カテゴリ:flyfishing( 48 )

#593 生きる

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 まるで「生命」という名のモニュメントのように、彼はきっといまでもモンタナの青空を見上げている。
 with E-M5 12-50mm 2012/7 イエローストーン
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by bbbesdur | 2012-08-29 00:51 | flyfishing

#587 Blue Ribbon Flies

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 今シーズンの初めに、ブルーリボン・フライズは毎週発行しているニュースレターで、「ついに店の模様替えをした」とアナウンスした。わたしは、ブルーリボンも時代の波には勝てないのだろうな、とおもってややしんみりとした気分になった。あの気楽な雰囲気がなくなっちゃうのだろうか。ヘンリーズ・フォーク・アングラーズのように、まるでお洒落すぎる店に変貌してしまうのだろうか、と危惧したのだった。わたしは釣具屋は釣具屋らしい佇まいのままであって欲しいと願う古風な釣り人なのだ。
 で、先日行って驚いたことにはなにも変わっていなかった。驚いてクレイグに訊くと、
「おいおい、ユキどこ見てるんだよ、帽子コーナーが入口に近くなったじゃないか」
 というので、安心したわたしはおおいに笑った。

 クレイグ・マシューズはミシガンで警官をしていたが、フライフィシングに没入したくて、志願してウエスト・イエローストーンの警官になった。しかし州がちがえばまるでちがう組織だから、たぶんほんとうにイチから出直したのだろう。奥さんのジャッキーもミシガンの警察で働いていた。警官出動のディスパッチャーをしていて、つまりは職場結婚だ。
「初めはウエスト・イエローストーンの街中に住んでいたんだけど、騒々しいシティー・ライフがイヤだから、街はずれに引っ越したの」
 と、かつてジャッキーはわたしに語った。オフ・シーズンともなればゴーストタウン同然のあの街のどこにシティー・ライフがあるのだ、とわたしは呆れた。朝晩の通勤ラッシュに代表される東京のシティー・ライフを話して聞かせたら、本気で驚いていて「ぜったいに生きてゆけない」といっていたが、たぶんほんとうに生きてゆけないだろうなとおもった。というのも、わたしは以前かつての彼らの家に遊びに行ったときに、こころから驚いたことがあるのだ。大きすぎない平屋の素敵な家だった。それはいい、特別なことではない。問題はトイレに扉がないことだった。部屋の壁のくぼみにトイレはあって、音も匂いも筒抜けで、わたしはじつはかなりうろたえつつ、彼らがほんとうにワイルドな西部の人であることを知ったのだった。じっさいワイルドといえば、クレイグとジャッキーは蚊やアブに刺されすぎたあげくに、結果的に皮膚が反応しなくなって、刺されても痛くも痒くもないというのだから、「アンタら、モンタナの牛かい?」と悪いジョークのひとつもいいたくなる。

 クレイグと最近のフライフィッシング・ビジネスについてしばらく話したけれども、好調が持続しているようだ。これはボーズマンのリバーズ・エッジで働いているリック・スミスもおなじことをいっていたが、リーマンショック後の生存競争に生き残ったショップは、撤退した店が失った収益の受け皿になっているという。つまり市場自体は縮小していない。このあたりは日本のフライフィッシング事情とだいぶ状況が異なる。
 マシューズ夫妻のビジネス手腕は傑出している。ジャッキーは、お客さんはみんなわたしたちのフレンドだから、という。じっさい彼らとの再会を愉しみにウエスト・イエローストーンに毎年もどってくる釣り人もおおい。ふたり以外の店員も、なによりもフレンドリーであることを真っ先に意識するように指導されているにちがいなく、小売店における商売の基本をしっかり守っている、かなり古いタイプの店なのだ。
 先日も、60歳過ぎくらいの紳士がひとりでふらりと店に入ってきて「じつは仕事を引退したばかりで、フライフィッシングでもはじめようとおもってね。フレンドがともかくこの店に行けっていうから来たんだ」といった。
 クレイグは「わたしのいうとおりにしたら、今日中に一匹釣ることができる」と笑って返し、そのあとは自分が世界中に知られた釣り人であることを完全に忘れ去ってしまったかのように、一店員として真摯かつ丁寧に男性に接し始めた。その腰の低さといったら、彼がライズを目の前にしたマジソンの土手にひざまずくときと変わらない。商売と釣りを両立させることは簡単ではないけれども、クレイグ・マシューズはこうやって見事に生活とプライドの切り分けを行って、フライフィッシングを自分のものにしているのだ。
 その男性が頭の先から靴の先までをブルーリボンで揃えることを決めるのに5分とかからなかった。まちがいなく来年もクレイグに会いにくるな、とおもいつつ、話し相手を奪われたわたしは商売の邪魔をしないように、店を出たのだった。
 昔は夏のシーズン真っ只中であっても、朝9時を過ぎればのんびりしたものだった。通りの向かいにあるランドリーの洗濯機に洗濯物を入れてから、ブルーリボンに入ってコーヒーを飲みながらばかばかしい話をして愉しかった。今年は午前中はおろか、午後2時頃まではお客さんの波が引きつ戻りつするという。みんないつ釣りしてるのだろうか?
 with RX100 2012/6 West Yellowstone
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by bbbesdur | 2012-08-12 17:00 | flyfishing

