#694 痔の話 第20回



 診察室から戻ってきた看護師は消え入るような声で、

「すみません、ないんです」

 と言った。医師は一瞬沈黙した。ぼくはなぜか不意に「神隠し」という言葉を思い出した。神様サイドに何らかの理由や事情があって、メスを隠しているのかもしれなかった。

 ぼくの長い会社人生の中で、この看護師の立場になったこともあれば、医師の立場になったこともある。この時の医師の気持ちは痛いほどよくわかった。医師が必要としていたメスを準備していなかったのは看護師の責任でありながら、その指示が徹底されていなかったという点で上司である医師のマネジメント・ミスでもある。能力に秀でた部下を持つ上司は楽だが、能力の劣った部下を持つ上司は辛い。というのも部下の尻ぬぐいをしなくてはならないという現実的な手間暇、苦労もさるもことながら、それよりも自分のマネジメント能力不足が部下のミスによって証明されてしまうことが辛いのだ。だから一般的に能力のない上司は、腹いせに失敗した部下を叱咤する。部下に恵まれていないことを嘆き、自分のマネジメント能力を棚に上げる。しかしこの医師は上司の器の大きさが試されるようなそんなシーンでこう言ったのだった。

「そうですか、なくても問題ありません」

 安堵した看護師の心持ちがぼくにも伝わってくるような空気がお尻越しに漂ってきた。しかしながら看護師の安堵とは裏腹に、透明な波が打ち寄せるビーチを凝視している患者としては限りなく不安だった。なくても問題ないとしても、あるに越したことはないはずで、元来、道具というものは大概の場合、汎用性ではなく、専用性を指向しているものなのだ。先日、fbでいただいたFさんのコメントのように、スコップが必要なシーンでありながら、強引にユンボを使わざるを得ない状況なのではないかと疑ったのだ。なにしろこの医師は手術の腕前はともかく、患者との心理的駆け引きに長じていて、患者に不安な気持ちを抱かせない手練手管を心得ているから、医師の言葉をそのまま素直に信じることは出来なかった。医師はもちろんぼくが透明な波が打ち寄せるビーチを凝視しているふりをしながら、全身を耳にして彼らの会話を傍受していることを知っているのだ。それを十分わかっていながら口にする「なくても問題ありません」という返答は、間違いなくぼくに向かって発せられた言葉のはずだった。




[PR]
by bbbesdur | 2017-06-20 22:59 | health care



 手術が始まっているというのに必要な器具が準備されていない。医療現場に限らず多くの業務現場でこういったことは日常的に起こっているのだろう。前回のfacebook記事へ昔の仕事仲間S.F君が以下のようなコメントをくれた。

「水道管が埋まっている地面を掘るのに、ユンボで掘ると破裂してしまうかもしれないがスコップがない(中略)という状況」

 S.F君はだいぶ前に会社を辞めて、奥さんの実家ビジネスを継いだはずで、たしか水道系の仕事だったと思う。とてもわかりやすい比喩だ。ひび割れた水道管は自分の身体を修理してくれる工事業者の到着を待ちかねていたというのに、待った挙げ句に、スコップがないだって!

 傷ついた土まみれの姿を地中に埋もれさせたまま横たわっている水道管に感情があったなら、その心中は察するに余りある。おそらくそれは人間の言葉で言うところの「絶望」だ。軽く明るい性格の水道管だったら、

「あのー、スコップなら向かいの家にあるとおもいますけど」

 くらいの一言は言うかもしれないが、大半の水道管は生まれながらにして寡黙なタイプが多いと思う。ぼくは全身そのものが水道管ではなく、下水用のパイプが腐食しただけだからほんとうに幸運だった。もしもう一度生まれ変わるチャンスに恵まれたとしても、水道管と釣りが好きじゃない男だけにはなりたくない。

 必要な器具がないのに、麻酔をかけられ、既にして第一刀は肉を切っている状況で、ぼくはこのクリニックを選んだ自分自身を呪っていた。気が短くて、気が強い人なら、

「メスの準備もしないで手術を始める病院があるか!」

 と怒鳴っていたかもしれない。ぼくは気は短いけれども、気が強くはないから、文句を言った後の医師の報復を恐れて黙ったままでいた。麻酔が効いていないことを知りながら、いきなりユンボで地面を剥がされる想像だけで、気絶しそうになるではないか!

