えた。もちろんわたしは、

「えー、オマエ、正気かよ、クッキー1缶に6,800円ってか!」

 と言った。もうこの際、時宜なんてどうでもいいと思ったわけではなく、正直なところ、ほんとうに驚いたのだ。一方で、わたしはほんとうのことを告白した妹を偉いと思った。おそらく兄の教育が良かったのだ。

 6,800円と知って、もうひとつ摘んで食べてみたが、なんとなくさっきより美味しい気がした。

「まあ、たしかに美味いわな」

「でしょ!」

 妹と喜びを共感できたことが嬉しかった。そして何事につけ、子供たちの意見を尊重する偉大な母は妹に、

「じゃあ、今度お茶の先生に持っていくから、買って来てよ」

 と言った。もしかしたらわたしはお金持ちの母とお金持ちの妹に挟まれた不遇な男なのかもしれないと思った。じっさい6,800円で買えるバンブーロッドはないから、不遇というよりは、たんなる浪費家なのかもしれなかったが。おそらく母の教育が悪かったのだ。そんなことをつらつらと思っていたわたしだったが、妹が母に返した言葉を聞いて、さらに驚いた。

「それが1年待ちなの。今注文して、買えるのが来年の今頃なのよ」

 わたしは「今時のバンブーロッドの方が早く出来るぞ」と妹にアドバイスしたかったが、問題はバンブーロッドが美味しくないことだった。妹は猛烈なスイーツ狂なのだ。

「で、もちろん来年の分も注文してあるんだろう?」

 という、聴きようによってはイヤミに聞こえる、わたしの時宜を得た的確な質問に、妹は素直にコクリと頷いた。もちろんわたしの言葉にはネガティブな意味合いなどなく、わたしのことを理解している妹が悪い意味には取るはずもなかった。

妹がわたしの釣りキチレベルのスイーツキチであることは知っていたが、ここまで狂っているとは思わなかった。

 わたしはまたひとつクッキーを摘んで、口に入れた。6,800円で1年待ちだ。さっきよりもさらに美味しくなったような気がした。

 実家を後にして、車で妹を駅まで送った。笑顔で手を振って背を向けた妹を見ながら、わたしはようやく妹のスイーツキチの本質が理解できたような気がしていた。

 妹は美味しいクッキーを食べるためにお金を出しているのではないのだ。彼女はそこに至る過程すべての時間を愉しんでいるのだった。1年待っている間のワクワク感、食べる直前のドキドキ感、そしてとうとう口にしたときの恍惚感。それらすべてを包括した愉しみ。おそらく味そのものは最も重要でありながらも、愉しみの一部でしかないだろう。釣れなくても釣りが愉しいように。 

知れば知るほど、ディープになればなるほど、同じ感覚を持つ友人がいればいるほど愉しくなる、というのはあらゆる趣味に共通した感覚だ。

6,800円のクッキーを1年待って買うことに、あるいは仲間から聞いた、とても美味しいチョコレートの店に並んでいるそのこと自体、その瞬間、その時間、を妹は愉しんでいるのだ。

わたしにとってのフライフィッシングの意味を理解してくれる人が、わたしという人間そのものを理解することが出来るように、妹のスイーツのことが理解出来たわたしは、妹に対する理解を深めることが出来たような気がした。それはイコール、妹をさらに好きになったと言い換えても良いように思えた。

 妹の今年の誕生日には、たまには兄らしく、とっておきのスイーツをプレゼントしてサプライズさせてやろうか(いつ最後にプレゼントしたか、まるで記憶にない。まちがいなく30年以上前だ)。で、どこでなにを買ったら良いか知っているあなた(不特定多数、でもきっと女性)、内緒で教えてください! でも1年待つヤツはなしです。来年の誕生日になっちゃうから!