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 出張と研修の間隙を突くように、釣り仲間と会った。40歳から60歳まで、世代は2世代にまたがってはいるものの、フライフィッシングに対する狂熱はまったく変わらない。表参道の素敵なお店に集まったから、ぼくたちオジさん以外のお客さんは全員女性だった。コース料理が終わるやいなや、各自持ち寄った玉手箱(通称リチャードソンと呼ばれるフライ収納箱)を開陳して、フムフムと仲間の工夫を称え合ったが、そんな合間にも奥でこちらを気にしている若い女性たちの声が漏れ聴こえてきた。
「デザイン関係の……」
 釣り関係のオジさんと見破られることはなかったようだ。じっさいこのなかの2名はプロのデザイナーなのだから、彼女たちの推測も、悪くはなかった。
 じつはぼくらオジさんたちは、ちいさなフライフィッシング倶楽部を発足させようとしていて、この日は倶楽部ロゴを選定するための東京会議だったのだ。プロのデザイナーふたりの間に見えない火花が散ったようにおもえたが、無事落ち着きベきところに落ち着き、そこは紳士なのだった。ただいま東京の結果を大阪のオジさんたちに伝えて、大阪会議での決定を待っているところである。
 with XZ-1 2012/6 表参道
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by bbbesdur | 2012-06-09 15:07 | flyfishing

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 今日の午後4時頃、雲ひとつない晴天から唐突に出現した大仕事のために、来月に予定していた(もちろん航空券も宿もレンタカーも予約した)モンタナ行きが中止になる可能性が出てきた。
 釣り人は釣りをするために生きているのであって、仕事をするために生きているわけではないのだから、釣りの妨げになる仕事をしてはならない。A River Runs Through Itにはそんな至言があって、ぼくは頑にその言葉を信じて生きてきた。
 じっさいぼくよりもさらに激しくこの言葉に同調している釣り人がいて、ぼくらフライフィッシング仲間に「トラウト・バム」と呼ばれている男たちがそうだ(女はいない、はず)。彼らは春から秋にかけてずっと車で寝起きして(カーネル)、釣りをする。そして釣りの出来ない冬の間は季節労働をする。
 ぼくは釣り人でありながら、サラリーマンであって、トラウト・バムではない。結局はその中途半端さがいけないのだ。定職についているからには、なんらかの責任がくっついて回る。その責任とやらが、釣り人を釣り人でなくしてしまうのだ。つまり、言葉を換えれば、釣り人は常に無責任でなくてはならない、という結論になるわけで、ぼくは自分でも驚くべきことに、残念ながら、ほんとうの釣り人ではないのかもしれない。
with D700 24mm/1.4 2010/6 モンタナ
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by bbbesdur | 2012-05-19 00:05 | flyfishing

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 じっさいに川辺に立つのはまだひと月以上先のことだけど、先週末毛ばりを巻き始め、ついに今年のフライフィッシングが始まった。今年はモンタナに長期滞在するつもりでいるから、いつの年になく、はや興奮ぎみだ。釣ったことのないあの川を、いつものあの川も、あいつの顔も見たい、いっしょに釣りたい、美しい写真を撮りたい、トロフィー・サイズを釣りたい、などと想いを巡らしながら、毎晩ベッドでモンタナのフィッシング・ガイドを読んでいるいまこそが、もっとも幸福なのだろう。
 夏に仕事がピークを迎えそうなことと、かつ現時点でモンタナの積雪が異常にすくないこともあって、いつ出発するかは来月末にならないと決められないが、なにはともあれ必需品のスパークル・ダンから巻くことにした。オリジナルではなくて、ボディをダビングしないImprovedの方だ。1日10本巻けば、6月までには1,000本巻くことができる。でも、1,000本あっても、肝腎なときに必要な、あるべき1本がないから困る!
 with FujiFilm X10 2012/2
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by bbbesdur | 2012-02-07 00:05 | flyfishing