 手術は医師の他に2人の看護師によって行われていたが、ひとりの看護師がメスを探しに手術台から離れて行く足音が聞こえた。手術室、そして診察室を見て回っているようだったが、

「ビンゴー!」

 の声は聞こえてこなかった。

 戦況の悪化を覚悟したぼくの目の前には、例の透明な波が静かに打ち寄せるヌーディスト・ビーチがあったけれども、気のせいか空の色が風雲急を告げるかのように薄暗くなり、遠くの波間には敵の上陸用舟艇が上げる波しぶきが見えるような気がした。



[PR]
by bbbesdur | 2017-05-31 18:25 | health care

#692 痔の話 第18回

a0113732_23565004.jpg

 その日、12本目の注射が打たれて手術が始まった。これだけ打たれたのだから、さぞかし麻酔がお尻全体に回っているだろうというぼくの希望的観測をまるで無視するように、その注射もしっかり奥まで突き刺さり、必要以上に痛かった。医師は麻酔が効くように少し間を空けてから、

「では、始めます」
 と宣言した。
「はい、お願いします」
 とぼくは答えた。やっぱり少し怖かった。こんな注射一本で痛みを感じないはずがないと思った。きっとぼくとおなじような恐怖を感じる患者も少なくないのだろう、目の前5センチに迫っている壁にはどこか知らない国の、知らない島の、透き通った水が柔らかに打ち寄せている浜辺の写真が掛かっていた。患者が痔の手術をしていることを少しでも忘れることが出来るような配慮なのだろう、じっさい少し気持ちが和らぐように思えた。10センチx5センチほどの小さな写真だったが、何しろ文字通り目と鼻の先なので、たしかに美しい浜辺に横たわっているような気にもなる。もちろんそこはヌーディスト・ビーチで、ぼくは今お尻を出したセミヌードで、隣りにはとびっきり美しい女性が裸で寝そべっているのだ。しかし彼女にお尻を向けているぼくには絶対に彼女の姿を見ることが出来ない。なんという不幸だろう。地の底からの廻廊の途中で絶対に振り向いてはならない、振り向いたら最愛の女性とともに冥界に堕ちる、というオルフェ神話に登場する洞窟が、こんな東京都心のど真ん中に空いているなんて。じっさい神話世界というのは、時代を問わず、現実世界の隣にぽっかりと空いているものなのだ。村上春樹の小説に頻繁に出てくる「井戸」のイメージのように、ぼくが今まさに書き進めているこの書き下ろし純文学超大作『痔の話』では、もちろん「K門」が主人公の抑圧された心理の重要なメタファーとなっているわけだが、作者が作中で自作品の解説をするのはタブーというもので、吉行淳之介が『砂の上の植物群』でやった時も批判されたから、止めておこうか。
 明らかにメスが肉を切っている感覚があって、ぼくは神話世界からいきなり東京に舞い戻って来た。痛くはないのに切られた感覚があるっていうのは、決して気持ちの良いものではなかった。というのはかなり控えめな表現で、じつのところ、皮一枚向こうにある激痛の予感、という感じだった。
「xxxxxxのメス」
 と医師は看護士に言った。すると看護師は少し慌てたように、医師の言葉を聞き直した。医師は、
「細い方の」
 とだけ言った。看護師はさらに慌てて、トレイの中を探しているのだろうか、金属が触れ合う音がした。医師の、
「ちょっと見せて」
 という声がして、すぐに、
「ないね」
 と断定した。