by bbbesdur | 2019-09-26 23:50 | around tokyo

#718 音楽というコスモポリタン_a0113732_22533040.jpeg


いやはや、ほんとうに驚いた。明日の未明に東北に向かって出発して、明日は尺ヤマメが釣れることになっているから、体力温存しようかと思ったけども、買ったチケットをムダにするのも、もったいないからサントリーホールまで行ってきた。反田恭平のピアノ、神尾真由子のヴァイオリンでチャイコフスキーの2つの協奏曲を聴いた。ふたりには日本人の演奏を聴いている時に感じる独特の堅苦しい行儀の良さがまるでなかった。日本という国籍の枠組みから、何歩も足を踏み出している。こんな若者が世界をさらにコスモポリタン的にしていくんだと思う。反田恭平は和製ギレリスと呼びたいくらい(もしかするとすでに誰かがそう呼んでいるかもしれないほど音楽の方向が似ていると思う)、音が透徹していて、力強く、日本人的な抒情と訣別している。ギレリスとアルゲリッチを足して2で割ると反田恭平になると言ったら、さすがに褒めすぎか! 神尾真由子はもう新人とは呼べない経験を積んできているけれども、聴き飽きたこの協奏曲の随所にハッとするフレージングでぼくたち聴衆を驚かせてくれた。特に第1楽章の入りは、独特の静けさに満ちていて、聴いてる皆が一瞬、息を呑んだことがわかった。ふたりとも恐れをしらず、音楽がとても大胆だ。日本の音楽家がようやく規律正しい日本の音楽教室を飛び出した感が強い。あと何年、この若者たちを聴けるのかわからないけど、老い先に大いなる愉しみが残されていると知って嬉しい。とっても明るい気持ちで、新宿のデパ地下で惣菜買って、ロマンスカーを自分に奢って、実家に向かった。明日の朝は、暗いうちはラ・フォル・ジュルネで感銘を受けたヴォックス・クラマンティスの歌うデュルフレを聴きながら運転して、薄らんできたらロスフェルダーのギターを聴き、日が昇ったらブルックナーのモテットを流して、静かに北上しよう。
by bbbesdur | 2019-05-12 23:02 | around tokyo

#717 東京都心のブラックホール_a0113732_08282370.jpg


GWの都心って、ほんとうに空いていて、ほぼブラックホール状態で大好きだ。電車もガラガラだし、人が集まっているのはイベント会場だけ。ただ今年のラ・フォル・ジュルネは人が少なかったと感じた。今回はヴォックス・クラマンティスの声楽アンサンブルとロスフェルダーのギターの2プログラムだけを聴いた。2月ごろに演目の発表があったが、聴きたいと思うプログラムが少なかった。わたし同様に感じたファンが多かったんだろうが、クラマンティスとロスフェルダーを聴いて、きっと他も良かったんだろうな、と少々後悔ぎみだ。地味なプログラムのときこそ勉強のチャンスだったのに。来年は昔のように3日間、朝から晩まで音楽漬けになっていよう。

しかしそれにしても東京国際フォーラムは音楽家にとっては試練の場だ。もともと音楽用の会場でないから仕方がないとはいえ、すべてのホールが残響ゼロどころか、会場によっては床に分厚い絨毯が敷かれていて逆に音を吸い込んでいる。クラマンティスの12人のメンバーはブラックホールに向かって歌っていると感じたはずだ。一切のごまかしがきかず、声を出している間のほんのわずかなピッチの揺れが命取りになる。ことにフレーズを歌い終わって油断する瞬間が鬼門のようで、0.1秒も気が抜けない。聴いているこちらも裁判所の傍聴席に座っているような気がしてきて、いたたまれなくなる。ただそれだけに音楽と直に対峙している感が極めて強い。演奏家、ことに声楽家にとっては生き地獄のような環境で、歌っている本人には自分の周囲の数人の声しか聴こえていないはずだ。あの状況でハモることができるだけでも驚きなのに、彼らのアンサンブルの技巧といったら! ことに今回初めて聴いたエストニアのアルヴォ・ペルトという現代作曲家の『7つのマニフィカト・アンティフォナ』の凝りに凝った和音には震撼させられた。ロスフェルダーのギターは初めて聴いたけれども、ウマすぎてほとんどわたしはアホのように笑って聴いていた。世の中、超絶名人っているものだ。