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 もしも地球上からニワトリがいなくなってしまったら、世界中の朝食が混乱する。人間のことだ、ウズラの飼育と品種改良でなんとか危機をしのぐだろう。あるいはそのうちダチョウとウズラを強引に(どうやって?)交尾させて、中間ぐらいのおおきさの卵を生む怪鳥ダチラが朝食メニューとして定着するかもしれない。
 じっさい目玉焼きはあの一個の黄身と白身の比率と大きさこそが全世界で朝食として愛されている由縁であって、大食漢のおおい米国ですらも、朝食の目玉焼きは二個までが通常である。やはり朝から目玉が二つ以上あるのはマズいのだ。コレステロールの問題は別として、 蜘蛛ではあるまいし三つ目以上は新しい一日のスタートにふさわしくない。ウズラの目玉焼きは百目鬼のような醜さ極まりないデコレーションになってしまい、人々は朝のテーブルに悪夢を見ることになるだろう(そもそも、だれが名づけたのか、よくよくかんがえてみれば「目玉焼き」という名称そのものが、かなりグロテスクではある)。
 さらに、もしも世界からニワトリがいなくなったら、100%の確率でケンタッキー・フライドチキンは明日倒産する。もちろんカーネル・サンダースはプライベート・サンダース、よくてサージャント・サンダーズまで降格だ。
 もしも世の中からニワトリがいなくなっても、わたしはがんばって生きてゆきたい。たしかにおでんの、あの絶妙な色のついた卵がなくなるのは寂しい。でもカツ丼に卵がなかったら、トンカツ定食ですませることができるくらいの柔軟性はある。親子丼はたしかに厳しい。でも普通の白ごはんとおもえば、梅干しとタクアンさえあればなんとかなる。53年も生きてきたのだ、そのくらいの世界の変化には対応しないと。
 でも、ほんとうはどうしても困ることがあるのだ。ニワトリがいなくなったら、絶望のあまり川に飛び込んでしまうかもしれないくらいの重大事が。
 じつはニワトリがいなくなると、毛ばりが巻けなくなるのだ。
 フライフィッシングという釣りのジャンルのなかにあって、20世紀中盤に人気が定着したのが、ドライフライ・フィッシングといって、毛ばり(フライ)を水面に浮かべて釣る方法である。見えている毛ばりに鱒が喰らいつき、その瞬間に合わせなくてはならない。一瞬の駆け引きに伴うスリルと興奮に満ち満ちていて、釣りが漁ではなく、遊びであることの証左そのものの釣法である。そしてその毛ばりが基本的にニワトリの羽毛で作られるのだ。この20年ほどは鴨のお尻の毛の人気に押され気味ではあるが、万能性と耐久性からニワトリの羽毛を好む釣り人ははるかにおおく、いまだに毛ばり材料としてメジャーの地位を失っていない。
 わたしの人生はフライフィッシングと同義なので、ニワトリが絶滅したと同時に、わたしの人生も終わるのだ。フライフィッシングができなくなってから以降、もしも生きていたとしたら、それはまさしく余生と呼ぶにふさわしい日々となるだろう。
 渓流釣りは春が来るまでは禁漁だから、その間シーズン中にできない、いろいろなメンテナンスをする。なかでも虫の湧きやすいニワトリの羽毛の日干しはハウスダスト・アレルギーのわたしにとっての重要な冬の儀式であり、おなじ理由で古本を日に晒すように、オフシーズンにこれをやっておくと、いざ毛ばりを巻くときにクシャミが出ない、ような気がするのだ。
 というわけで、周回遅れで元旦に始まった大掃除が今日で終わり、ようやく新年を迎えられる態勢になった。明日は、朝からお屠蘇か、雑煮か、おせち料理か、といいたいところだが、新しい年も、はや7日を過ぎて七草粥すら終わってしまっているのだった。いや、しかし、それでいいのだ。目玉焼きがあるじゃないか。新年こそは、目玉焼きでスタートしなくては、真のふらい人とはいえないのである。
 with FujiFilm X10 2012/1 自宅庭(中央下の白いのが雄鶏の、そのふたつ左の白黒の縞模様のが雌鶏の、それぞれ首から下の羽毛。縞模様のひとつ上にある女性の長い髪のようなグレー、あるいはおなじ列の右側に並んだ茶色いふたつが腰の辺りの羽毛。昨年はこの腰のあたりの羽毛が女性のファッションとして流行したのです)
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by bbbesdur | 2012-01-09 00:04 | flyfishing

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 山に登る理由はわかった、しかしなぜオマエは釣りをするのか? と問われると、立ち止まってしまう。山に登るよりも、おそらくはさらに本能に強く根ざしている欲求がそうさせているにちがいないのだが、本能に近いからこそ、思考や論理が役に立たないのである。本来、釣りをする理由は「明日を生きのびるため」である。キャッチ・アンド・リリースがあたりまえのフライフィッシングという遊びで、ぼくたちが夢中になっているのは、おそらく「釣りの形骸」である。形骸だからこそ遊びとして成り立つのである。
 with GRD3 2011/8 富山
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by bbbesdur | 2011-09-05 23:59 | flyfishing

