2011年 08月 20日
#457 夏の朝露のごとく
夏の甲子園、決勝戦が終わった。東北勢の戦後初優勝は今年もならなかったけど、秋田君、よくがんばったよ。7回裏、畔上君に投げたあのフォークボールを打たれたときのショックはわかる。0-2と追い込まれながら、まるで落ちるボールをスローモーションで見て打っているような、イチロー顔負けのあれは、高校生のバッティングじゃない、相手が巧すぎた。そして、あの一球が勝負を決した。
優勝するチームは、いつも大人の集団をかんじさせる。昨年の興南高校もそうだったし、今回の日大三高も同様で、ともかく自分たちですべてを完結するという落ち着いた覚悟があって、話す言葉もはっきりしている。つまり自分たちの置かれたその状況で、なにをどうすればいいのかを冷静に理解しているのだ。精神的に監督という支えはあっても、その場その場の状況で頼るということがない。
日大三高の選手たちはすでに準決勝の時点で、監督を喜ばせたいと発言していて、余裕があった。負けると監督に怒られる、というような方向性とは真逆で、こういったチームが優勝するんだなあ、とおもった。逆にいえば、つまりはこういったチームしか優勝できないわけで、そこにさらに運、不運という要素も加わるから、優勝は至難なのだ。
高校野球チームの監督がなすべきことは、生徒への技術的な指導だけではなく、自立するこころの育成でもある。もちろん高校野球は勝って郷里に錦を飾るためのものではなく、あくまでも高校教育の一環なのだから、当たり前のことだが、これはなかなかにむずかしいことだとおもう。名将と呼ばれる監督はきまってカリスマ性を有していて、カリスマの弊害として自立性、自発性といったものは育ちにくい。だからといって、じっさいこどもっぽい選手を大人扱いするわけにもいかず、集まったメンバーの顔ぶれによって、年ごとに指導方針を変えてゆかなくてはならないのが、高校野球監督稼業であり、想像を絶するほど困難な仕事だとおもう。かつて2年連続で決勝に進んだ沖縄水産で、2年生からレギュラーで、翌年キャプテンとなった屋良君が2年目にいった「今年は先生、怒ってばかりいる」という言葉はわすれられない。神谷投手が投げた前の年には、みんな笑っていたというのだ。チームが変わると監督も変わらなくてはならないのだろう。しかしじっさい控えの投手がおらず、負傷している投手を投げさせつづけながら笑える監督なんていない。
栽監督といえば、初めての決勝戦で負けた後「なんでみんな泣いているのかねー、決勝戦に出るためにここまでやってきて、そうなったんだから喜べばいいのに」という教師としての発言もわすれられない。さらにおもいだすのは、9回裏、1-0で1点を追いかける沖縄水産の最後の攻撃、塁に走者を置いて同点、逆転のチャンス、ツーアウトで屋良君が放ったレフトフライ。戦後の沖縄県民の夢を打ち砕いた天理高校左翼手のファインプレーを、ぼくはいまだに恨んでいる。探したら映像があった。まさしくまさに憶えているとおりで、じつはポロリと落としていたなんてことはなかった。いまでも泣けてくる。しかし沖縄のオバアはいつでも普通にカチャーシー踊るから頼もしい。知らなかったが、いま発見したのは、この年だったのだ、イチローが2年生で出場していたのは。決勝戦で沖縄水産を破った天理高校に愛工大名電は負けていたのだった。TV解説のなかで、非常に才能があると紹介されているが、まさかこれにまでなるとは。
今日破れた光星学院のキャプテン川上君はうちなーんちゅである。おなじ光星のメンバーでは城間君や天久君も、名前からしてまちがいない。いまや沖縄の野球少年は日本全国に散って活躍するほどになった。うちなーんちゅなんだから沖縄で野球やりなよ、とはいわないけど、ちょっぴり寂しいな。まあ、大人の戯言だから忘れてくれ、キミたちには、キミたちの人生がある。それはいいとして、ところで肝腎の沖縄代表、糸満高校は1回戦の第1試合で夏の朝露のように消えちゃった。朝起きが苦手なうちなーんちゅには電力削減のための朝8時試合開始が辛かったのかなあ。運がわるかった、ということにしておこう。
with GRD3 2011/1 那覇 奥武山球場