#683 痔の話 第9回 

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「Bさん、失礼します。よろしくお願いします」
 この医師はぼくに限らず、患者のお尻を見る前に、きっと必ずこういっているのだ。これまでお尻を見せた医師からこんな丁寧なセリフを聞いたことはなかった。丁寧だから良いというものではないが、人間扱いされている気にはなる。「きっと恥ずかしいでしょうね、でも大丈夫だからね」と言われているような気がしてくるのだ。だからぼくも必ず、
「こちらこそよろしくお願いします」
 と返すことに決めていた。お尻を見せながら言う言葉としては異例な丁寧さだとはおもうが、ぼくはこの手順が気に入っていた。あるいはかえって医師の丁寧さに恥ずかしくなる人がいるかもしれない。このあたりの感覚はかなり微妙で相当な個人差があるだろうが、たとえば女性が男性医師の前で胸を出すとき、むっつり黙って見られるよりも、こういった言葉を掛けられてから見られる方が医師と患者の関係が明確になって、恥ずかしさも多少は和らぐんじゃないだろうか。
「あー、破れてますねえ。まあこれは仕方ないとして」
 医師はそういいつつ、ぼくのお尻の中心に指を入れてくるのだった。
「痛いですか?」
「いや、それほどでもありません」
「じゃあ、これでは?」
「いえ、特に」
「では、ここは」
「うーん、そうでもないかなあ」
「膿が出切ってしまっているから、痛くないんですね。じゃあ、こんどはK門鏡を入れます。ちょっと痛いかもしれません」
 K門鏡という器具がこの世の中に存在していることをぼくは初めて知ったのだった。一体どんな形状をしているのかと想像を逞しくしつつ、K門鏡が入ってくるのを待った。
「うっ」
「痛いですか?」
「ええ、でも我慢できます」
 痛いというよりも、強い圧迫感があった。あとで形状と素材を確認したけれども、あれは痛くて当たり前だとおもう。金属製だから収縮しない。体の中に収縮しない異物が入り込んでくるから、除外したいと脳が判断して痛いというサインを送ってくるのだ。指を入れられても、患部に触れられない限りはそれほど痛くなかったが、K門鏡はやや様子が異なる。おもわず「先生、指にしてください」と言いそうになった。
「ありました、ありました。ぽっかり穴が開いてます
 とすでにして穴の中を覗き込んでいるはずの医師は、とても嬉しそうにそう言うのだった。お尻の中心の、そのまたどこかに穴が開いているらしかった。

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# by bbbesdur | 2017-03-14 20:46 | health care

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 ぼくが選んだそのクリニックはお尻の専門医ではない、ということを前回の記事でいただいた「みと肛門クリニック」に関するfbコメントで思い出した。だから待合室で座っている患者同士が、それぞれどんな病気を患っているのかはわからないのだ。待合室で堂々と「オレは風邪だからな!」というように胸を張る必要もないが、ぼくの観察した限りでは、痔の患者は心の隅に暗がりを宿しながらも、どこか放心したような、諦めた表情をして坐っている。不思議なもので、同じ医院に長く通っていると、同病の患者は察しがつくようになるのだ。もちろんこの察知能力は今後のぼくの人生には何の役にも立たないし、明らかにされることもないだろう。それはそうだろう、隣に坐っていた男が突然立ち上がって「ふふふっ、隠しても無駄だよ、君の正体はGメンだろう!」なんて、言われたら、普通の神経の人だったら二度とこの医院には来ない。好きな先生の営業妨害はしたくないから、ぼくは自分の隠れた能力を秘したまま黙って椅子に座っていた。
 痔の患者特有の腑抜けた表情の由来は医師や看護師にお尻を見られているという一点に起因しているとおもう。そもそもお尻を見せているのに、深刻な表情は出来ないのが人情というものだ。このあたりは身体の関係ができた男女を考えれば容易に想像出来ることで、通じ合うことによってお互いの表情のどこかに甘えやら、隙やらが生じるものである。およそ一年にわたるこの医院との付き合いで、ぼくが唯一不満だったのは医師がぼくのジョークに対して、あまり良い反応を示さなかったことで、この点で彼は痔の患者特有の出所不明の劣等感を見誤っているとおもう。その点、看護師や受付の女性はぼくに優しかった。
 手術当日は都心にも薫風が吹き抜ける、痔の手術を受けるにはもったいない、あまりに美しい日だった。受付で診察券を出すとき、ぼくは、
「こんなに素晴らしい日なのに、ぼくは穴グラのように陰鬱です」
 と嘆いたら、素直に笑ってくれた。この笑いは、痔の患者がどうしても感じてしまういわれのない劣等感を理解しているからこそのものなのだ。ぼくは笑ってくれた若い彼女たちが今後の人生で、好きな男以外にお尻を見られないよう心から祈った。
 とここまで書いて、念のために前回の記事を読み返したら、なんとぼくはまだ手術の宣告を受けていないじゃん! あまりのストーリー展開の遅さに、自分自身がついていけないなんて!
 というわけで、次回はもう一度、
「というか、切ったところが裂けて、膿が出ちゃったんです」
「いつですか?」
「昨日です」
 まで戻ってから、リスタートします。お急ぎの方はいませんよね? もしどうしても事情あって、緊急にストーリーの行く末を知る必要がある方は、fbでメッセージ下さい。ぼくに可能なあらゆるアドバイスを差し上げます。

