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#720 歌心、もしくは性を感じる音楽

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 かなり長い間、わたしはユーミンは歌が下手だと思っていた。桑田佳祐も上手くなんてない、と思っていた。考えを改めたのは、今から20年近く前に、古謝美佐子のアルバム『天架ける橋』を買って、収録されている『童神』を聞いてからだ。ユーミンのノンビブラートがほとんど革命的だったことに『ひこうき雲』以来30年近く経ってようやく気づいた(遅すぎる)。それぞれの歌にはそれぞれの歌い方があって、その楽曲が要請している歌い方があるのだった。

 たとえばユーミンの曲で言えば、今井美樹がカバーしたアルバム『Dialogue』がある。彼女の歌はとても素直に耳に入ってくる。1曲聞く分には悪くないと思う。けれどもわたしの耳には『卒業写真』と『ひこうき雲』と『中央フリーウェイ』が同じ曲に聴こえる。たぶん彼女自身がそのちがいを見つけ出せないまま、歌っているからだと思う。彼女は青春時代に聴いたユーミンの曲が大好きで、その気持ちに素直になってカバーしたアルバムを作りたかったらしいのだが、じつは彼女が好きだったのは曲そのものではなく、ユーミンが歌っているそれらの曲だったのだ。だから上手い人が歌うカラオケとあまり変わらず、そうならないようにいろいろと工夫しているにもかかわらず、結果的にオリジナルを真似ただけという結果になる。

 よく「歌心がある歌手だ」と表現されるが、わたしはそれはちがうと思っている。歌心は楽曲側にあって、その歌心をうまく見つけて、自分の個性で表現するのが歌手なのだ。そういう意味でシンガーソングライターは大きな強みを持っているのだと思う。

 たとえばここに夏川りみと古謝美佐子のデュエットがある。ココ

 二人ともうまいけれども、やっぱり古謝美佐子の方が圧倒的に上手い。この曲は民謡でないにしても、古謝美佐子が自分で書いた歌詞で、沖縄音階の音楽である以上、ネーネーズの頃からクロスオーバー的な沖縄民謡歌手でありつづけた古謝美佐子に一日の長があって当然だと思う。洋楽の発声と歌い方をする夏川りみはもちろん上手に歌っているけれども、楽曲が要請しているのは沖縄の音楽なのだ。

 夏の甲子園と4年に1度のオリンピックとワールドカップ以外、一切テレビを観ないをわたしが『涙そうそう』を歌う夏川りみの姿を見たいがために(1度も見たことがなかったから)、その年末の紅白を見て泪が止まらなかった。ほんとうに歌が上手い人だなあと思った。だからもちろん彼女のCDを買った。でも『涙そうそう』以外はわたしの心の奥には届かなかった。歌はほんとうにむずかしい。


 と、いうようなことを思ったのは、じつは昨日がリヒャルト・シュトラウスの誕生日で、フライを巻きながら『四つの最後の歌』を聴いたからだ(フライといえば、ユーミンのお兄さんって、たしかふらい人だったはず)。せっかくだから新しいのを聴こうと思ってノルウェーのソプラノ、リセ・ダビデセンの新譜を聴いた。わたしが聴いたこの曲の録音(かなり聴いている)の中で、まちがいなく一番音程が良い歌い手だ。でも、まるで心に響いてくるものがない。言葉に力がない、というよりも、そもそも歌詞がよく聞こえない。もともとドイツ語なんて、わたしにはまるでわからないとしても、歌曲である以上、歌詞は重要な音楽要素なんだなあ、と感じ入って、耳直しにシュワルツコップの若い頃の方のアッカーマンとの録音を聴いたら、やっぱりしっかり歌ってた。2019年の最新録音より、1953年の録音の方が言葉がはっきり聴こえて、わたしの心を捕える。で、ついでに名盤の誉れ高いセルとの録音と比較した(かなり久しぶりに聴いた)。セル盤はシュワルツコップ50歳のときのもので、38歳のときのアッカーマン盤より格段に表現力が増している。12年間のシュワルツコップの成長は目覚しいと思った。音程の破綻を恐れずに、表現を優先しているから、低音域ではときどき地声にちかくなったりして危なっかしく聴こえるが、そこも計算づくなのだろう。女も50歳になると、すれっからしだから。

 シュワルツコップが上手いのは当たり前だとしても、この曲に関しては結局のところ歌詞がドイツ語だということが、世紀をまたいで他の歌手の追従を許さないドイツ人の彼女の最大の武器になったんだと思う。

 あとほとんど忘れられがちだが、じつはセルとオケもいい。リヒャルト・シュトラウスの管弦楽だから、振る側としてはどうしても色をつけたくなる。たとえば第3曲『眠りにつくとき』はセル、シュワルツコップ盤が527秒であるのに対して、テンシュテットとポップの録音は621秒で、1分近く遅い。セルが淡々とインテンポで曲を進めていくからこそ、シュワルツコップの表現が際立つのだと思う。まあセルはシュトラウスの弟子だったから、やるべきことが何なのかをわかっていたのかもしれない。ポップのはショルティ、シカゴのが映像で残っていて、これはポップの実力がわかるとっても良い演奏だ。ほんとうにポップって音程が良かったし、愛らしかった。セルが「淡々と」なら、ショルティのは「そっけない」から、けっこう笑える。ココ

 しかしそれにしても、と思う。リヒャルト・シュトラウスはスゴすぎる。84歳で死ぬ前年に、こんな曲書けるかね。たしかにこの曲から死をイメージしないことは難しいけれども、死の暗さよりは、逆に生の喜びと、そこを立ち去っていくことの切なさがロマンティックに歌われている。自分自身へのレクイエムとなるだろう曲にソプラノ独唱を採用するところに、男の女性に対するロマン、もしくは母への回帰を思わないではいられない。ひたすら真面目なマーラーには、たぶん性を音楽化するなんていう曲芸はできなかったから「やがて自分の時代が来る」なんて言って自分を慰めていたんだろうけど、じっさいクラシック音楽で性を感じる作曲家なんてシュトラウスの他に、わたしは知らない。


by bbbesdur | 2019-09-09 18:05