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#451 岬めぐりはどこの岬

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「岬めぐり」っていう曲を知っているかな? 山本コータローとウィークエンダーというフォークソング・グループが歌った曲で、歌詞はせつないのに、曲調が明るい、不思議な曲で、かなり流行った。いま調べたら1974年のヒットで、洋楽に狂っていたぼくが毎週BILL BOARD TOP40のチャートをノートに記録していた頃のことで、ちなみにアメリカではバーバラ・ストライザンドの「追憶」やポール・マッカートニー&ウイングスの「バンド・オン・ザ・ラン」なんかが流行った年だ。
 で、この岬をぼくはなぜか襟裳岬と勝手におもいこんでいて、大学4年のときにヒッチハイクで回った北海道一人旅でも「岬めぐり」は気分的には旅の核心部となっていた。襟裳岬にはじっさいなにもなくて、それはまさに森進一の「襟裳岬」の印象と完全にオーバーラップしていた。岬からもどるときには、おじいさんの運転する軽トラックに乗せてもらって、ヒッチハイクなんて、あんまりしないほうがいい、と説教され、その翌日にユースホステルの前で手を上げて乗ったスカイラインは不良っぽい男女が乗っていて、海岸で貝を取るからいっしょに行こうと誘われて怯みそうになったが、それでも乗り込み、海岸で逃げるように別れを告げた。
 そんなぼくの青春そのものだった「岬めぐり」の岬がじつは襟裳岬ではない、と知ったのは先々週のことだ。ANAの機内オーディオでオールナイト・ニッポン・クラシックスという番組を流していて、そこにゲストで現れた山本コータローが「あれは三浦半島なんです」と語っていて、おどろいてしまった。どうしてこういったおもいこみが起こるのか、不思議だ。ところで山本コータローは三浦半島の、いったいどの岬かは限定していなかった。なにしろ三浦半島には「三崎」という土地さえあって(上の写真のように)岬だらけなのだ。あるいは作詞をした山上路夫は三浦半島全体を岬と見立てたのかもしれなかったが。
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 と、ここまで書いて、では「襟裳岬」はいつの曲だったのかと調べたら、おどろいたことに昭和49年、つまり「岬めぐり」とおなじ1974年のことだったのである。
 ここに記憶のトリックがあったようだ。ぼくの記憶は都合良くふたつの曲をいっしょにして、いつのまにか「岬めぐり」の岬を襟裳岬と限定してしまったらしい。
 しかし「岬めぐり」にしても「襟裳岬」にしても、映像を観ていると自然と泪が出てくるのはなぜだ。 若かったあの頃、日本の曲は好きじゃなくて、さっき書いたようにおなじ年なら「追憶」や「バンド・オン・ザ・ラン」を遥かにぼくはよく聴いたはずだ。「バンド・オン・ザ・ラン」はLPレコードも持っていた。そしていまYou Tubeで検索して聴いてみた。リンダ・マッカートニーもいまとなっては懐かしいし、ポールも若かった。けれど、記憶が伸ばしてくる触手がつかむ匂いとか手触りが日本の歌とはまるでちがう。
 なぜいまになって、日本の歌がぼくのこころをより揺さぶるのかとかんがえるとき、あの時代にぼくが日本に生きていた、という一事に尽きるとおもう。歌はおそらくは時代とともに生きていて、歌詞や曲調に当時の日本の暮らしが沁みこんでいて、たとえばお袋が当時よく作っていたイカとジャガイモの煮転がしの醤油の匂いとかに紛れて、ぼくの記憶の奥に眠っている大切ななにかを刺激するんだとおもう。
 with GRD2 2009/7 三浦半島上空、GRD3 2010/8 襟裳岬上空

by bbbesdur | 2011-08-13 23:10 | around tokyo