2021年 10月 12日
#746 ショパンコンクール ステージ2 その4
実家で久しぶりに紙の新聞を見てたら、弟子屈の宿のMや
で知り合った知人の名前が出てきてビックリ。さすが!
Xuehong Chen
・バルカローレ、やや左手が添え物になっている時間帯が長いが、でも全体的には音楽が流れている。とても優しくて、母親からの視線が感じられる子守歌だ。
・良い音が鳴っている。
・変ロのソナタって、2次で弾いても良かったんだ、ビックリ! もしかして勝負を掛けたのか。でも、やや戦局(選曲)を見誤った気がする。ここは無難にポロネーズあたりで勝負して3次で勝負すべきだったのではないか。やや音楽が1本調子で陰影に欠けるし、演奏が荒い。
・英雄ポロネーズ、ここまで聞いた中で一番オーソドックスだった。少ないミスタッチが目立ったところで発生しているのが惜しい。しかしみんなこの曲好きだよね。やっぱりみんなこれ弾きたくてこのコンクールに出てるんだろうなあ。まさかリヒャルト・シュトラウスのように自分を英雄に見立てているわけでもないだろうけど、弾いている演奏者にどこかしらナルシスティックな気分があるように思える。でも、これってやっぱり聞き慣れているだけに個性を出すの難しいんだよね。
・3次に進むと思う。
Hyounglok Choi
・とても女性っぽい演奏に聞こえる。
・嬰への前奏曲が幻想的だ。かなりイイ。いい意味での音楽の揺れを感じる。
・たぶん審査員受けしないだろうけど、ショパンを感じさせない叙情性が好きだ。水が澱んだり、流れたりしながら、下流に流れているような演奏だ。
・スケルツォもイイ。出だしサイコー!
・いやいや、この人、驚嘆すべき繊細な音楽性だ!
・音楽がこの人のフィルターを漉して、外に流れ出している。
・いやあー、この繊細さ、そしてほとんど「勝手な」と呼ぶべき叙情的解釈、もう大好きだ。こうじゃなくっちゃ! ショパンを聴いている気がしない。いやあ、もうこれ以上のドシロート批評は失礼だ。いいよー、とてもいい!
・技術的にはKyohei Sorita、Alexander Gadjievと並んで三強だと思う(ここまで聞いた中では)。
・Alexander Gadjievのステージのように、次の曲が待ち遠しくなる。
・音色の多彩さも抜きんでている。全体的に音楽が濡れているように聞こえる。
・英雄ポロネーズをアンコールで聴いて、なんだか、コンサートをひとつまるまる聞いた気分になった。この人、スゴい! けど、保守系審査員には受け悪いだろうなあ。
・しかし、ファイナルのハードルがどんどん上がって行く。というか、いい加減聴くの疲れたから、3次選考いらない。この時点で10人選ぶのは、それほど難しいことじゃないと思う。
Federico gad Crema
・幻想ポロネーズ、いいねえ。何も悪いところがないし、技術的にものすごく安定している。ミスの少なさも抜きんでている。
・音楽が乾いていて、無用なムーディーさがない。
・しかし、好きかと聞かれると、ちょっと考え込んじゃう。余分な叙情を振り払って、ただ淡々と演奏しているように聞こえる。この人ならではという点が見えないのは、つまり正統はピアニズム路線だからで、シロートのわたしには巧さはわかるけども、音楽の良さがわからない。
・ほとんど演奏は完璧だ。ドシロートが語るべきことはない。なんだかフツーにコンサートに来て、素晴らしい音楽を聞いたという感じだ。
・音量のコントロールが巧みで、曲が自在に膨れたり、縮んだりする。
・この人、この技術でほんとに新人なの?
・この人も確実にファイナルに進むだろう。
いやあ、なんだか、ここにきてレベルが一段上がってきた気がする。
Alberto Ferro
・初めて演奏者の指に結婚指輪見た! 会場のどこかにいるだろう奥さんの方が緊張しているかも。本人はいたって、フツーに音楽を前に進める。
・自分を緊張から解くために、こういう軽めの曲を先頭に持ってくるというのはアリなんだろうな。
・たまたまひとつ前の演奏者もイタリア人だったが、そう思うからかどうか、音楽の方向性が似ている。ピアノを弾いているというよりも、歌っているように思えてならない。
・しかしそれにしてもこの人もうまいなあ。それも猛烈にうまい。もう歌いまくってる。
・東洋系のピアニスト(日本と韓国)は、弱音の旋律をここぞとばかりに叙情で捉えようとすることが多く、そこにはどうしても(奇妙な)精神性がつきまといがちだ。音楽が止まってもイイから、そこに何かの意味を持たせようとする傾向が強い。でもイタリア人ピアニストはひとり前のFederico gad Cremaもそうだったけども、精神性なんて言う方向性に行かず、なんとか歌わせようとしている。つくづく民族によって、音楽の捉え方が違うなあと思う。我々東洋人にとっては西洋音楽の歌心を抽出することはきっと難しいのだ。だから音楽に意味を持たせたがる。意味がないと音楽できないのだ。無音に音楽がある、なんて禅みたいなことも言いたくなる。だからドイツ系の音楽は理解しやすいのだ。特にベートヴェンとかは。
でも、歌心となると、一気に難しくなる。歌って、おそらく民族の文化そのものだからだ。イタリアの歌がポーランドの歌と、どの程度違うかわからないが、こういった演奏を聴いて、ショパン的だと思うのだろうか。わたしの感覚では、やっぱり、ちょっと違うという気がする。簡単に言うと、やっぱりちょっと軽いと思う。そう思う時、東洋人が弾くショパンって、結局ポーランド人にはどうやっても正統派ショパンには聞こえていないんだろうなあと思う。どれだけ技術があっても、これじゃない、って言われてるんじゃないのだろうか。