2017年 05月 03日
#690 痔の話 第16回 エースで4番
「あと一箇所だけです。もう少し我慢してください」
全部で3箇所あるのに、あと一箇所だけと言うのフェアじゃない。まだ三分の一が残っているじゃないか、と思いつつ、しかしぼくはマンマと医師の気休めに乗せられてカウント・ダウンを始めたのだった。あと3本注射を打てば、とりあえず前座は終わる。
「ちょっとチクリとしますよ」
注射針がはっきりとお尻の粘膜に刺さった感覚があった。
「あっ、ちょっと痛い・・・・・・です」
「あ、やっぱりそうですか」
やっぱり・・・・・・、って。発せられる言葉の一つひとつに意味を探ろうとする患者の心を知っている医師は、
「最後のヤツはK門に近いので、神経が届いているかもしれませんね」
と言って、看護士に麻酔の注射を追加するように指示した。
「はーい、13番さん、おかわり一本!」
合計お銚子11本となるわけで、さすがに酩酊もするだろうよ、と観念したぼくに医師は、
「ちょっとチクリとしますよ」
と言って注射針を刺した。医師はまったくわかっていないのだ。チクリだって、これだけ飲めばボディーブローのように効いてきて朦朧としてくるものだ。
そして医師は最後の痔核の周囲3箇所にジオン注射を打った。麻酔はまるで効いていないように感じたが、効いていなかったら絶叫するほど痛いのかもしれなかったから、たぶん効いていたのだろう。この時ぼくは、注射をする痛みを柔らげるために注射をする意義について疑問を持たないではいられなかったのだが、質問する余裕などなかった。
医師がジオン注射の終了を宣言したとき、ぼくは既にして9回を投げきった先発ピッチャーのように疲弊していたが、信じられないことにはダブルヘッダーの2試合目もぼくの先発が予定されているのだった。
「では今度は痔瘻の処置をします」
医師はほとんど間を置かずにそう宣言した。ぼくはユニフォームさえ着替えずに、汗だくのままマウンドに立った気分だった。三塁側のアルプス・スタンドからは相手チームの声援が聞こえてくる。
「かっ飛ばせ――XXX、BBB倒せ――、オー!」
おそらくそれは幻聴だったのだろう、医師はかなり冷静に、
「ちょっとチクリとしますよ」
と言った。それはぼくの耳に「プレイボール!」と聞こえた。