by bbbesdur | 2019-05-06 08:57 | around tokyo

#710 ハルサメのようなハルサイ_a0113732_20461211.jpeg

聴きに行った音楽会が素晴らしいと、帰宅の電車の中でもひっそりと幸福がつづく。車内の喧騒もあまり気にならない。一方で、イマイチ、もしくはダメダメだった場合、イヤフォンをして、アップル・ミュージックを大音量で聴いて飢餓感を癒す。お酒の世界で言えば、場所を変えて飲み直すようなものだ。今日はどうだったかというと、前半が良くて、後半が良くなかったから、自分の気持ちもどっちつかずで困る。今もどこかしら中途半端な気持ちでこれを書いている。アラベラ・シュタインバッハは素晴らしかった。彼女の弾くストラディヴァリウスは日本音楽財団の所有楽器で、彼女はあくまでも借用者(無償貸与!)であるらしいが、いちどでもあんな楽器を使ってしまったら、他の楽器には行けなくなると思う。たとえば昨年暮れに来日してバッハ無伴奏を弾いたヒラリー・ハーンのヴァイオリンと音だけを比較すると、まるで美しさがちがう。ヒラリー・ハーンのヴァイオリンはぼくの耳にはかなり無骨に響いた。音自体を美しいとは思わなかった。ただし演奏は素晴らしかった。音に色彩感はなかったけれども、バッハの透徹した音楽の美しさとヒラリーの正確無比な演奏にはそれがふさわしいと思った。演奏が終わり、会場から出ても、その夜の新宿は不思議なほど静かだった。今日はアラベラはとても良かったけれども、後半の『春の祭典』(通称ハルサイ)がモタついていた。ハルサメでぬかるんだ地面で下手なダンサーが踊っているような演奏だった。モタついた「ハルサイ」って、炭酸が抜けてまるでキックが効いてないハイボールのようなものだ。仕方ないから、家に帰ってまともなハイボールを作って飲んだら、少し幸福になった。


by bbbesdur | 2019-03-10 23:52 | around tokyo

#709 変身 (『ライフ・イズ・フライフィッシング シーズン1』宣伝付)_a0113732_10345691.jpeg

事情あって、年末から一人暮らしをしている。
2週間スーパーの惣菜だけで暮らしたある朝、気がつくと虫になっていた! というようなカフカ的なことは起こらなかったけれども、少なくともキリギリスになったかもしれないと思うほど野菜を欲している自分の身体に気づいた。じっさいなんだか経験のない不思議な具合の悪さで、どうにも説明がつかなかった。たぶん本能的に問題を察知したんじゃないかと思う。とりあえずお昼に駅前の王将に行って、肉野菜炒めと餃子のセットを食べた。味は相変わらずの王将だけど、ともかく野菜がとっても美味しくて、身体に沁み入っている実感があった。午後にたまたま鱒やの橘さんから電話があって、夜はレバニラ炒めにするよう指示を受け、方法を教わり、その通りに作った。さすが宿のお客さんに美味しい料理を供する人のアドバイスだけあって、簡単で美味しくて、なんでこれまで料理しなかったんだろう、と反省した。その日から、回鍋肉、八宝菜とチャレンジしつづけ、昨日の昼は前日に残った八宝菜とペヤングのハイブリッドにした。で、夜はちょっとサボってクックドゥーのエビチリにした。人は慣れるとだんだんラクをするようになるという普遍的定理をうまく利用している味の素という会社は必要悪だと思った。それはともかく問題は、エビは死ぬほど好きだけど、ネギは死ぬほど嫌い、というぼくの絶対矛盾的自己同一問題をどう処理するかだったが、どこかの中華料理店でエビチリにレタスが入っていたことを思い出し、思い切ってレタスを丸ごと一個入れた。そんなに不味くはないが、美味しくもない、でも簡単。やっぱり味の素の味で、ひとつ先の中継点でタスキの受け渡しを待っているスーパーの惣菜の姿が見えている気がする。
しかし聞き慣れているから気づかなかったが、よくよく考えてみれば味の素ってすごい名前の会社だ。味の、素だ、と一方的に宣言されると、そっか、そんなもんかな、という気になってしまうではないか。GEやGMに匹敵すると思う。
それはとにかく、たぶん1週間分くらいは繊維とビタミンを体内確保できたはずだから、今夜は久しぶりにスーパーで大好物のイカゲソフライを買って、ポテチとベビースターラーメンで堕落する予定。
あっ、ついでに宣伝させてください。『ライフ・イズ・フライフィッシング シーズン1』完成しました。ふらい人書房の刊行本は幼児から老人までが愉しめる内容ですが、ときどきR18的表現が含まれるため、今後コンビニでは販売できなくなります。ふらい人書房提携フライショップ、全国各書店、ふらい人書房ONLINEにて予約中で、2月15日全国一斉発売です。



