2012年 12月 30日
#636 第九の向こうに戦後が見える
第九をわざわざ真夏の演目として取りあげる天の邪鬼な指揮者やオーケストラがあって、ぼくもこれまで2度ほど聴きに行ったことがある。エアコンの効いた演奏会場から出た時の夏の外気の違和感は猛烈だ。天の邪鬼ぶりをいえば、自ら辟易するほどのぼくではあるけれども、夏の第九は集団でアマノジャクを実践しているところが凄い。左翼系オーケストラと呼んでしまいたい。世の中の常識に立ち向かうぞ! という姿勢が指揮者と団員を強い絆で結びつけていて、年末に聴くたいがいの第九よりもはるかに良い演奏だった。
第九が戦後の日本で年末に演奏されるようになった経緯、背景については諸説あるが、基本的にドイツのゲバントハウスの慣習を真似ただろうことは間違いない。なんたってゲバントハウスは世界最古のオーケストラなんだから、由緒好き、ドイツ好きの日本人が真似しないわけがない。戦後すぐ、オーケストラ団員としての収入だけでは年を越せないことから、N響の前身である日本交響楽団が考案した経済的なアイディアであるらしいが、いまでも日本のオーケストラにとっては欠かすことのできない年末の収益源となっているから、たいした発明だった。クリスマスやバレンタインデー同様、経済に作り出された文化、慣習は長持ちする。
天の邪鬼なぼくとしては、そういう経済主導の世の中に背を向けて、このごろは部屋でCDを聴いて年末を迎えることがおおい。世の中にたくさんいるだろうホントウのアマノジャクは、年末に第九やメサイヤを聴くこと自体を拒絶しているだろうから、ぼくなんて可愛いものだ。
じっさい年末に演奏される第九を聴きに行って感心したことはない。毎度の年末の第九のために、指揮者もオーケストラもわざわざみっちり練習することなんてないんだとおもう。気が抜けていて、まるでヤル気がない。惰性で弾いたり、吹いたりしている。あるいは演奏者個人個人はそこそこがんばっているのかもしれないが、年末の第九を聴いて、ひとつのものに向かってゆくエネルギーや集中を感じたことがない。指揮者にしても「まあ、第九だから、テキトーに盛り上げましょう」くらいの意気込みにみえる。乱暴に簡単な言葉で言えば、オーケストラの醍醐味はチームワークなのであり、技術があっても、集中のないところにチームワークは生まれない。
生の楽器の音とコンサート・ホールの音響だけは、再生不可能であって、そこはちょっぴり悲しいが、演奏者の気合いとか熱とかが十分伝わってくるCDもある。
ぼくが年末にただの1回だけ聴くことにしている第九は、フルトベングラーが60年以上前にバイロイトで振ったヤツで、これはあまりに有名な録音であって、ぼくのような年末を送っているクラシック・ファンは相当数いるはずだ。
これは毎回、聴けばかならず泣きます。スミマセン、オーケストラにチームワークなんていう安易な言葉を使って、と謝りたくなる演奏である。毎年1回と決めているのは、いつか泣けなくなるときがくるのではないか、という怖れからなんだけれども、聴き始めると、そんな怖れが無用であることがわかる。
モノラルで最低の録音状態だけれども、耳を澄ませば音の中に戦後のバイロイト祝祭歌劇場の埃さえ漂っているのが目に見えてくる。ヒットラーはフルトベングラーの大ファンだった。ゲッペルスと握手している映像を利用されたり、戦後ナチス協力者とされたフルトベングラーが演奏解禁後の1951年にバイロイト音楽祭の復活の時に呼ばれたこの日、どれだけオーケストラ団員が喜び、観客は熱狂したか、とか、ずっと後になってナチス党員だったことを告白したソプラノのシュワルツコップが、ステージでどんな思いで歌っていたのかとおもうと、戦後のドイツが白黒の映像で蘇ってきて、焼け跡の東京と重なり、そこには生活に行き詰まったN響の団員がいたり、と第九で1年の懐古をするつもりが、ついつい遡りすぎるのも、いつもの年末なのでした。
with X-E1 18-55/2.8-4 溜池(Velvia 写真はクリックすると大きくなります)