[PR]
by bbbesdur | 2017-05-22 18:50 | health care

a0113732_21345397.jpg

「それでは麻酔の注射から始めます」
 医師はそう言った。始めるも何も、すでにして注射を打てるだけ打ってるじゃないの! と思ったが、医師はふたつの手術を別物と認識して処置しているのだった。横たわった一患者としては、ほんの少し前の注射と同じヤツをまたまた打たれるだけのことだ。ぼくは極めて冷静に、今度のヤツがこの日12本目の注射であると計算していた。計算と言うのが憚られるような、これ以上ない単純な足し算だとしても、ともかく1日に12本も注射打たれたことある人って、そうそういないでしょ。念のために言っておくけど、BCG注射は全部で18個の痕が残るけど、あれは1本としてカウントするんだからね。もしギネスに挑戦する気があるなら、断然ジオン注射を薦める!
 ところで例によってどうしても話は逸れていくわけなんだけど、蚊に刺されるとなぜ痒いか知ってる? ぼくは、バイ菌が含まれているから痒くなるんだ、というような日本脳炎的かつ感覚的な連想をしていたけれども、それはまるで違っていた。多くの人にはとても信じられないだろうけども、これは厳然たる科学的事実だから心して聞いて欲しい。
 蚊に刺されたとき、当然1本の針に刺されるとおもっている人が多いとおもうが、じつは6本の針に刺されている。蚊は人間の皮膚に止まると、まず下唇と呼ばれる部分から3本のノコギリ状の針を突き刺すらしいのだ。その針に人間の感覚を麻痺させる麻酔薬的な唾液が含まれていて、痛い!って感じさせないようにしているらしい。人間の手術と同じ手順だ。その後、上唇、そして大顎から血を吸い上げる3本の針を突き刺して、一気に血を吸い取る。で、なぜ痒くなるかといえば、その麻酔薬、つまり蚊の唾液が人間の皮膚にアレルギー反応を誘発させてしまうからなのだった。蚊が1回に6本の針を突き刺しているなんて、絶対に許せない! もし3匹の蚊に刺されたら、ぼくのギネス並みの記録もあっさりと更新されてしまうではないか! 今年の夏は栗林中将なみに、徹底的に我が身を守ってみせる。蚊よ、かかってこい!

[PR]
by bbbesdur | 2017-05-11 21:51 | health care

a0113732_19493460.jpg

「あと一箇所だけです。もう少し我慢してください」

 全部で3箇所あるのに、あと一箇所だけと言うのフェアじゃない。まだ三分の一が残っているじゃないか、と思いつつ、しかしぼくはマンマと医師の気休めに乗せられてカウント・ダウンを始めたのだった。あと3本注射を打てば、とりあえず前座は終わる。

「ちょっとチクリとしますよ」

 注射針がはっきりとお尻の粘膜に刺さった感覚があった。

「あっ、ちょっと痛い・・・・・・です」

「あ、やっぱりそうですか」

 やっぱり・・・・・・、って。発せられる言葉の一つひとつに意味を探ろうとする患者の心を知っている医師は、

「最後のヤツはK門に近いので、神経が届いているかもしれませんね」

 と言って、看護士に麻酔の注射を追加するように指示した。

「はーい、13番さん、おかわり一本!」

 合計お銚子11本となるわけで、さすがに酩酊もするだろうよ、と観念したぼくに医師は、

「ちょっとチクリとしますよ」

 と言って注射針を刺した。医師はまったくわかっていないのだ。チクリだって、これだけ飲めばボディーブローのように効いてきて朦朧としてくるものだ。

 そして医師は最後の痔核の周囲3箇所にジオン注射を打った。麻酔はまるで効いていないように感じたが、効いていなかったら絶叫するほど痛いのかもしれなかったから、たぶん効いていたのだろう。この時ぼくは、注射をする痛みを柔らげるために注射をする意義について疑問を持たないではいられなかったのだが、質問する余裕などなかった。

 医師がジオン注射の終了を宣言したとき、ぼくは既にして9回を投げきった先発ピッチャーのように疲弊していたが、信じられないことにはダブルヘッダーの2試合目もぼくの先発が予定されているのだった。

「では今度は痔瘻の処置をします」

 医師はほとんど間を置かずにそう宣言した。ぼくはユニフォームさえ着替えずに、汗だくのままマウンドに立った気分だった。三塁側のアルプス・スタンドからは相手チームの声援が聞こえてくる。

「かっ飛ばせ――XXX、BBB倒せ――、オー!」

 おそらくそれは幻聴だったのだろう、医師はかなり冷静に、

「ちょっとチクリとしますよ」

 と言った。それはぼくの耳に「プレイボール!」と聞こえた。


 