by bbbesdur | 2019-01-24 18:00 | around tokyo

#708 白バラの誤解


 ついにこの日がやってきた。ほんとうに待ちに待ったこの日が、ほんとうにやってきたんだ。スーツを捨てる日。この日が来るのをわたしはどれほど待ちわびていただろう。サラリーマンの象徴、セールスマンの象徴である、スーツ、ワイシャツ、ネクタイ御三家とおさらばする日を、わたしは一日千秋の思いでカウントダウンしつづけ、とうとう今日のこの日がやってきた。囚人がストライプの囚人服を着るように、わたしはスーツを着て長いサラリーマン人生を、ほんとうに長々しいサラリーマン人生を送った。それが終わる。ほんとうに終わる。年末の大掃除のついでにすべてを捨ててしまおうと思ったとき、わたしはアウシュビッツに捕らえられたユダヤ人が、終戦を迎えたときにドイツ兵を見ただろう思いでスーツとワイシャツとネクタイを見た、ほとんど敵意を持った陰険な目で。その瞬間だった。わたしは今まで敵だと思っていた彼らを誤解していたことに気づいたのだ。ほとんど唐突に
理解したのだ、彼らが敵ではなかったことを。敵どころかじつは戦友だったのだ。地下に潜行して、この日が必ず来ることを信じ、何食わぬ顔をして社会的な活動していたレジスタンスたちを、わたしは完全に見誤っていた。ゴメン、ほんとうにゴメン。わたしはあまりに浅はかだった。目先の辛さが耐えられないからと言って悪態をつき、当たり散らす相手がいないからと言って、キミたちのせいにしてきたわたしが愚かだった。明日12月30日は今年最後のゴミの収集日だ。これはリサイクルには回せない。きっともう疲れ果てていると思うんだ。このまま安らかに眠らせてあげたい。死に装束ではないけど、最後にこれまでの元気な姿で写真に撮ろうね。そう思ってセットアップをして、カメラのファインダーを覗いた時、信じられないことに、ほんとうに信じられないことに、退職金で買った新しいカメラのファインダーが曇った。我ながら信じられなかった、わたしは泪を流しているらしかった。ほんとうに、これまでこんな愚かなわたしを守ってくれてありがとう。ほんとうにありがとう。心から感謝している。さようなら。


