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#721 スイーツ人生

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先日、妹から実家の部屋を整理したいという連絡があり、親孝行に付き合った。敬老の日を意識したのだろうが、なかなか見上げた心掛けである。おそらく兄の教育が良かったのだ。

で、当日その部屋に足を踏み入れてみると、母が捨てられなくて困っている妹の嫁入り前のあれこれやら、彼女の家の押入れに収まりきれない着物やらなにやらで、部屋が膨れ上がっていたのだった。

「なんだい、みんなオマエのじゃん」

おそらく兄の教育が悪かったのだ。

ホームセンターに収納グッズの買い出しに行き、その日の午前中にわざわざ母がバスに乗って駅前で買って来てくれた押し寿司弁当を食べ、重い腰を上げて例の部屋の整理をして、人心地ついたところでお茶の時間になった。

 妹が差し入れに持ってきたのが写真のクッキーだが、知っている人はいるのだろうか? と問いながら、まちがいなく食いしん坊のあなた(不特定多数、でもきっと女性)なら知っていると確信している。

「紹介がないと買えないのよ」

 と妹はやや恥ずかしそうにそう言って、ピンク色の缶の蓋を開けた。

 別になんてことはない普通のクッキーである。まあちょっと小洒落ている雰囲気はある。

 で、食べてみたが、まあ美味い。

「しかしさあ、紹介がないと買えないクッキーって、人をバカにしてるんじゃないのか」

「まあ、お兄ちゃんにはわからないわよね」

 妹の発言にネガティブな響きはない。ただ単に、兄の性格を誰よりもよく知っているから、事実を正確に言っているだけのことなのだ。このあたりは人間関係において、非常に大切なところで、信頼しているからこそ言える言葉というのがある。信頼関係がないのに、ついつい本当のことを言ってしまう癖のあるわたしに比べると、妹はじつに時宜をわきまえた立派な女性だと思う。たぶん兄の教育が良かったのだ。

「で、いくらしたんだ?」

 妹はしばし黙った。悪い予感がした。聞いてはいけない質問だったのか。わたしは時宜をわきまえない男なのだった。たぶん両親の教育が悪かったのだ。

6,800円」

 と妹はかなり恥ずかしそうに小声で答えた。もちろんわたしは、

「えー、オマエ、正気かよ、クッキー1缶に6,800円ってか!」

 と言った。もうこの際、時宜なんてどうでもいいと思ったわけではなく、正直なところ、ほんとうに驚いたのだ。一方で、わたしはほんとうのことを告白した妹を偉いと思った。おそらく兄の教育が良かったのだ。

 6,800円と知って、もうひとつ摘んで食べてみたが、なんとなくさっきより美味しい気がした。

「まあ、たしかに美味いわな」

「でしょ!」

 妹と喜びを共感できたことが嬉しかった。そして何事につけ、子供たちの意見を尊重する偉大な母は妹に、

「じゃあ、今度お茶の先生に持っていくから、買って来てよ」

 と言った。もしかしたらわたしはお金持ちの母とお金持ちの妹に挟まれた不遇な男なのかもしれないと思った。じっさい6,800円で買えるバンブーロッドはないから、不遇というよりは、たんなる浪費家なのかもしれなかったが。おそらく母の教育が悪かったのだ。そんなことをつらつらと思っていたわたしだったが、妹が母に返した言葉を聞いて、さらに驚いた。

「それが1年待ちなの。今注文して、買えるのが来年の今頃なのよ」

 わたしは「今時のバンブーロッドの方が早く出来るぞ」と妹にアドバイスしたかったが、問題はバンブーロッドが美味しくないことだった。妹は猛烈なスイーツ狂なのだ。

「で、もちろん来年の分も注文してあるんだろう?」

 という、聴きようによってはイヤミに聞こえる、わたしの時宜を得た的確な質問に、妹は素直にコクリと頷いた。もちろんわたしの言葉にはネガティブな意味合いなどなく、わたしのことを理解している妹が悪い意味には取るはずもなかった。

妹がわたしの釣りキチレベルのスイーツキチであることは知っていたが、ここまで狂っているとは思わなかった。

 わたしはまたひとつクッキーを摘んで、口に入れた。6,800円で1年待ちだ。さっきよりもさらに美味しくなったような気がした。

 実家を後にして、車で妹を駅まで送った。笑顔で手を振って背を向けた妹を見ながら、わたしはようやく妹のスイーツキチの本質が理解できたような気がしていた。

 妹は美味しいクッキーを食べるためにお金を出しているのではないのだ。彼女はそこに至る過程すべての時間を愉しんでいるのだった。1年待っている間のワクワク感、食べる直前のドキドキ感、そしてとうとう口にしたときの恍惚感。それらすべてを包括した愉しみ。おそらく味そのものは最も重要でありながらも、愉しみの一部でしかないだろう。釣れなくても釣りが愉しいように。 

知れば知るほど、ディープになればなるほど、同じ感覚を持つ友人がいればいるほど愉しくなる、というのはあらゆる趣味に共通した感覚だ。

6,800円のクッキーを1年待って買うことに、あるいは仲間から聞いた、とても美味しいチョコレートの店に並んでいるそのこと自体、その瞬間、その時間、を妹は愉しんでいるのだ。

わたしにとってのフライフィッシングの意味を理解してくれる人が、わたしという人間そのものを理解することが出来るように、妹のスイーツのことが理解出来たわたしは、妹に対する理解を深めることが出来たような気がした。それはイコール、妹をさらに好きになったと言い換えても良いように思えた。

 妹の今年の誕生日には、たまには兄らしく、とっておきのスイーツをプレゼントしてサプライズさせてやろうか(いつ最後にプレゼントしたか、まるで記憶にない。まちがいなく30年以上前だ)。で、どこでなにを買ったら良いか知っているあなた(不特定多数、でもきっと女性)、内緒で教えてください! でも1年待つヤツはなしです。来年の誕生日になっちゃうから!


by bbbesdur | 2019-09-26 23:50 | around tokyo