[PR]
by bbbesdur | 2017-05-03 20:10 | health care

a0113732_20291663.jpg

「順番的には痔核の処置をして、その後に痔瘻の処置をします」
「ハイ」
 ぼくは「順番的には」という言葉が、きっとこの医師の常套句なんだろうとおもった。正しい日本語とは言い難いのに、どこか言い慣れた気配があった。言葉というのは不思議なもので「なるほどですね」のように、正しくなくても納得出来る響きが備わっていると、かえって癖になりやすいのだ(そういう人って、皆さんの周囲にもいるでしょ?)。きっとこのふたつの「処置」のコンビネーションは珍しいことではないのだろう。ぼくはそう自分に言い聞かせて、自分を元気づけた。
「まずK門に局部的な麻酔をします。そのあとで痔核の周囲に3箇所ジオン注射をします」
「ハイ」
 手術台で医師にお尻を向けて横たわったぼくは、これから自分の身に起こるであろうことを想像しながら、それでも楽観的であろうとしたのだったが、しかしどうにも腑に落ちないことがあった。というのも、痔核が出来ているのは直腸の部分だから痛覚がないはずだ。なぜ痛みがないはずの直腸部に注射するというのに麻酔する必要があるのだろう? 1箇所の痔核に3回の注射ということは、3x3=9+麻酔の注射=10回の注射だ。10回かよ。でもまあいい、いずれにしても麻酔の注射さえ我慢すれば、あとは無痛のはずだ。それも歯医者で経験するような局部麻酔の注射と言うのだから、たいしたことはないだろう。
 そんなぼくの疑問+疑心暗鬼などおかまいなしに、
「ゴメンなさい、ちょっとチクっとしますよ」
 医師はそう言って、K門の奥に注射針を刺した。はっきりと痛かった。チクリという歯医者の注射と違って、奥まできっちりと刺し通すから、はっきりと、かつ持続的に痛かった。
「では、ジオン注射をします。痛かったらそう言って下さいね」
「ハイ」
 医師はそう言った。もともと直腸部は痛みがないはずだし、麻酔までしたのだ。ぼくは医師の言葉は聞き流すことにした。
 しかしなぜか注射は痛かった。歯状線より奥にあって感覚のないはずの直腸への注射がなぜ痛いのか? しかも麻酔までしたというのに。ぼくは痛みと理不尽さの両面攻撃に心身ともに苦しんだ。まさかぼくの直腸だけが突然変異で神経付きっていうはずもない。つまり医師は気休めを言ったに違いなかった。まさか10回痛い後に、いよいよ本番が待っているなんて言えなかったのだ。
 ぼくは我慢した。
 痛かったらそう言うように、という医師に対して遠慮したのではなく、言ったところでどうにもならないと悟ったからだ。あと8回もこの同じ痛みを我慢した挙句に、ノルマンディー上陸作戦並みの総攻撃が待っているのだ。その時、ぼくは硫黄島の栗林中将の心境がわかった気がした。
 誰も助けてはくれない。徹頭徹尾、我慢することだけがぼくに出来るすべてなのだった。負けて、勝て! とぼくは自分を奮い立たせた。まさかその数ヶ月後に悲惨な沖縄戦が待ち受けているとは思いもつかずに。

[PR]
by bbbesdur | 2017-04-22 21:08 | health care


午前中の患者たちが去った後の待合室はガランとしていて気持ちが良かった。緊張してはいない。ぼくはそう思いたがっていて、客観的に自分の心境を分析することが難しいシーンだった。しかしながらぼくは経験的にそういったケースではほぼ100%自分が思いたがっている方とは真逆に真実があることを知っている。だからぼくは自分が緊張しているのだと判断した。窓の外で気持ち良さそうに揺れている欅の葉を眺めながら、緊張しているのに緊張していることを認めたくない自分を男らしいと思った。ジョン・ウェインやハンフリー・ボガート演じる主人公が痔の手術を受けたなら、きっとこんな感じだろうというような。そんなヒロイックなぼくだったが、診察台のある部屋から看護士が顔を出し、ぼくの名を呼んだから「あっ、ハイ」と答えて立ち上がった。診察室はいつもと変わらず病院らしい消毒液の匂いを漂わせていた。

手術とはいえ、いつも診察を受けるときとさほど心境に違いはないように思えた。もちろんそう思いたがっていたわけで、だからほんとうはとっても緊張していたわけだ。ぼくの脳はかなりズル賢くて手強いから、すぐにぼくを騙しに掛かる。いろいろと心理的な分析をしてからでないとほんとうのことがわからないから手間が掛かって仕方がない。それで思い出したけど、男と女の最大の違いって知ってるかな?

