2009年 03月 26日
沈丁花の夜
ずいぶん昔、横須賀基地内で知りあった女性のアパートに行ったことがあった。桜がほころび始めた、いま時分の肌寒い夜のことだ。
彼女は背が高く、いつも清楚な身なりをしていた。彼女の事務所の机の周囲にはいつも石鹸の匂いが漂っていて、明るい色のワンピースを着ていることがおおかった。だから彼女のアパートに足を踏み入れたときは驚いた。こんなことってあるんだなって、おもった。それから半年後に彼女は第7艦隊司令部に配属されたばかりの中尉と結婚し、やがてサンディエゴに去って行ってしまった。
あれからぼくも歳を取った。彼女も歳を取った、はずだ。先日、ぼくはかつての日々を懐かしもうと、記憶をたどってアパートに辿り着いた。まさかアパートに彼女の姿を重ねるような残酷なことはしない。けれども、ぼくには他に彼女のことをおもいだす術がない。あるとすればあの夜、アパートの周囲に濃密に漂っていた沈丁花の匂いだ。ぼくはしばらく周囲を歩いて沈丁花を探したけれども、花なんてどこにもなかった。
with GRDII 2009/3/24撮影 横須賀市内