#465 165cmの虫に五分の魂

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 今回の山小屋における個人占有スペースはちょうど畳一畳だった。山小屋は来るものを拒ま(め)ないという大前提があるから、登山者が増えるとそのまま小屋はふくれあがる。混雑すると3人で2畳という状況も発生するらしい。だから布団1セットにつき、枕がふたつある。もちろん女性と男性を別々の部屋に分ける余裕なんてない。ぼくの布団から、通路を挟んだ向こう側の仕切りには女性が寝ていた。
 だからかどうか、山小屋での2日目の夜、暗がりのなかで目を覚ました。窓を見上げたら、満天の星空だった。薄汚れたちいさな窓越しに、星たちの投げかける光は眩しいほどだった。
 時計を見ると午前2時過ぎだった。消灯が9時だから、身体時計が狂ってしまうのだ。寝床から這い出し、腕時計の照明で通路を照らし、1階へ降り、山小屋の外に出た。
 星座の形がわからないほどの星屑のなかに、さらに光の砂を撒き散らしたように天の川が広がっていた。この光る砂のひとつひとつが銀河系の恒星だなんて、どうやって信じればいいのだ。
 星空に圧倒されて自分という存在の卑小さをおもい知ったのか、あるいはこういったときに自身の卑小さをおもい知るのが状況的定番だから安易にそうおもってしまったのか、判然としないが、ぼくはそのとき、じっさいほんとうにちいさな虫になったような気がした。
 しかし卑小だからといって、まるっきり価値がないわけでもない、たぶん、とおもって、いつもどおり安易に自分を慰め、部屋にもどろうとしたときだった。
 山小屋の入口前にひとつだけある細長い木製テーブルの上に、ひっそりと黒い死体袋が置かれていることに気づいた。その死体袋が、黒い寝袋で(おそらく)なかに人が寝ているだろうことがわかった後でも、ぼくの心臓は高鳴りつづけた。なにしろこの山小屋裏の崖からは、14年前に従業員が転落して死んでいるのだ。
 暗がりのなかで、どうしても死体袋にしか見えない寝袋をじっと見つめながら、なぜこの人物はこんな細長いテーブルの上で寝ているのだろうかとかんがえた。じっさいテーブルといっても大人の身体がはみ出さない程度の幅しかないのだ。寝返りを打ったら、即、落下である。海外の5,000メートルを超える山への登頂の際には、ザイルで宙づりのまま眠ることさえあるから、練習しているのかもしれなかった。さすがにテーブルは高さが1メートルもないから、ザイルを結ぶのは恥ずかしかったのかもしれない。
 それにしても、 こんなにまでして山に登りたがるのは(一昨日も書いたように)、 我々人間が努力好きであるからにはちがいない。そしてその努力の源泉となっているのが、生きている証左を求めて止まないこころであり、まさしく卑小な生き物に五分の魂が宿っているからこその哀れさなのである。
 with D700 12-24/2.8G ED 2011/8 薬師沢小屋
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by bbbesdur | 2011-09-04 17:10 | flyfishing

#464 山は女性のために

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 登山道でも、山小屋でも、女性の数は男性を圧倒していた。すくなくとも男性は高校や大学のワンゲルでもなければ、大集団で登ってはこない。若い女性は集団を形成しないが、中年以降の女性はたいがい大集団で、「先生」と呼ばれる男性がリーダーを努めている。この女性たちの騒々しさときたら、山が鳴るほどである。しかもぼくなんかより、はるかに楽々と登ってゆくから憎らしい。
 with D700 70-300/3.5-5.6 ED 2011/8 太郎平まで約2キロ地点
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by bbbesdur | 2011-09-03 23:59 | flyfishing

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 山は静かだった。古傷の右膝が痛んだ。ひとり、パーティから遅れて歩んだ。山道を歩きながらかんがえた。なぜ人は山を登るのだろうか、と。もちろんマロリーの「そこに山があるから」という答えを封印して。
 一刻も早くこの苦痛から抜け出したいと願いながら、ぼくはかなり真剣に自分のこころと向き合った。そして自分のなかにその苦行を愉しんでいる自分自身がいることを発見したのだ。苦痛が好きなのではない。おそらく人は努力することが好きなのである。自分に努力させるために、人は山頂を目指すのだ。
 登っているときはあまりに苦しくて、その喜びに気づかないでいる。それどころか、「二度と山なんて登らない!」くらいのことは30秒に1度はこころに誓う。それなのに山から下りると、またぞろ登りたくなるのは、努力が好きだからだ。
 写真の奥は日本百名山のひとつ薬師岳だが、ここまで来るのに5時間、頂上まではこれからさらに3時間かかる。努力が好きだなんて、人間とはなんと因果な生物であろうか。
 D700 12-24/2.8G ED 2011/8 太郎平
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by bbbesdur | 2011-09-02 23:04 | flyfishing