「女は自分を騙すことが出来る」

らしいんだけど、女性の皆さん、ほんとうですか?

と書いたところで、突然この言葉の出処を思い出した。なんと、前回久しぶりに名前を思い出した田村隆一じゃないか。これはストーリー展開上意図的に仕組んだんじゃなくて、いまじつは飛行機の中でこれを書いているんだけど、じっさいビックリしたのだった(ストーリー展開って何のこと? 今回も全然展開してないじゃないの! という声が聴こえてきそうだとしても)。普段彼の詩のことはほとんど忘れて生活しているけど、印象的な言葉はしっかり脳内に定着していて、知ったかぶりをする必要のあるこういうシーンでポン!と出てくるものなんだなあ、と感慨に耽りつつ、ぼくは窓の外に広がる雲海を眺めるのだった。今日はかなり揺れが激しくて、さっきフライトアテンダントがコーヒーのキャップを持って来た。メチャクチャ明るいアテンダントで、思わず「明るいねえ」と声を掛けてしまった。コーヒーのキャップを持ってくるだけのことで明るさを表現するのって至難だとおもう。彼女が乗っている飛行機だったら絶対に落ちないと思えるくらいの明るさなのだ。明るいって、ただそれだけで他人を幸福にする。ユナイテッドにも彼女みたいなアテンダントがいれば、あんなことにはならなかったかもしれないけど、で、なんだったけか、そうそう、若い頃に田村隆一のその言葉を知って、ぼくはハタと膝を打ったのだった。なにしろ5回結婚している男の言葉だけに説得力がある。ウイスキーを薄めるように言葉を意味で薄めてはいけないというストレートな詩人だ、言葉は戦艦大和の錨のように重い。なんだか女性の不思議が解明出来た気さえしたのだった。

この世の大半の女性においては、何はともあれ、自分が他人からどう見られているか(内面外面共に)という一点が最大の関心事だとぼくは信じている。よく言われる「男っぽい女性」は見かけとは無関係にこの一点の印象が女性らしくないと思わせているんじゃないかとおもうのだ。いずれにしてももし自分を騙すことが出来るなら、どう見られているかという点ではかなり都合の良い解釈が出来るだろうな、人生を楽に出来るだろうな、と男のぼくは羨望するのです。

で、女性の皆さん、自分を騙せるってほんとうですか?

と聞いてもわからないところがミソなんだよね。なんたって自分を騙せるんだから。男は自分を騙せないからつらいんです。

診察台に横になったぼくはツラツラとそんなことを思っていた、わけではなく、じつは、生まれてこのかた自分が手術と呼ばれる措置を受けたことがないことに初めて気付き、どこからともなく忍び寄って来た不安と恐怖をうっちゃろうと、3ヶ月後に予定しているイエローストーンでの釣りのことだけを考えることにしたのだったが、ウォシュレットのないモーテルやそれどころかトイレすらないキャンプのことを思い出して暗然としたのだった。こういうときにこそ底抜けに明るい看護士がいて欲しいとおもうほどに。


[PR]
by bbbesdur | 2017-04-17 20:00 | health care

a0113732_22433775.jpg

 手術実施の宣告からおよそ1週間経った、ある晴れた日に、ぼくは再びクリニックを訪れた。街路を薫風が吹き抜け、5月の陽光を浴びた街路樹がキラキラと輝いていた。季節はぼくのお尻の状況とは、まるで無関係に夏に向かって歩調を速めていた。世の中はこんなにも輝いている。ぼくだけが憂鬱なのではない、ぼく以外にも今日のこの美しい日に痔の手術をする人がいるんだ、とあてどない共感を求めて空を見上げた。上空の遥かの高みを西に向かう旅客機が飛んでいた。その飛行機を見上げながら、座席にずらりと並んでいる乗客のお尻の想像をしている自分が哀しすぎた。いったいぼく以外の誰が空を飛ぶ飛行機を見上げて、そんなことを想っているというのだ。
 医師ひとりの小さなクリニックだから、手術は午前と午後の診察時間の合間に行う。つまり手術がある日はお昼休みが短くなるから、看護士たちはきっと患者を恨んでいるに違いない。しかもランチの直前にK門を見たり、触れたりしなくてはならないのだ。つくづく因果な商売だと溜息まじりに術後の患部を消毒しているのだろう。しかし患者のこちらだって、何も好き好んで皆さんにK門を露出しているわけではないのだ。看護士はお金をもらってK門を見て、患者はお金を払ってK門を見せるのだから、不思議なものだ(たぶん全然不思議ではない)。
 クリニックに到着すると、午前中の最後の患者が会計を済ませたところだった。ぼくは診察券を出しながら、カウンター越しにリーダーらしい受付の女性に語り掛けた。
「こんなに素晴らしい日なのに、ぼくだけが……」
 彼女はとびきりの笑顔をぼくに見せながら、
「きっと明日は素晴らしい日になってますよ」
 と言ったのだ。ぼくは『風と共に去りぬ』の「Tomorrow is another day」を思い浮かべつつも、彼女の言った明日という日の明るさを信じる気にもなったのだった。笑顔は魔法で、言葉は呪文だ。言葉があるからこそ、ぼくたちの世界には意味が渦巻き、ひいては人生にさえ意味を見出さないと生きていることにはならないような錯覚に陥るわけだ。かつて詩人田村隆一は『言葉のない世界』でこんなことを言った。

