2009年 10月 26日
#216 牡蠣の季節と女の恨み
これまでに牡蠣を食べて二度、食中毒になった。いちどは26年前、もういちどは7年前。いちどめは引っ越しの当日にたまたま広島の知り合いから生牡蠣が送られてきて、冷蔵庫に入れることもできず、なんとなく日陰においていた。そして夜になって引っ越し祝いだとばかりに食べたら、食べた全員があたり、腸捻転まで引き起こした父は飯田橋駅前の歩道で倒れて救急車で運ばれ、しかし家族全員が寝こんでいて、だれ一人として見舞いにも行けないのだった。2度目は沖縄で(そもそも沖縄で牡蠣を食べようとする魂胆がいけない)、宴会の時刻に全員が2時間近く遅れ、その間牡蠣はあの沖縄の生暖かい空気のなかで、宴席のテーブルの上に乗ったままだった。このときは食べた半数の人があたり、ぼくもそのひとりで、翌日東京に帰る飛行機のなかで急に具合がおかしくなった。たまたま北海道旅行を予定していた同僚は、蟹やつぶ貝やいくらをたらふく食べるんだ、と勢い込んでいたが、あえなく札幌のホテルでダウンし、2泊3日の旅行中に食べたのは最後の日に友人宅で食べたお粥だけだったそうだ。
なによりも恐ろしいことには、あたったその2回の牡蠣がもっともおいしかったことだ。腐り始めた瞬間がいちばんおいしいのだ。
ちなみにぼくがあたったのは牡蠣毒ではなくて、小型球形ウイルスが原因だそうだ。牡蠣そのものの毒ではなく、海水がこのウイルスに汚染されているからあたるらしく、これは山形の三瀬にあって、夏場に長さ20センチ大の特大岩牡蠣を出してくれる坂本屋旅館の主人から聞いた話。
ぼくは牡蠣が好きだから、機会があればきっと食べる。そして、あんまりおいしくないことを祈っている自分に気づいてがっかりする。
今回の広島出張では同僚を見送った後、夜にひとりでこっそり牡蠣専門店に行って、生牡蠣と焼牡蠣とカキフライと牡蠣メシを食べて、じつは、かなりおいしかった。初めて飲んだ広島の地酒がまた良かった。あー、ホント、疲れたよ。仕事は休みなしなんだから、このくらいの贅沢は許してくれよな、とかなんとか、店の窓ガラスを相手に盃を酌み交わして、千鳥足でホテルにもどった。
翌日のお昼過ぎ、ぼくは猛烈な腹痛に襲われ、たまたま近くにあった広島市民病院のトイレに駆け込んだ。でも嘔吐感はなく、熱もなかった。この場合、牡蠣ではなく、豚である。お昼に食べたお好み焼きにあたったのだ。ぼくの場合、火が完全に通っていない豚肉を食べると、ほとんど30分以内にトイレに駆け込むことになる。でもすぐに症状は治まる。
じつはお好み焼き屋は#213で書いた1軒めの店だった。彼女たちに内緒で、ひとりこっそり牡蠣道楽を決め込んだぼくへの怨念にちがいなかった。女性の食い物に関する恨みは恐ろしいものだ、とぼくはあらためて戦慄した。
病院を出たぼくはゆっくりと歩き、近くにあった体育館に入って観覧席に坐った。ソフトテニス大会をやっていて、選手たちはきびきびと手足をうごかし、ボールを追っていた。昔は軟式テニスって呼んでいたなあ、などとおもいながら、自分のお腹の様子を探っていた。NTTドコモのペアがストレートで勝ったのを見届けてぼくは外に出た。銀杏が黄色く色づき、プラタナスの葉は散り始めていた。原爆ドームまで歩いた。橋のたもとには「FREE HUG」と書いたプラカードを抱えた人たちがいた。地球平和のためにみんなで抱き合おう、ということなのだろうか。橋の下を観光客をたくさん乗せたボートが下っていった。秋の光が川面を輝かせてた。ぼくはお腹に片手をやって、ぼんやりと薄い筋雲に滲んだ太陽を見上げた。冬はすぐそこまでやってきているようだ。
with D700 Nikkor 35mm/2.0 D 2009/10/23撮影、GRD3 2009/10/19撮影 広島