2009年 12月 06日
#246 魅惑のレッドアイ
SIGMAのDP1を買ったから、報告しようとおもって久しぶりにKaruageを覗いてみたら、ハルムートさんはNIKONを買っていた。ありゃあー、とおもってコメントを書き始めたらあんまり長くなり過ぎちゃったから、自分の記事として載せることにします。
<あのー、じつは報告があって、久しぶりに覗いたんだけど、なんと、ニコン! を導入されたのですか、そうですかあ、そうですかあ、でも、びっくりしました。
哀しいかな、以前ハルムートさんご自身がどこかに書かれたように、この世界は恋愛と酷似してます。熱愛と裏切り。ハルムートさんにとってのニコンは禁断の果実だったとおもう。「ホンのちょっとしたサブだから、もちろん本気じゃないわ」という気持ちが、いつの間にか「もう、あなたじゃなくちゃだめ」に変わって、でも、また素敵な人が現れると「あらっ、あんなお方がここにも」なんて移ろってゆく。そうやって20年以上ハシタナイ痴情を繰り返してきた男から見るハルムートさんの浮気は、この世界で遊んでいる以上は当然の帰結(というか始まりなんだけど)だと、冷静に受け止めています。でも、シグマからニコンに行くと、はじめ「あまりにちゃんと撮れる」ことに感心して、でもそのうち「出てくる写真があたりまえすぎる」ような気がして、またぞろ「なにか他に・・・・・・」なんて、なること請け合いです。
ニコンやキャノンの安定感/安心感は写真を仕事にしているプロフェッショナルたちのためのものだとおもう。そしてぼくらアマチュアが惹かれるのは、まさにニコンやキャノンがプロ御用達だからなんだけど、でもじつはそれってじつはちょっとちがうのかもしれない。アマチュアにはアマチュアにしか撮れない写真があるもの。絵はがき写真を撮りたいとおもっている人たちはともかくとして、ちょっとばかり想像力のある人は写真をやってゆくうちに「他人とおなじじゃイヤ!」っておもいはじめる。そんなときに雑誌やWEBに溢れ返っているニコンやキャノンの画って邪魔になるんだ(ニコンとキャノンのちがいはひとまずおくとして)。どこかで見たことがある気がしちゃう。
ぼく自身はCONTAXをながいあいだ使いつづけたけど、その間にニコンのF5とF6に2回浮気した。でも、あんまりながくはつづかないで2度ともすぐにCONTAX&ZEISSにもどった。なにかがちがう、っておもった。デジタルになってからもニコンの画は好みじゃない気がして、オリンパスにきめて、それなのに1年前にD700を買ってしまったのは、やはりメディアの力だとおもう。高感度に弱いオリンパスを使っている身からすれば、D700の画質はほとんど異常だったから。でも、いまでも、やっぱりちがう、という気がしている。ZEISSが使えるからなんとか粘っていられるけど、空や雲の透明感と立体感はE420&キットレンズが値段も重さも3倍以上のD700&カール・ツァイスDistagon25mmコンビを負かしちゃう。等倍で見るとオリンパスのアラが見えるけれども、じつはそのアラこそが等倍で見ないときの魅力をつくっているようにおもえてならない。じゃあ、どうすればいいの! って、だから、また、ちょっと、浮気をするしかないわけです!
ところで、報告というのは、
「ハルムートさん、DP-1買ったよ!」>
でした。DP1はいままで手にしてきたデジタルカメラの中でもひときわ異彩を放っている。20年ちかく前、沖縄に住んでいたころに友人からCONTAX T-2を借りて現像したときの驚き(そのままキタムラに引き返して買いに行ったときの興奮ったら!)には及ばないにしても(あれは、ぼくがウブだったからこその経験)、かなり驚いている。それにしても、なんで、この目玉、こんなに赤いの? こんな色のコーティング見たことない。
ぼくは毎日のスナップ写真にはGRD3を使っていて、いまのところGRD3以上に機動性のあるカメラは見当たらない。写真は撮らないとなにも始まらないし、撮りやすければたくさんの写真を撮ることができる。スナップに一球入魂はないから、抜群の携帯性と操作性を持ったGRD3による撮りまくりが、ぼくの唯一手段なんだけど、DP1の描写力には唸っちゃったな。
でも撮りまくりを許さないカメラ、ってぜったいにスナップカメラにはなりえない。街行く人の表情なんかを捕らえるのは絶望的。人の表情って1秒勝負だというのに、1枚撮ってから、5秒近くもおなじ表情して待っていてくれる人なんていない(矢沢永吉が唯一の例外かも)。つまりDP1はそもそもの成立ちからして、偶然性を拒絶しているのである。でも、やってみたいな、あの画質で、新宿や六本木や那覇の街の表情が撮れたらすばらしいだろうな! って、アマチュア・フォトグラファーだからこその、愉しい夢だよね。
with GRD3 2009/12/1撮影