カテゴリ:health care( 23 )

#699 痔の話 第23回 

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 手術が終了して小一時間ほど経ったころ、笑顔の看護師に促されて、ぼくは服を着て診察室に戻った。その頃にはすでに午後の診察が始まっていて、人々はどこかに疾患を抱えているはずなのに、不思議なくらい涼しい顔をして待合室に坐っていた。それにしても、いったい医師と看護師はいつランチを食べたのだろうか。食べたにしても、あまり美味しいランチではなかったのではないだろうか。ぼくは奇妙な責任を感じつつ、待合室の端に、極めてゆっくりと腰を下ろした。

 名前を呼ばれて診察室に入ると、目の前の椅子にドーナツ型のクッションが置いてあって、それだけのことでぼくは手厚い待遇を受けている気分になった。人は対価のあるなしに関わらず、必要なときに必要なことをしてくれる人に感謝するものだ。

 医師はぼくの顔を見て笑顔で「お疲れ様でした」と言い、脇に立った看護師も「お疲れ様でした」と呼応し、ぼくは試合後に監督とコーチから声をかけられた選手のように「お疲れさまでした」と返した。そこにはたしかにひとつの困難をともにしたチームの結束があった。なによりも医師の笑顔が手術の成功を物語っていた。

 医師は入浴や食事についてのいくつかの注意点を語り、あとは普通に生活して良いと言った。

 質問があるかという医師の問いに対してぼくは、

「あのビーチはどこなんですか?」

 と訊いた。

「えっ?」

「あの壁に貼ってある絵はがきのビーチです」

「ああ、あれですかあ、さあ、どこか外国の島じゃないですかねえ」

「効果あるとおもいます。多少なりとも気が紛れました」

「そうですか。それは良かった」

 すぐ脇に立っていた看護師がやにわに口を開いて、

「あれ、宮古島なんです」

 と言った。

「やっぱり沖縄でしたか、そうじゃないかとおもって気を紛らわせていたんです」

「良かった」

 看護師はとても嬉しそうにそう言って笑った。

「沖縄には若い頃5年間住んでいたことがあります」

「えー、どこに?」

 と看護師は突然ウチナンーチュのイントネーションになって、そう言うのだった。


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by bbbesdur | 2017-07-27 21:01 | health care

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 医師がしばらく安静にしているようにと言って、カーテンの向こうに消えてしばらく後、ぼくは身体に異変を感じた。大イベントが終わった安堵の余韻に浸とうとしていたぼくだったが、じわじわと強まる便意(以降B意)にたまらずに看護師を呼んだ。しかし看護師は、そのB意は麻酔薬による手術特有のもので、ほんとうのB意ではないといって、なんとかがんばるようにとぼくを励ました。B意にさえ、本物とニセモノがあるのだった。手術台に横たわったぼくは人間社会全般にはびこる欺瞞と真実の総量を思った。オレオレ詐欺を引き合いに出すまでもなく、おそらくは真実を圧倒するとてつもない量の欺瞞が世に渦巻いていることは間違いのないところだ。あるいは真実のないところにも、果たして欺瞞は単独で存在することが出来るのだろうか? 表があるからこそ裏があり、たとえば美川憲一が存在しないで、コロッケが存在することが出来たのだろうか? とさらに考えを進めようとしたぼくだったが、しかしさらに強まる偽のB意にぼくはほとんど思考不能状態に陥っていた。

 カーテンを開けて医師が入ってきたとき、ぼくのB意はすでに暴発寸前に思われた。ぼくは平静を装って、あくまでも大ではなく小の方を想像させるような気軽な感じで、医師になにげなく「トイレに行きたいんですが」と言った。欺瞞は欺瞞を呼ぶものなのだと自身に言い訳をしつつ。しかし医師は騙されなかった。