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# by bbbesdur | 2017-03-09 20:48 | health care

#681 痔の話 第7回 

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「また膿が溜まって来たみたいです」
「ほう、そうですか」
 医師はぼくの顔を見ずに、カルテに目を落としながら、曖昧にそう言った。医師はこの間合いで、目の前の患者がどういった症状を持っているのかを思い出そうとしている。だからぼくはしばらく黙った。繁盛している医院だったら、毎日数知れぬ患者たちが訪れるはずで、一人ひとりの顔なんて覚えていられるはずはないのだ。
「また硬くなりましたか?」
 医師は顔を上げ、ぼくを見てそう言った。思い出したのだ。とくに思い出されて嬉しいわけでもなかったが、それでもすこしは親近感が湧いて来るというものだ。なんたってお尻を見られるのだから、できれば見ている(診ていると書くべきか)相手を嫌いにはなりたくない。このあたりは一般の内科や外科の診察と趣を異にするところである。風邪やノロだったら、嫌な医者でも我慢はするが、痔は違う。嫌いな医師には見せたくない(診せたくないと書くべきだが)。やや先走ってしまうけれども、ぼくが一度で終わらなかった手術を失敗と断定せずに、この医師に再度チャンスを与えたのも、この医師のことがどことなく好きだったからなのだ。このあたりの感覚は男の人にお尻を見られたことのある男でないとわからないとおもう。人間、経験が大切なのである。
「というか、切ったところが裂けて、膿が出ちゃったんです」
「いつですか?」
「昨日です」
 医師はぼくに奥の診察台に横になるように言って、新しいゴム手袋を箱から出した。看護師がバスタオルを渡してくれて、ぼくはズボンとパンツを少しだけ下ろして横になり、腰にバスタオルを掛けてからパンツを膝まで下ろした。診察台は壁に面していて、わたしは壁を向き、ややお尻を突き出すようにして医師を待った。この姿勢はシムズ体位といって19世紀に米国の女医が考案した姿勢だそうだ。かつて肛門科といえば、産婦人科とおなじ大股開きの姿勢だったが(あれは砕石位という)、患者の心理負担になるということで近年はこのシムズ体位が主流になっているらしい。じつはフライフィッシングのウエーダーの最大手にシムズというメーカーがあって、考えてみればあそこも元は下半身専門だった。まったくなんの関係もないとしても。
 この調子のストーリー進行だと、今この時点に辿り着くまでにあと一年かかるかも。そのころにはまた新たな痔で悩んでいたりして、もしかすると死ぬまでこのブログ記事は終わらないのか、いや死ぬまで痔が治らないのは困る! ではまた近々に。

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# by bbbesdur | 2017-03-07 21:15 | health care