 ウイスキーを水でわるように、
 言葉を意味でわるわけにはいかない

 さすがだよね、田村隆一。居合抜きのように、詩の中に一閃言葉が煌めく。そうして出来上がった詩にぼくたちが意味を探ることを知っているからタチが悪い。4回離婚して、5回結婚しているけれども、別れた元妻たちから恨まれなかったというから、よほどいい加減な男だったんだと思う。
 というようなことを、そのとき思ったわけじゃないけども、まあぼくが内向きになっていたことだけは事実だ。

 そりゃあそうだよな、
 痔の手術の当日に、
 明るく輝いているヤツがいたならば、
 きっとソイツは太陽だ。

 やっぱ1回も離婚してないから詩も不出来だ。ところで文学者と言えば、芥川龍之介だって痔じゃなかったら、自殺しなかったかもしれない(ちなみに芥川は前回の記事で説明した内痔核が外に出てくるタイプの痔で、温めたコンニャクを使って痛みをうっちゃっていたらしい)。それもこれもK門が暗鬱な穴蔵だからいけないのだ。神様がもう一度人間を再創造するチャンスがあって、ひとつだけ希望を聞いてくれるなら、ぼくは人類を代表して「明るく開放的なK門」を希望する。便秘に悩んでいる人も、痔に悩んでいる人もいなくなり、地球は喜びに溢れる惑星になるだろう。


[PR]
by bbbesdur | 2017-04-11 23:10 | health care

a0113732_09304593.jpg

 診察を終え、改めて診察室の椅子に座ったぼくに向かって、医師はお尻の断面模型を見せた。ぼくの痔核は内痔核と言って、歯状線(しじょうせんと読む)の内側に出来たイボ状の腫れ物のことである。歯状線はK門の奥にある。K門は外側からはシワシワの円い穴に見えているから(ぼくを含む多くの人が自分のものを見たことがないんじゃないかな)、ぼくたちは普段K門を2次元的に意識しているが、医学的には奥行きは3センチ前後あるのが普通だそうだ。で、この3センチ先には直腸がある。その直腸とK門の境目がギザギザになっていて、そこを歯状線と呼ぶのだ。つまりぼくたちが一般的にイボ痔を指しているのは、この歯状線より外側、つまりK門に出来た腫れのことで、外痔核という。ところが歯状線から内側の直腸側が腫れることもままあって、それが内痔核である。腸には痛みを感じる神経はないから内痔核そのものは痛くない。痛くなるのは内痔核が腫れ上がり、歯状線の外側、つまりK門に飛び出したケースだ。ぼくのは3つとも完全な内痔核だから痛みはなかったが、医師はついでだから処置することにしましょう、とぼくの意思を問わずにそう決めた。
「処置というと?」
「注射を打つんです、もともと神経がないところだから、あまり痛みは感じないと思います」
 そうこれが「切らずに治す」噂のジオン注射なのであった。ぼくはひとまず安心したが、肝腎の痔瘻についてどうするのかの説明はない。ぼくは恐る恐る聞いた。
「Bさん、痔瘻というのは、切らずには治せないんですよ」
 医師は銀座のアップル・ストアでMAC BOOKの値引きを訊いた客に対して「大変申し訳ありませんが、あいにくお値引きをすることは出来ないことになっておりまして」と笑顔で答える店員のように、使われている丁寧な言葉づかいと表情とは裏腹に、この決まりごとに例外はないという断固たる信念を表明した。一般的にはポーカー・フェイスが多いこの業界で、この医師はどこか役者的なというか、営業的というのか、豊かな表情を見せるのが特徴で、それはどうやら「わたしには患者さんの気持ちが十分わかっていますよ」という表明らしかった。ぼくのジョークには笑わないから、どこかチグハグな印象で、だから役者的に見えるのだ。ひょっとすると単にぼくのジョークが面白くないだけかもしれないとしても。
 わたしは1945年8月15日の玉音放送を聴いた後に日本国民が感じた虚脱感を胸にクリニックを後にした。うすうすわかってはいたけれども、やっぱりダメだったか。耐え難きを耐え、忍び難きを忍んできたというのに、やっぱりそうか。折しもクリニックの真裏では家の建て替え工事が行われていて、トカトントン、トカトントンと小槌の音が響くのであった。