「我慢してください。行っても出ません」

 とこの医師にしては、かなり明確にぼくの要望を拒絶した。ぼくのB意は弱まりはしなかったが、真実に欺瞞が怯んだ気配があった。

 ぼくは医師の言葉を信じて我慢した。じっさいぼくは手術が終わったばかりのクリーンな患部を最悪な形で汚染して、医師から再手術を宣言されることを恐れた。

 ところで欺瞞的なB意はどこか本質的な部分でホンモノのB意と違っていて、なにかしらフェイクっぽい感覚があった。しかしフェイクだから我慢できるかというと、それはまた別な話で、B意がB意であることには違いはなかった。B意が必要に迫られているために生じていても、必要でないのにたまたま副作用として(それは例えば右を押したら、左が出っ張るような事情で)生じていても、B意は紛れもなくB意でありつづけるのである。そこが中国製の偽ルイ・ヴィトンと違ってB意のような形のない感覚やら感情やらのやっかいなところだ。

 今振り返ってみて、今回の手術で一番辛かったのは、このB意を我慢している時間帯だったとおもう。なんとか競り勝ったと安心しかけていたところが、ロスタイムに予想外の猛攻を浴びて肝を冷やしたような気分だった。

 そして偽のB意は自身が亡霊であったことを認めるように、ゆっくりとぼくの身体から出て行ったのだった。


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by bbbesdur | 2017-07-21 20:10 | health care


 医師がしばらく安静にしているようにと言って、カーテンの向こうに消えてしばらく後、ぼくは身体に異変を感じた。大イベントが終わった安堵の余韻に浸とうとしていたぼくだったが、じわじわと強まる便意(以降B意)にたまらずに看護師を呼んだ。しかし看護師は、そのB意は麻酔薬による手術特有のもので、ほんとうのB意ではないといって、なんとかがんばるようにとぼくを励ました。B意にさえ、本物とニセモノがあるのだった。手術台に横たわったぼくは人間社会全般にはびこる欺瞞と真実の総量を思った。オレオレ詐欺を引き合いに出すまでもなく、おそらくは真実を圧倒するとてつもない量の欺瞞が世に渦巻いていることは間違いのないところだ。あるいは真実のないところにも、果たして欺瞞は単独で存在することが出来るのだろうか? 表があるからこそ裏があり、たとえば美川憲一が存在しないで、コロッケが存在することが出来たのだろうか? とさらに考えを進めようとしたぼくだったが、しかしさらに強まる偽のB意にぼくはほとんど思考不能状態に陥っていた。

 カーテンを開けて医師が入ってきたとき、ぼくのB意はすでに暴発寸前に思われた。ぼくは平静を装って、あくまでも大ではなく小の方を想像させるような気軽な感じで、医師になにげなく「トイレに行きたいんですが」と言った。欺瞞は欺瞞を呼ぶものなのだと自身に言い訳をしつつ。しかし医師は騙されなかった。

「我慢してください。行っても出ません」

 とこの医師にしては、かなり明確にぼくの要望を拒絶した。ぼくのB意は弱まりはしなかったが、真実に欺瞞が怯んだ気配があった。

 ぼくは医師の言葉を信じて我慢した。じっさいぼくは手術が終わったばかりのクリーンな患部を最悪な形で汚染して、医師から再手術を宣言されることを恐れた。

 ところで欺瞞的なB意はどこか本質的な部分でホンモノのB意と違っていて、なにかしらフェイクっぽい感覚があった。しかしフェイクだから我慢できるかというと、それはまた別な話で、B意がB意であることには違いはなかった。B意が必要に迫られているために生じていても、必要でないのにたまたま副作用として(それは例えば右を押したら、左が出っ張るような事情で)生じていても、B意は紛れもなくB意でありつづけるのである。そこが中国製の偽ルイ・ヴィトンと違ってB意のような形のない感覚やら感情やらのやっかいなところだ。

 今振り返ってみて、今回の手術で一番辛かったのは、このB意を我慢している時間帯だったとおもう。なんとか競り勝ったと安心しかけていたところが、ロスタイムに予想外の猛攻を浴びて肝を冷やしたような気分だった。

 そして偽のB意は自身が亡霊であったことを認めるように、ゆっくりとぼくの身体から出て行ったのだった。


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by bbbesdur | 2017-07-21 20:05 | health care

