2011年 11月 07日
#484 Fujifilm X10とRicoh GRD3の比較 その2

前回、起動のちがいについて書いた。それはそのままコンセプトのちがいであり、両手でしっかり構えて撮るか、片手でひょいとつまんでパッと撮るか、はすでに起動したときからカメラによって決められている。X10のズームリングを回して起動し、そのあとわざわざ左手を離す使用者はいない。一方GRDは両手で使うにはちいさすぎて、手の小さいぼくですらほとんど片手で撮っている。手ぶれを防ぐために、カメラはかならず両手で持たなくてはならない、という基本中の基本を無視しているわけで、すべてはシャッターチャンスのためだ。両手で構えると、被写体に気づかれる確率が格段に高まる。その点GRDは電源ボタンの緑色のイルミネーションさえ消すことができる。撮影者をすこしでも透明人間にちかづけようとしてくれていて、ぼくはそんなGRDのちいさな筐体に隠れるようにして撮影するのだ。
X10とGRDは起動もAFもAEもほぼ互角で、どちらもスナップ撮影に求められる速写性はじゅうぶん確保されている。あとは撮影者がどんなスタイルで撮るかにかかっている。 たとえばアラーキーのように撮るならX10だろう。なにせプラウベル・マキナで東京を撮りつづけてきたのだ。 あるいは森山大道のような撮り方だとぜったいにGRDになるだろう。土門拳に片手でカメラを構えているところを見られたら、まちがいなく一喝されてしまうだろう。
GRDとX10の細かいちがいをあげればきりがないし、それぞれの良さや悪さについてはネットでも語られているから、ここで繰り返すつもりはない。そのかわりに、まだあまり語られたことがないであろう、極めて些細なちがいを紹介しようか。
GRD3は(これは操作コンセプトに関わることなのでGRD4も変わらないとおもう)、それぞれP、A、S、M、オート(グリーンのカメラマーク)の各モードに、それぞれ別なISO値を(たとえばAにISO64、Sに800というように)、あらかじめセットしておくことができない。X10はそれができる。これがいい。なぜかというと、絞り優先で撮るAのときと、シャッター速度優先で撮るSのときでは、求めたいISO値の上限がちがうのだ。
例をあげれば、ぼくの場合、新宿などの地下道や夕暮れで撮るときはモードをSにしている。つまり限られた光量のなかで被写体をぶらさないためにシャッター速度を基準にしていて、せいぜい1/60までくらいしか速度を落とせない。このときはブラさないことがトップ・プライオリティだから画質には目をつぶる。だから感度を可能なかぎり上げる。逆に明るいところではブレるリスクが低いから画質を優先したい。だからISOを低めにする。ぼくのX10には、いまSモードにAUTO ISO3200、AモードにAUTO400を設定している(これはX10の高感度画質の良さならではの設定で、ぼくの使用感覚ではGRD3より2段の余裕がある。このシャッター速度域での2段の差っていうのは、写真になるか、ならないかくらいの大きな差である)。
GRDにはこういう場合を想定したMYモードが3つあって、ほかの設定を含めてISOもそれぞれ独立してセットできる。それにISOはコマンドダイヤルへのワンタッチで一瞬にしてISOを変えることができる(これはGRDで最もぼくが気に入っている機能だ)から問題はないのだ。
このあたりの極めて細かい部分に、開発者のコンセプトが見え隠れしている。手が抜かれていない証拠だ。これまでの富士フイルムのカメラには開発者の顔が見えないような「なぜ?」がおおかったが、今回のX10には「なぜ?」を見つけることができない。使い勝手が悪いのにも理由があって、それがたまたま自分の使い方に向いていないためである、と諦めることができる。
たとえばメイン・コマンド・ダイヤルって、メインって名づけるほど中核の操作部とはいえないし、コマンドするっていっても、せいぜい露出やシャッター速度やISO値に代表される撮影時の設定を変えるだけのことだ。主に撮影時以外の設定を想定しているだろうサブコマンドに対して、撮影時の調整だからメインであるだろうことは想像できる。もっと機能を持たせても良いのに、と不満におもいつつも、すくなくともそうしたくなかった(撮影時のシンプルさを目指した)開発側の意図が見えるだけでも、これまでの富士とはずいぶんちがう。でも、奥にカチッと押しこめるボタンなのに、その押し込んで設定する機能がどうしても見つからない。たとえばカチッと押し込むとそのままISO変更ダイヤルになる、なんてとても素敵な機能じゃないか(GRDと似過ぎているとしても)。 きっと、これからのファームアップでのお愉しみなんだとおもって、期待することにしているが、それも、なんとなく開発者の顔が見えているからならではの期待感なのである。
ともかくカメラの操作性が「いったいぜんたい、なんでこうしたの?」から、「深読みすれば、わからないでもない」レベルになった富士フイルムの次の商品に期待したい。
でも、すでに発表されたX-S1はどう見ても、相変わらず狙い所の定まらない中途半端なカメラに見える。アマチュアにアマチュアらしい機材を提供しようとしてもダメなことがわかっていない。アマチュアは常に上を見上げていて、プロっぽい機材に憧れてカメラを買うってことが、まだわかっていない。
しかしその次にやってくるのは、いよいよレンズ交換式である。フジノンレンズを交換するなんて、それだけで贅沢きわまりない幸福の絶頂……、などと想像するにつけ、期待と不安が錯綜し、いままさにデジタルカメラ時代の真っ只中にいるんだなあ、と実感する今日このごろである。
with FujiFilm X10 2011/10 八戸