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#533 OLYMPUS OM-D発売の噂に寄せて その2

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 産経新聞に記事が出た。リーク画像も出回っている。 PENという先例がある。オリンパスがOMをデジタルで復活させる計画はほぼ確定的である。
 昨年末、社会的事件となったオリンパス幹部の不正会計処理はオリンパスのカメラ開発陣、営業陣にとっては、まるで身に覚えのない不条理な夢のような出来事にちがいない。おなじく精密機器メーカーに勤めるサラリーマンのひとりとして、製品そのものとはまるで関係のない薄暗い部分でブランドが傷つくことに同情してはいる。
 しかしぼくはオリンパス・ブランドはすでにしてE-3を出した時点で陰りだしていたと信じている。かつてフィルム時代にオリンパスは一眼レフの三悪を「重い」「おおきい」「シャッター・ショック」と規程し、その回答としてM-1を世に出し、おなじようにかんじていた、おもにアマチュア写真家の圧倒的な賛同を得た。それなのに、デジタルになったらまるで三悪がどこかに消えてしまったかのように、E-3はフルサイズの一眼レフと変わらない体積で、オリンパス・ファンをびっくり(がっかり)させた。
 今回、OMの復活をして、凋落したオリンパス・ブランドの復活を導きたい、という気持ちは痛いほどよくわかる。PENにしてもOMにしても、小型軽量であることで、競争苛烈なカメラ業界のなかを生き延びてきたわけで、その原点回帰が命題であることもわかる。それはもうシロウトのぼくにはわからない無数の技術的葛藤があって、フォーサーズを捨て(といってしまっていいだろう)、マイクロ・フォーサーズに傾注しているのだろう。
 しかしユーザーの目から見れば、オリンパスという会社はかつてあったはずの信念、あるいは覚悟に欠けていて、なにをどう信じていいのかわからないのだ。デジタル化と同時にOMマウントを捨てたはずなのに、いまごろになってウマミがあると見るや出戻って、かつてのブランドが途切れなかったかのように見せる。幹部の不祥事はじつは企業体質のエッセンスでもあって、今回の事件をぼくは、とてもオリンパスらしいとも見ている。
 じっさいOMの復活は、ぼくたち中高年齢層のオジさん、オジイさんには、懐かしすぎて抵抗しがたい魔力がある。一眼レフのあのスタイルはライカM型などのレンジファインダーにはない男らしさがある。
 一眼レフではないのに、一眼レフのようなルックスしたOM-Dは売れるかもしれないが、もし中身が求めていない意匠をまとっていれば、それは道具への裏切りであり、機能美の死である。
 ともかくこの手は一回きりしか使えない、きわめて短期的な場つなぎの製品戦略でしかない。オリンパスにはもう復活させるものがない。コンパクトカメラでXAをやっても笑われるだけだろう。
 ぼくが一眼レフをフィルムからデジタルへ移行したのはたかだか5年前のことで、そのときにメーカーをオリンパスに決めたのはアウトドアにおける小型軽量を最優先したからである。たった5年の間に、E-410、 E-420、 E-3、E-620を使った。買っては売り、ニコンを買い、ニコンを売ってはオリンパスを買うという愚行を繰り返し、E-620に至っては中古で2度買うということまでやっている。
 その最大の理由は(ニコン・フルサイズの)画質と(オリンパス・フォーサーズの)携帯性の間でぼくの気持ちが揺れうごきつづけているからである。ぼくたちユーザーは揺れうごいても許される。現実的に投資したお金分のソンをするだけですむ。しかしメーカーはブレると次がない。いったん敷いたレールの上をいやでも走りつづけるしかないのだ。小型軽量が最優先なら、そのままのポリシーで突き進んでほしい。まちがっても重く大きなフラグシップなど出してはならない。オリンパスが検討すべきは、ボディ内ブレ防止機構ではなく、もちろんレンズ内ブレ防止でもなく、企業理念ブレ防止システム、製品開発ブレ防止システムなのである。いまごろ米谷さんは雲の上で泣いているよ、きっと。
 いまオリンパスがすべきことは、OM-Dを発売すると同時にE-5の生産をストップすることだ。はっきりした態度表明以外に、今後のオリンパスのカメラ事業が生き延びる道はないとおもうのだ。
 オリンパスが今回のOM-Dをレトロ路線の終着駅ではなく、ほんとうの原点回帰として捉えることによって再出発するというなら、ぼくはもういちどだけ付き合おう。ほんとうの原点回帰というのはもちろんデザインのことではない。米谷美久というオリンパスの卓越した技術者による、卓越したコンセプトのことであり、モノ作りにおける革新的な進取スピリットのことである。
 遠くない将来、オリンパスがストラップと一体化した内視鏡的不思議小型カメラを発明し、一眼レフのデザインそのものを過去の遺物として葬り去ることをこころから願いつつ、いまはいったんOM-Dというタイムマシンに乗って「イチゴ白書をもう一度」を口ずさみつつ、ぼくが高校生だった1975年あたりにもどってみようか。
 with E-420 Makro-Planar 2.8/60C 2009/5 実家
by bbbesdur | 2012-01-22 00:48 | camera