2009年 05月 28日
#121 海が家にやってくる
君は仕事に疲れて浜辺に走った。そして海を眺めて、とてもおおきな深呼吸をした。「わたしは深呼吸をしているんだ」というふうに意識して。そうすると、こころのなかに溜まった黒い異物が、すくなくとも灰色の霞くらいにはなる。海にそんな効用があることを、君はだいぶ昔に写真集で知った。
Joel Meyerowitzの「BAY/SKY」。すべての写真が8x10の大型VIEWカメラで撮られている。どのページにも海岸と空しか写っていない。きわめて微妙なトーンの色彩がページを満たしつづけ、どこまでいっても、穏やかな海と空しかない。そして眺め終わって、写真集を閉じたあと、君は自分のこころに静けさがやってきていることに気づいた。それからというもの、こころに靄がかかったり、棘が刺さったりするたびに海へ行く。浜辺で生まれ育ったのに、海を知ったのは写真集だったわけだ、と君は苦笑した。ぼくは飲み屋でのそんな君の話を、ふーん、といって聴いていた。
ぼくは一昨日、浜辺に走った。そして「ぼくはいま深呼吸をしているんだ」というふうにおもいながら、深呼吸をした。浜辺の花がじっとそんなぼくを見ていた。見つめ返すと花は花でなくなり、人のようにおもえてきた。
君が正しかったことを認める。海につきまといがちな抒情的な気分を否定して、どちらかというとバカにしたような顔をしたことを謝る。海を見ている自分の背中をナルシスティックな想像で見ているんじゃないのか、なんていったことを謝る。
ほんとうだ、海には汚れたこころを浄化する作用があった。
今回のようにたまたま出張先の近くに海があるときはいい、沖縄にいるときもだいじょうぶ。でも東京にいるとき、海は遠い。晴海埠頭なら銀座からすぐの距離なのに、気分的に遠い。つまりこころが海からかけ離れた距離にあるのだ。だからこそぼくにも海が必要だ。ぼくは注文した「BAY/SKY」の到着を待っている。海が家にやってくるのだ。
with GRDII 2009/5/26撮影 西条