2012年 12月 10日
#622 富士フイルムX10とソニーRX100
今回、なぜX10を手放してRX100を購入したのかというご質問にお答えするにあたって、まずはっきりさせておきたいことがあるのですが、それはアマチュア・フォトグラファーとしてのぼくが理想としているカメラについてです。
それはたぶんフィルム時代のライカM型だとおもいます。理想なのに「たぶん……おもいます」なんてハッキリしないヤツだなあ、とおもわれるかもしれませんが、じっさいライツ社の製品は暗室用引き伸ばし機Focomat35以外は使ったことがありません。ライカはMもRも買ったことも、撮ったことも、手にしたことすらないまま、時代はデジタルへと突入してゆきました。
フィルム時代からぼくは自分の好きな撮影スタイルがスナップであることを自覚していて、ずっとそんなスタンスで(風景写真ですら)撮ってきましたが、かつてフィルム時代、スナップ写真を撮る最良のカメラはライカMと決まっていました。それはたとえば三角形の面積が<底辺×高さ÷2>と決まっているように、世界不変の確定した事実だったのです。白黒フィルムがカラーに変わったときも、ミノルタがα7000で一眼レフにおける夢のオートフォーカスを実現したときも、ライカMはぴくりと揺らぐことなく、眼下の建物を睥睨するエッフェル塔のようにスナップ写真世界に屹立していました。
でもぼくはライカを買えなかった。ぼくが写真を始めたころにはさすがにライカ一台、家一軒、という時代ではありませんでしたが、それでも幼児をふたり抱えるサラリーマンが購入を検討することは非現実的な夢想世界だったのです。
で、当然ぼくはライカに近いカメラを、つまり貧乏人のライカを探したわけです。子供の成長を記録するために、という家庭的大義名分で選んだカメラはCONTAXのT2でした。あまりに印象的な写真に感激したぼくは、間を空けずに159MMというCONTAX最後の手巻き送り式の一眼レフといくつかのZEISSレンズを買いました。しかし驚いたことには、写りそのものはコンパクトカメラであるT2の方が良かったのです。Planar50mm/1.4はぼくの技術では、どんなにがんばっても開放でバッチリとピントを決めることができなかった。
というようなやや偏った個人的なカメラ遍歴によるトラウマからなのかどうか、デジタル時代になっても「いつかはライカ」とおもいつつも、その代わりになる最良の次点コンパクトカメラを探し求める気持ちがつづいているのです。じっさいフィルム時代よりも遥かにライカと非ライカの差が縮まっているようにおもえます。というか、ネットで見聞きする限りでは、すでにして優劣が逆転している点も多いのではないでしょうか。
皆さんご存じのとおりフィルム時代のコンパクトカメラとデジタル時代のコンパクトカメラの最大の違いは撮像面の大きさです。フィルム時代はどんなにボディをちいさくしても撮像面はプロ仕様一眼レフと変わらず35mmフィルムでしたが、デジタルのコンパクトカメラで一眼レフ同様の撮像面を確保出来たのは、つい先月のことです。デジタルカメラが世に普及し始めて10年以上が経過しましたが、いわゆるフルサイズの撮像面を持つコンパクト・カメラは今のところ、つい最近発売されたばかりのSONY RX1だけなのです。
日本経済は安かろう悪かろうの大量生産、大量消費時代をとうに過ぎ、いまや高付加価値、高単価を目指さない企業は生き残っていけません。日本のカメラメーカーにしても、経済成長過程にある国々を当面の重点市場と見据えつつも、成熟しつつある先進国向けの高価少量生産品を近未来の視野に入れて経営の舵取りをしないわけにはいかない。
じつは昨日、息子からプレゼントされたバースデイ・ブルゴーニュを飲みながらこの記事を書いています。ここまで読み返して、やや話が広がり過ぎていること気づきました。今晩はこれでヤメておきます。じっさい眠いし。なぜX10を売って、RX100を買い求めたのか、は次回につづきを書きます。
といいつつ、いま部屋の隅を見やると、まだ箱から出していないX-E1があって、もう昔の話はヤメて、X10もRX100の話もヤメて、X-E1について研究したい衝動が湧き上がってきているのでした。あはっ、おやすみなさい!
with RX100 2012/12 広島駅前