春という事件

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 朝、天気予報で春一番が吹くと知った。昼前から風が強まるので、飛んでくる看板などに気をつけるように、という。色とりどりの看板が紙吹雪のように都心の空に舞っている光景を想って、ぼくは晴れやかな気分になった。通勤電車の窓から見える裸の桜並木は薄日を受けて静かになにかを待っていた。ラッシュアワーの車内さえも静寂な空気に包まれていて、通勤者たちは混雑を許容しているように見えた。
 昼になっても風はやってこなかった。ランチタイムに外に出て看板を見上げるぼくは、すこしばかり恨めしげな目つきをしていたはずだ。
 仕事が終わったのは夜の10時過ぎだった。ひと気の絶えた夜の金曜日のオフィスは息を止めた獣のようにおとなしく、どことなく偽善的だ。ぼくは真実を捜すように9階の窓から外を見下ろした。葉を落としたプラタナスは、夜に根を下ろしたいびつな鉄塔のようだった。それでもあきらめきれず、ぼくは地表を覗きこんで、うごく物を捜した。すると、正面のビルのロビーにちいさな人形のような人影がうごいて、するすると外に出てきた。そのときだ、真っ白い花のようなスカートがふわりと闇に咲いたのは。
 帰り道、いい気になったぼくを待っていたのは、吹き荒れる春の嵐だった。傘がなかったのだ。
 with FinePix F30 2009/2/13撮影
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# by bbbesdur | 2009-02-14 07:17 | around tokyo

夕暮の肉食獣

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 ぼくの目の前でひとりの女が泣いている。電車は東京の郊外を西に向かってひた走る。一日の終わりのくたびれた夕暮れのなかを終着駅に向かって。
 コートのポケットのなかでカメラを握りしめたぼくの右手は汗を掻き始めている。 
 女は静かに泣きつづける。声をたてずに、満員でもなく、すいてもいない、どことなく中途半端な空気に満たされた通勤電車のなかで。
 また一筋の泪が落ちてきて、女の頬が蛍光灯の青白い光を呑みこんだ。
 ぼくはコートのなかのカメラを握りしめる。女が隙を見せた瞬間を切り撮ろうとしているのだ。その行為は残忍だ。けれどもぼくはすべてのカメラマンが肉食獣であることを知っている。ぼくがそうであるように。
 獲物の前に立ちはだかる肉食獣にも、いちぶのこころはある。微かな痛みが指先を痺れさせる。汗を掻かせる。いまぼくのコートの右ポケットはそれ自体がカイロのように発熱している。
 問題は女が目を伏せたりせずに、真っ直ぐ正面を向いていることなのだ。ぼくのからだを突き抜けた向こう側にある、女にしか見えない光景をじっと見つめていることなのだ。
 with E-410 14-42/3.5-5.6  2007/12/31撮影
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# by bbbesdur | 2009-02-13 00:46 | around tokyo

休館日の愛情

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 通りがかりにカップルの言い争いを耳にすることがある。たいがいの場合、男がわるい。女が謝っていることなんて、まずない。このカップルは中国語を話していたから、内容はわからなかったけれども、明らかに男が劣勢だった。撮影しているぼくの背後には新国立美術館があるのだが、閉ざされた鉄のゲートに「本日閉館。休館日は毎週火曜日」とある。男はかつて東京に留学でもしていたのか、なまじっか日本の事情を知っていたばっかりに失敗したのかもしれない。日本の公立施設の大半は月曜日が休館だというのに「なんでここだけ火曜日なんだよー」と、今日ここを訪れた相当数のカップルの男が嘆いたように。
 なぜ男がわるくなるかというと、じつは女が男を愛しているからなのだ。男は女がどれだけ自分が愛されているかをいつも気にしていることを知っているから、彼女を喜ばせようと、昼も夜もがんばる。でも、悲しいことには細かな準備や配慮は得意じゃないのだ。女はもちろん自分を基準にしか思考できないから「わたしを愛しているんだったら、事前の下調べくらいあたりまえ。いまどきネットで検索すれば休館日くらいすぐにわかるでしょ」となる。自分で下調べをしないところが「彼を信じる愛情の賭け」でもあって、いま新国立美術館前で男にいい募っている彼女は怒っているように見えるけれども、ほんとうは賭けに負けて、悲しいのである。
 春節も終わってしまった。君たちは母国に帰らなくてはならない。でも、きっとだいじょうぶ。ながい休暇の最後の夜だ、きっと、仲直りしたくなる。ふたりにはその理由がある。男は、こんどはうまくやれるはずだ。
 with FinePix F30 2009/2/10撮影 六本木
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# by bbbesdur | 2009-02-11 09:00 | around tokyo