 

[PR]
by bbbesdur | 2017-03-27 21:30 | health care

a0113732_17235543.jpg


 診断中に医師の声音が変わる場合、それはほぼ100%間違いなくバッド・ニュースだから、ぼくは固唾を呑んで次の言葉を待った。
「痔核がありますね。うーん、それも2つ、いや、ちょっと待って下さいね、いや3つですね、3つ」
 と言うのだ。
「痔核ですか」
「ええ、まあまあの大きさです」
 ぼくには医師の言う「まあまあの大きさ」がどの程度なのか想像がつかなかった。
「痔核というのはつまりイボ痔ということですか?」
「ええ」
 と医師が当たり前のようにそう答えるから、ぼくは、
「つまり痔瘻とイボ痔のダブルというわけですか?」
 と聞くと、
「まあ、よくあるケースですから、心配しなくても大丈夫です」
 と言う。もちろんこれ以上心配なんてしたくないが、壁を向いて診察台に横たわっていたぼくは、
 痔瘻 +(イボ痔×3)=悲し過ぎる
 の計算式を頭に浮かべていたのだった。
 しかし人間というのは希望の生き物である。希望という思念が実体化したのが人間じゃないのかとおもうほど人間は希望が好きである。宗教しかり、教育しかり、行政しかり、人間はより良き翌日を信じていないと生きていけないのだ。
 ぼくはこの人間性を「1ミリの希望」と呼んでいる。
 ぼくがハマり込んでいるフライフィッシングの世界の話をしようか。釣り人は夜明け前に釣り場に到着し、朝もやの中で支度をして、1日への大いなる期待をもって川や湖へ浸透し、次の一投、次のポイントへと歩を進める。大物はまだ釣れないけれども、ひょっとするとあのカーブの向こうには楽園が待っているかもしれない。次の一投こそは。でも釣れない。いや待てよ、あの先に見えている淵はどうだ。いかにも大物が潜んでいそうな場所ではないか。でも釣れない。あれっ、あれは滝か。なるほど、きっとここまでは誰でもやる場所で、ここで諦めてはいけないのだ。滝上は釣り人が少ないはずだ。おそらく滝を高巻きした釣り人だけが栄光を手にすることが出来るのだ。このとき釣り人は欲望と希望の塊である。欲望は満たされることもあり、満たされないこともある。しかし希望だけは夜明けから日暮れまで常にそこにあって釣り人の背中を押しつづけるのだ。夕暮れが来て、釣り人は釣れても釣れなくても、欲望を身から削ぎ落とした状態で車へと引き返す。このとき釣り人は本人も気づいていないが、じつは解脱しているのだ。もしそんな状態の釣り人を見かけたら、あなたは無、すなわち仏様を見ていることになる。恭しく一礼し、黙して手を合わせるとご利益があるかもしれない。
 なんの話だっけ? そうそう痔の話だった。ついつい釣りの話となると夢中になってしまう。
 で、その1ミリの希望を胸に、つまり、早い話が、こんな事態に陥っていても、ぼくはなお「切らずに治す」方向に光明を見出そうとする希望の人だったのである。

[PR]
by bbbesdur | 2017-03-23 20:25 | health care