#697 痔の話 第21回

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 医師はおそらくは本来使用するはずだったメスではない、おそらくは大きめのメスで手術を始めた。大きめと思ったのは医師と看護師が交わす会話の端々に「小さい」とか「細い」といった単語が現れては消えていたからだ。ぼくはアジフライを作るために、マグロ用のぶつ切り包丁を使っている板さんの苦労を思った。とはいえ、一流の板前であれば可能ではないのか。プロとはそういったものではないのか。なくても出来ると言い切った医師の自信を信じてみてはどうだろうか。ぼくは俎板の上でそう思ったのだった。

 いったいどういった手順で手術が進行しているのか皆目見当がつかなかったが、肉がこそぎ落とされるような「シャー、シャー」という音がある程度のリズム感を伴って、ぼくの耳に届いていた。すべての作業がK門鏡と呼ばれる筒状の金属の中で行われているはずで、ほとんど直腸に近い奥の部位にどうやって正確にメスを入れるのか、ぼくは不思議だった。

 穴の背中側が切られるとき、少し痛いような気がして、医師に告げた。

「ここは括約筋が近いところなんで神経が敏感なんです。ちょっと麻酔を足しましょう」

 そう言って追加される麻酔の注射が痛いのが辛かった。そしてまた「シャー、シャーと」という音が、今度はお尻の骨にやや反響しながら聞こえ始めた。

 そんな作業がおそらく20分くらいつづけられたはずだ。医師はぼくに「大丈夫ですか?」と声をかけた。ぼくは「大丈夫です」と答えた。

「これから穴の奥側を縫います。これが終われば完了です」

 医師はK門鏡を奥に進めたが、ぼくのK門は音をあげ始めていた。手術の痛みというよりは、押しつけられたK門鏡が辛かった。たぶん医師はそんな状態を知っていて、手術が最終段階にあることを知らせて、患者の忍耐を要求するのだ。ほんとうにこの医師は患者の気持ちをコントロールすることに長けていると恨めしい気持ちでそう思った。

 これが終われば完了というわりには作業は長かった。しかしすべての物事には終わりがあり、あらゆる苦痛には終わりが来ると信じて、ぼくは目の前の美しい海岸を見つめつづけた。

 縫合部分を固めるために、念のためにジオンの注射を打つと医師は言った。ぼくはいったい何本注射を打たれたか、すでに思い出すことが出来なかった。縫合部分にジオン注射を打つというのは、おそらくはこの医師の経験から来る独自の処置方法だと思う。

 そうしてまたK門鏡がお尻に入っていき、ぼくは激しく呻いた。

「大丈夫ですか?」

「はい」

 大丈夫ではなかったが、ぼくはそう答えた。この最後の最後に来て、もう痛いから止めてくれと言るはずもなかった。そしてまたしても注射は痛かった。転んで擦り傷だらけになった膝小僧に紙やすりをかけられるような気分だった。

 そうして手術は終わった。ほんとうに終わったのだと、ぼくは目の前に打ち寄せる透明な波を見つめながら思った。


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by bbbesdur | 2017-07-16 09:50 | health care

#694 痔の話 第20回



 診察室から戻ってきた看護師は消え入るような声で、

「すみません、ないんです」

 と言った。医師は一瞬沈黙した。ぼくはなぜか不意に「神隠し」という言葉を思い出した。神様サイドに何らかの理由や事情があって、メスを隠しているのかもしれなかった。

 ぼくの長い会社人生の中で、この看護師の立場になったこともあれば、医師の立場になったこともある。この時の医師の気持ちは痛いほどよくわかった。医師が必要としていたメスを準備していなかったのは看護師の責任でありながら、その指示が徹底されていなかったという点で上司である医師のマネジメント・ミスでもある。能力に秀でた部下を持つ上司は楽だが、能力の劣った部下を持つ上司は辛い。というのも部下の尻ぬぐいをしなくてはならないという現実的な手間暇、苦労もさるもことながら、それよりも自分のマネジメント能力不足が部下のミスによって証明されてしまうことが辛いのだ。だから一般的に能力のない上司は、腹いせに失敗した部下を叱咤する。部下に恵まれていないことを嘆き、自分のマネジメント能力を棚に上げる。しかしこの医師は上司の器の大きさが試されるようなそんなシーンでこう言ったのだった。