by bbbesdur | 2018-12-29 23:59 | around tokyo

#705 コスモポリタンの夜明け_a0113732_23392812.jpg

 アラベラ・シュタインバッハのお母さんは日本人だそうで、だからミドルネームが「美歩」だ。かつてジェンダー問題のなかった古き良き時代に、吉田秀和はバイオリニストは美しい女流でなければならない、と言い放ったが、こんなに立ち姿が美しい人をぼくは知らない。バイオリニストに姿勢の悪い人はいないが、アラベラはまるでシャクヤクがバイオリンを弾いているようだ。ステージに現れた瞬間から、ぼくは彼女の虜になった。奏でられる音は楽器の良さもあって、天上的な滑らかさだった。アラベラのフレージングはちょっと独特だと思う。女流でいえば今はヒラリー・ハーンの巧さが傑出していて、協奏曲弾きとしては群を抜いて巧いが、アラベラは旋律をかなり長丁場で捉えているように聴こえた。フレージングの息がとても長くて、音楽でありながら聴衆に語りかけているような具合だ。だからかどうかドラマチックな盛り上げ方は得意ではない、というかあえて盛り上げないようにしているようにさえ聴こえる。メンデルスゾーンでそれをやる奥ゆかしさが良い。ともかくなにもかもが良い。ぼくの座席は彼女を右うしろから見る位置で、演奏中の表情を見ることはできなかったけれども、顔の代わりに、ハダけた肩の筋肉の動きを見ていた。しかしそれにしてもメンデルスゾーンでなければ観客を動員できない知名度でもないだろうに、やはりアンコールで弾いたバッハがおそろしく良かった。コンチェルト弾きというよりは、ソナタ弾きなんだと思う。メンデルスゾーンのあとは、シューマンで、驚いたことには指揮はクルト・マズアの息子で、顔立ちから、もしやと思ったけど、これまたお母さんが日本人だった。クルト・マズアが日本人の女性と結婚していたなんて知らなかった! つまりメンデルスゾーンのコンチェルトは日系ドイツ人ハーフの共演だったのだ。というか、地球のコスモポリタン化は確実に進んでいて、混血とかハーフとかいう言葉が死語になりかけている。池袋で飲んで帰った。

by bbbesdur | 2018-03-11 00:09 | around tokyo


#703 お尻に優しい燻製料理は存在するか?_a0113732_11081515.jpg

 新年明けましておめでとうございます。というわけで、正月もすでに3日、今年もスローに始まるブログなのでした。
痔の話」は終わってはいません! すみません、じっさい怠けているわけですが、ふらい人書房からの第2弾『釣り人の理由』の編集作業が終わり次第再開しますので、あらためて今年もよろしくお願いいたします。。
 ところで昨年の暮に山と渓谷社から、友人の稲葉豊さん編集の燻製の本男前燻製が出て、買ってみました。かなり昔から、たぶん30年近く前から、ずーっと燻製やってみたいなあ―、っておもっていたんです。ぼくは長い間フライフィッシングをつづけてきているのでアウトドア仲間が多く、アウトドア・クッキング趣味が高じて店を出してしまった友人もいます。この本の著者の岡野永祐氏もおそらくはそんな経緯で店を出し、本を出すまでに至った人物なのでしょう。
 この本、めちゃくちゃわかりやすい。自分で作ることの出来る料理は数種類のパスタだけという調理ドシロートのぼくにも簡単に燻製が出来ました。というか、燻製という調理方法自体がシンプルだったんだ、ということがわかりました。著者はアウトドア料理を「男前料理」と呼んでいるようですが、つまりはアウトドアで簡単に出来る料理を追求しているようです。著者オススメのSNOWPEAKのコンパクト・スモーカー、桜とヒッコリーのスモークチップをamazonで買い、天井裏で10年以上眠っているツーバーナーを出して来ようかと思いつつ面倒になって止め、カセットコンロでやってみました。まずは初級コースの加工品、本の最初のページに出て来る酒のつまみを燻製して見ましたが、調理という以前の、ただ素材をスモーカーに置いて、スモークチップを燃やすだけでした。本にはないイカサキとイカクンもついでに燻しましたが、味はつきましたが固くなってしまい失敗で、よくよく考えてみればイカクンって、すでにしてイカの燻製だった! アーモンドとかクルミとかイチジクはそのままで食べるより、はるかに旨い! 気を良くして年末にソーセージを買ってきて、桜のチップで燻して、実家での正月料理の足しにしましたが、大好評でした(生まれて初めての正月料理参戦!)。今年は今月末からの沖縄長期出張にスモーカーを持参して、宿のベランダでステーキの燻製にチャレンジしたり、お尻に優しい燻製料理を目指して修行します。

