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 診断中に医師の声音が変わる場合、それはほぼ100%間違いなくバッド・ニュースだから、ぼくは固唾を呑んで次の言葉を待った。
「痔核がありますね。うーん、それも2つ、いや、ちょっと待って下さいね、いや3つですね、3つ」
 と言うのだ。
「痔核ですか」
「ええ、まあまあの大きさです」
 ぼくには医師の言う「まあまあの大きさ」がどの程度なのか想像がつかなかった。
「痔核というのはつまりイボ痔ということですか?」
「ええ」
 と医師が当たり前のようにそう答えるから、ぼくは、
「つまり痔瘻とイボ痔のダブルというわけですか?」
 と聞くと、
「まあ、よくあるケースですから、心配しなくても大丈夫です」
 と言う。もちろんこれ以上心配なんてしたくないが、壁を向いて診察台に横たわっていたぼくは、
 痔瘻 +(イボ痔×3)=悲し過ぎる
 の計算式を頭に浮かべていたのだった。
 しかし人間というのは希望の生き物である。希望という思念が実体化したのが人間じゃないのかとおもうほど人間は希望が好きである。宗教しかり、教育しかり、行政しかり、人間はより良き翌日を信じていないと生きていけないのだ。
 ぼくはこの人間性を「1ミリの希望」と呼んでいる。
 ぼくがハマり込んでいるフライフィッシングの世界の話をしようか。釣り人は夜明け前に釣り場に到着し、朝もやの中で支度をして、1日への大いなる期待をもって川や湖へ浸透し、次の一投、次のポイントへと歩を進める。大物はまだ釣れないけれども、ひょっとするとあのカーブの向こうには楽園が待っているかもしれない。次の一投こそは。でも釣れない。いや待てよ、あの先に見えている淵はどうだ。いかにも大物が潜んでいそうな場所ではないか。でも釣れない。あれっ、あれは滝か。なるほど、きっとここまでは誰でもやる場所で、ここで諦めてはいけないのだ。滝上は釣り人が少ないはずだ。おそらく滝を高巻きした釣り人だけが栄光を手にすることが出来るのだ。このとき釣り人は欲望と希望の塊である。欲望は満たされることもあり、満たされないこともある。しかし希望だけは夜明けから日暮れまで常にそこにあって釣り人の背中を押しつづけるのだ。夕暮れが来て、釣り人は釣れても釣れなくても、欲望を身から削ぎ落とした状態で車へと引き返す。このとき釣り人は本人も気づいていないが、じつは解脱しているのだ。もしそんな状態の釣り人を見かけたら、あなたは無、すなわち仏様を見ていることになる。恭しく一礼し、黙して手を合わせるとご利益があるかもしれない。
 なんの話だっけ? そうそう痔の話だった。ついつい釣りの話となると夢中になってしまう。
 で、その1ミリの希望を胸に、つまり、早い話が、こんな事態に陥っていても、ぼくはなお「切らずに治す」方向に光明を見出そうとする希望の人だったのである。

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# by bbbesdur | 2017-03-23 20:25 | health care

#684 痔の話 第10回 

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 痔瘻は、お尻にもうひとつ穴が開くという、無意味に過剰な病気である。オレはひとつだけでいいからね! と言ってもムダだ。どうせバイパスを作るなら、第2東名みたいにピカピカで立派なヤツにして欲しかったが、残念ながらぼくのヤツは旧天城トンネル並の古クサさだった。
「ここまでポッカリ開いているのも珍しいです」
 と医師は言った。ぼくとしては余裕のあるところを見せたくて、なんとか気の利いた一言を言おうとしたのだが、その前に医師は、
「これ痛いです……」
「イターーーーー――!!!!!」
 医師としては痛みの確認は患部特定のために欠かすことの出来ない手順であることはわかる。しかしわかり易すぎるくらいぽっかり開いているんだったら、もう少し遠慮した触り方をしてくれればいいものを、ほとんど穴(もう一つの)に指を突っ込んだかとおもうような勢いでやるから、ほとんど1日の体力を使い切ったような汗が一気に吹き出した。
「ですよね」
 と医師の声は、前回患部が腫れ上がった時をコピーしたかのように、はっきりと嬉しそうなのである。わかりやすい医師だなあ――、とおもう余裕などその時のぼくにはなくて、ただひたすら、もうあそこには一切指を触れないでくれ、という強い気持ちでいっぱいだった。指で触れられてこれだけ冷汗が出るくらいなのだから、万が一手術ともなれば最低失禁は間違いないところだとおもった。じっさい診察中、もしくは手術中、何かの拍子に催してしまわないかという恐怖は常にある。殊に治療中は抗生剤を服用しているためにお腹が緩くなっているからなおさらである。
 医師はぼくの第2の穴にいたく満足し、ぼくもひとまず患部の特定が出来たことには安心して医師の見立てを待ったが、なお執拗にK門鏡を覗き込みつづけていた彼は、ふいに
「おやっ」
 と言ったのである。

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# by bbbesdur | 2017-03-22 22:14 | health care

#683 痔の話 第9回 

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「Bさん、失礼します。よろしくお願いします」
 この医師はぼくに限らず、患者のお尻を見る前に、きっと必ずこういっているのだ。これまでお尻を見せた医師からこんな丁寧なセリフを聞いたことはなかった。丁寧だから良いというものではないが、人間扱いされている気にはなる。「きっと恥ずかしいでしょうね、でも大丈夫だからね」と言われているような気がしてくるのだ。だからぼくも必ず、
「こちらこそよろしくお願いします」
 と返すことに決めていた。お尻を見せながら言う言葉としては異例な丁寧さだとはおもうが、ぼくはこの手順が気に入っていた。あるいはかえって医師の丁寧さに恥ずかしくなる人がいるかもしれない。このあたりの感覚はかなり微妙で相当な個人差があるだろうが、たとえば女性が男性医師の前で胸を出すとき、むっつり黙って見られるよりも、こういった言葉を掛けられてから見られる方が医師と患者の関係が明確になって、恥ずかしさも多少は和らぐんじゃないだろうか。
「あー、破れてますねえ。まあこれは仕方ないとして」
 医師はそういいつつ、ぼくのお尻の中心に指を入れてくるのだった。
「痛いですか?」
「いや、それほどでもありません」
「じゃあ、これでは?」
「いえ、特に」
「では、ここは」
「うーん、そうでもないかなあ」
「膿が出切ってしまっているから、痛くないんですね。じゃあ、こんどはK門鏡を入れます。ちょっと痛いかもしれません」
 K門鏡という器具がこの世の中に存在していることをぼくは初めて知ったのだった。一体どんな形状をしているのかと想像を逞しくしつつ、K門鏡が入ってくるのを待った。
「うっ」
「痛いですか?」
「ええ、でも我慢できます」
 痛いというよりも、強い圧迫感があった。あとで形状と素材を確認したけれども、あれは痛くて当たり前だとおもう。金属製だから収縮しない。体の中に収縮しない異物が入り込んでくるから、除外したいと脳が判断して痛いというサインを送ってくるのだ。指を入れられても、患部に触れられない限りはそれほど痛くなかったが、K門鏡はやや様子が異なる。おもわず「先生、指にしてください」と言いそうになった。
「ありました、ありました。ぽっかり穴が開いてます
 とすでにして穴の中を覗き込んでいるはずの医師は、とても嬉しそうにそう言うのだった。お尻の中心の、そのまたどこかに穴が開いているらしかった。

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# by bbbesdur | 2017-03-14 20:46 | health care