「そうですか、なくても問題ありません」

 安堵した看護師の心持ちがぼくにも伝わってくるような空気がお尻越しに漂ってきた。しかしながら看護師の安堵とは裏腹に、透明な波が打ち寄せるビーチを凝視している患者としては限りなく不安だった。なくても問題ないとしても、あるに越したことはないはずで、元来、道具というものは大概の場合、汎用性ではなく、専用性を指向しているものなのだ。先日、fbでいただいたFさんのコメントのように、スコップが必要なシーンでありながら、強引にユンボを使わざるを得ない状況なのではないかと疑ったのだ。なにしろこの医師は手術の腕前はともかく、患者との心理的駆け引きに長じていて、患者に不安な気持ちを抱かせない手練手管を心得ているから、医師の言葉をそのまま素直に信じることは出来なかった。医師はもちろんぼくが透明な波が打ち寄せるビーチを凝視しているふりをしながら、全身を耳にして彼らの会話を傍受していることを知っているのだ。それを十分わかっていながら口にする「なくても問題ありません」という返答は、間違いなくぼくに向かって発せられた言葉のはずだった。




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by bbbesdur | 2017-06-20 22:59 | health care



 手術が始まっているというのに必要な器具が準備されていない。医療現場に限らず多くの業務現場でこういったことは日常的に起こっているのだろう。前回のfacebook記事へ昔の仕事仲間S.F君が以下のようなコメントをくれた。

「水道管が埋まっている地面を掘るのに、ユンボで掘ると破裂してしまうかもしれないがスコップがない(中略)という状況」

 S.F君はだいぶ前に会社を辞めて、奥さんの実家ビジネスを継いだはずで、たしか水道系の仕事だったと思う。とてもわかりやすい比喩だ。ひび割れた水道管は自分の身体を修理してくれる工事業者の到着を待ちかねていたというのに、待った挙げ句に、スコップがないだって!

 傷ついた土まみれの姿を地中に埋もれさせたまま横たわっている水道管に感情があったなら、その心中は察するに余りある。おそらくそれは人間の言葉で言うところの「絶望」だ。軽く明るい性格の水道管だったら、

「あのー、スコップなら向かいの家にあるとおもいますけど」

 くらいの一言は言うかもしれないが、大半の水道管は生まれながらにして寡黙なタイプが多いと思う。ぼくは全身そのものが水道管ではなく、下水用のパイプが腐食しただけだからほんとうに幸運だった。もしもう一度生まれ変わるチャンスに恵まれたとしても、水道管と釣りが好きじゃない男だけにはなりたくない。

 必要な器具がないのに、麻酔をかけられ、既にして第一刀は肉を切っている状況で、ぼくはこのクリニックを選んだ自分自身を呪っていた。気が短くて、気が強い人なら、

「メスの準備もしないで手術を始める病院があるか!」

 と怒鳴っていたかもしれない。ぼくは気は短いけれども、気が強くはないから、文句を言った後の医師の報復を恐れて黙ったままでいた。麻酔が効いていないことを知りながら、いきなりユンボで地面を剥がされる想像だけで、気絶しそうになるではないか!

 手術は医師の他に2人の看護師によって行われていたが、ひとりの看護師がメスを探しに手術台から離れて行く足音が聞こえた。手術室、そして診察室を見て回っているようだったが、

「ビンゴー!」

 の声は聞こえてこなかった。

 戦況の悪化を覚悟したぼくの目の前には、例の透明な波が静かに打ち寄せるヌーディスト・ビーチがあったけれども、気のせいか空の色が風雲急を告げるかのように薄暗くなり、遠くの波間には敵の上陸用舟艇が上げる波しぶきが見えるような気がした。



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by bbbesdur | 2017-05-31 18:25 | health care

#692 痔の話 第18回

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 その日、12本目の注射が打たれて手術が始まった。これだけ打たれたのだから、さぞかし麻酔がお尻全体に回っているだろうというぼくの希望的観測をまるで無視するように、その注射もしっかり奥まで突き刺さり、必要以上に痛かった。医師は麻酔が効くように少し間を空けてから、