by bbbesdur | 2018-01-03 11:07 | around tokyo

#701 オクトーバー・ステップス_a0113732_23211736.jpg

 吉祥寺のライブハウスにP.W.Rというバンドのライブを聴きに行った。バンドの編成を聞くと、きっと驚くだろう。トリオのリーダーの小林純さんが尺八を吹き、一人はアコースティックギターを弾き、もう一人はエレキギターを弾く。この組み合わせから、どんな音楽が鳴っているのか想像出来る人がいるだろうか。和洋折衷という言葉はこの不思議な組み合わせのトリオには相応しくない。和洋楽器の組み合わせにはなにひとつ違和感がないのだ。和でもない、洋でもないアンサンブルが観客を音楽の坩堝に巻き込んでいく。小林さんの尺八の音色が曲によって明るくもなり、暗くもなるのが、なによりも不思議だ。尺八から出てくる音には、西洋でいえば同じくシンプルな管楽器のフルートでは表現出来ない、音色のあわいとでもいうべき微妙な色彩が滲んでいてほんとうに素晴らしかった。ギターシンセサイザーを駆使した第2部の導入とラスト近くに披露された新曲『この道の先の空』(だったとおもうが曲名には自信がない)はパット・メセニーのバンドに尺八がソロでフューチャーされたような錯覚さえ覚える強烈なインパクトだった。バンドとしての初アルバム『Pure Well Right II』もリリースされたということだ。いやはや尺八がバンドの中心だなんて、武満徹もビックリのオクトーバー・ステップスを聴いた感動の雨の日曜日だった。

by bbbesdur | 2017-10-15 23:37 | around tokyo

#675 痔の話 第1回だけど、この先相当長くなるとおもう_a0113732_20393272.jpg

 痔の話だ。長くなる予感がする。痔の治療の話じゃなくて、このブログの記事のことだ。身を切った痛みが自動的に文章に凄みを増し、楽に書き進むことができると期待しつつ書き始めることにする。
 お尻の中心(つまりK門のことだが、ブログ再開にあたって品位を大切にしようと決めたので、極力婉曲な表現で行くのです)に異変を感じたのは昨年のちょうど今頃だった。40歳を過ぎた頃から3年に1度くらい、寒い日がつづいたある冬の朝に、お尻の中心が痛むことがあった。その度に薬局へ行き、坐薬ポラギノールを買って、お尻の中心に挿入した。お尻の中心に遠慮して腰が引けた入れ方をすると出てきてしまうから、痛いのは多少我慢してしっかり奥まで入れ込むことが大切だ。まあ入れ方には個人技があるとして、痔そのものについて言えば、ともかく薬を入れれば、1週間程度で消失するのが常だった。だから一年前にお尻の中心が痛み始めた時も、迷わずにポラギノールを買ってきて入れた。ところがいつもと違って、まるで痛みが引かなかったのである。いや、当時を思い出して正確にいうなら、そもそもがいつもと同じではなかった。お尻の中心は痛むけれども、いつもと違って、なぜかイボ状の膨らみは存在しなかったのだ。だからおかしいな、と思いつつも、お尻の中心は可能な限り他人に見られたくないから、病院に行かずにグズグスとしていた。そうこうしているうちに年度末となり、会社の打ち上げがあって、少しだけ飲み過ぎた。翌朝、いつもにも増して痛むお尻の中心に覚悟を決めて病院へ行くことにした(この時はまったく気づかなかったけれども、明らかにお酒はお尻に影響するのです)。インターネットで会社の近くの病院で評判の良いところを探して、会社帰りに診察してもらった。看護師は全員女性だった。この世には女性にお尻を見せることが大好きな男がいて、その時だけぼくは自分がそういった性向を持った男だと思い込むように努力したが、現実には腰が引けていて、看護師から逆に「もう少しお尻を突き出すようにしてください」と要求されてしまった。医師は男性で、だから良いってものでもないが、羞恥心に壁を向いたぼくが頬を染めているとは知らず、医師はK門周囲膿腫と診断した。抗生剤で治る可能性があるから、まずは薬でやってみましょう、という。ぼくは薬で治らない場合にどうなるのかという質問をするのが怖くて、じっさい口にしなかった。そして薬は効いた。少なくとも痛みは気にならなくなったのだ。こうしてぼくの痔はあっさり治癒したかと思われた。しかし、もちろん薬は単に痛みを抑えていただけだったのだ。以下次回につづきます。

by bbbesdur | 2017-02-20 20:59 | around tokyo