「では、始めます」
 と宣言した。
「はい、お願いします」
 とぼくは答えた。やっぱり少し怖かった。こんな注射一本で痛みを感じないはずがないと思った。きっとぼくとおなじような恐怖を感じる患者も少なくないのだろう、目の前5センチに迫っている壁にはどこか知らない国の、知らない島の、透き通った水が柔らかに打ち寄せている浜辺の写真が掛かっていた。患者が痔の手術をしていることを少しでも忘れることが出来るような配慮なのだろう、じっさい少し気持ちが和らぐように思えた。10センチx5センチほどの小さな写真だったが、何しろ文字通り目と鼻の先なので、たしかに美しい浜辺に横たわっているような気にもなる。もちろんそこはヌーディスト・ビーチで、ぼくは今お尻を出したセミヌードで、隣りにはとびっきり美しい女性が裸で寝そべっているのだ。しかし彼女にお尻を向けているぼくには絶対に彼女の姿を見ることが出来ない。なんという不幸だろう。地の底からの廻廊の途中で絶対に振り向いてはならない、振り向いたら最愛の女性とともに冥界に堕ちる、というオルフェ神話に登場する洞窟が、こんな東京都心のど真ん中に空いているなんて。じっさい神話世界というのは、時代を問わず、現実世界の隣にぽっかりと空いているものなのだ。村上春樹の小説に頻繁に出てくる「井戸」のイメージのように、ぼくが今まさに書き進めているこの書き下ろし純文学超大作『痔の話』では、もちろん「K門」が主人公の抑圧された心理の重要なメタファーとなっているわけだが、作者が作中で自作品の解説をするのはタブーというもので、吉行淳之介が『砂の上の植物群』でやった時も批判されたから、止めておこうか。
 明らかにメスが肉を切っている感覚があって、ぼくは神話世界からいきなり東京に舞い戻って来た。痛くはないのに切られた感覚があるっていうのは、決して気持ちの良いものではなかった。というのはかなり控えめな表現で、じつのところ、皮一枚向こうにある激痛の予感、という感じだった。
「xxxxxxのメス」
 と医師は看護士に言った。すると看護師は少し慌てたように、医師の言葉を聞き直した。医師は、
「細い方の」
 とだけ言った。看護師はさらに慌てて、トレイの中を探しているのだろうか、金属が触れ合う音がした。医師の、
「ちょっと見せて」
 という声がして、すぐに、
「ないね」
 と断定した。




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by bbbesdur | 2017-05-22 18:50 | health care

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「それでは麻酔の注射から始めます」
 医師はそう言った。始めるも何も、すでにして注射を打てるだけ打ってるじゃないの! と思ったが、医師はふたつの手術を別物と認識して処置しているのだった。横たわった一患者としては、ほんの少し前の注射と同じヤツをまたまた打たれるだけのことだ。ぼくは極めて冷静に、今度のヤツがこの日12本目の注射であると計算していた。計算と言うのが憚られるような、これ以上ない単純な足し算だとしても、ともかく1日に12本も注射打たれたことある人って、そうそういないでしょ。念のために言っておくけど、BCG注射は全部で18個の痕が残るけど、あれは1本としてカウントするんだからね。もしギネスに挑戦する気があるなら、断然ジオン注射を薦める!
 ところで例によってどうしても話は逸れていくわけなんだけど、蚊に刺されるとなぜ痒いか知ってる? ぼくは、バイ菌が含まれているから痒くなるんだ、というような日本脳炎的かつ感覚的な連想をしていたけれども、それはまるで違っていた。多くの人にはとても信じられないだろうけども、これは厳然たる科学的事実だから心して聞いて欲しい。
 蚊に刺されたとき、当然1本の針に刺されるとおもっている人が多いとおもうが、じつは6本の針に刺されている。蚊は人間の皮膚に止まると、まず下唇と呼ばれる部分から3本のノコギリ状の針を突き刺すらしいのだ。その針に人間の感覚を麻痺させる麻酔薬的な唾液が含まれていて、痛い!って感じさせないようにしているらしい。人間の手術と同じ手順だ。その後、上唇、そして大顎から血を吸い上げる3本の針を突き刺して、一気に血を吸い取る。で、なぜ痒くなるかといえば、その麻酔薬、つまり蚊の唾液が人間の皮膚にアレルギー反応を誘発させてしまうからなのだった。蚊が1回に6本の針を突き刺しているなんて、絶対に許せない! もし3匹の蚊に刺されたら、ぼくのギネス並みの記録もあっさりと更新されてしまうではないか! 今年の夏は栗林中将なみに、徹底的に我が身を守ってみせる。蚊よ、かかってこい!

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by bbbesdur | 2017-05-11 21:51 | health care

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「あと一箇所だけです。もう少し我慢してください」

 全部で3箇所あるのに、あと一箇所だけと言うのフェアじゃない。まだ三分の一が残っているじゃないか、と思いつつ、しかしぼくはマンマと医師の気休めに乗せられてカウント・ダウンを始めたのだった。あと3本注射を打てば、とりあえず前座は終わる。

「ちょっとチクリとしますよ」

 注射針がはっきりとお尻の粘膜に刺さった感覚があった。

「あっ、ちょっと痛い・・・・・・です」

「あ、やっぱりそうですか」

 やっぱり・・・・・・、って。発せられる言葉の一つひとつに意味を探ろうとする患者の心を知っている医師は、

「最後のヤツはK門に近いので、神経が届いているかもしれませんね」

 と言って、看護士に麻酔の注射を追加するように指示した。

「はーい、13番さん、おかわり一本!」

 合計お銚子11本となるわけで、さすがに酩酊もするだろうよ、と観念したぼくに医師は、

「ちょっとチクリとしますよ」

 と言って注射針を刺した。医師はまったくわかっていないのだ。チクリだって、これだけ飲めばボディーブローのように効いてきて朦朧としてくるものだ。

 そして医師は最後の痔核の周囲3箇所にジオン注射を打った。麻酔はまるで効いていないように感じたが、効いていなかったら絶叫するほど痛いのかもしれなかったから、たぶん効いていたのだろう。この時ぼくは、注射をする痛みを柔らげるために注射をする意義について疑問を持たないではいられなかったのだが、質問する余裕などなかった。

 医師がジオン注射の終了を宣言したとき、ぼくは既にして9回を投げきった先発ピッチャーのように疲弊していたが、信じられないことにはダブルヘッダーの2試合目もぼくの先発が予定されているのだった。

「では今度は痔瘻の処置をします」

 医師はほとんど間を置かずにそう宣言した。ぼくはユニフォームさえ着替えずに、汗だくのままマウンドに立った気分だった。三塁側のアルプス・スタンドからは相手チームの声援が聞こえてくる。

「かっ飛ばせ――XXX、BBB倒せ――、オー!」

 おそらくそれは幻聴だったのだろう、医師はかなり冷静に、

「ちょっとチクリとしますよ」

 と言った。それはぼくの耳に「プレイボール!」と聞こえた。


 

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by bbbesdur | 2017-05-03 20:10 | health care

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「順番的には痔核の処置をして、その後に痔瘻の処置をします」
「ハイ」
 ぼくは「順番的には」という言葉が、きっとこの医師の常套句なんだろうとおもった。正しい日本語とは言い難いのに、どこか言い慣れた気配があった。言葉というのは不思議なもので「なるほどですね」のように、正しくなくても納得出来る響きが備わっていると、かえって癖になりやすいのだ(そういう人って、皆さんの周囲にもいるでしょ?)。きっとこのふたつの「処置」のコンビネーションは珍しいことではないのだろう。ぼくはそう自分に言い聞かせて、自分を元気づけた。
「まずK門に局部的な麻酔をします。そのあとで痔核の周囲に3箇所ジオン注射をします」
「ハイ」
 手術台で医師にお尻を向けて横たわったぼくは、これから自分の身に起こるであろうことを想像しながら、それでも楽観的であろうとしたのだったが、しかしどうにも腑に落ちないことがあった。というのも、痔核が出来ているのは直腸の部分だから痛覚がないはずだ。なぜ痛みがないはずの直腸部に注射するというのに麻酔する必要があるのだろう? 1箇所の痔核に3回の注射ということは、3x3=9+麻酔の注射=10回の注射だ。10回かよ。でもまあいい、いずれにしても麻酔の注射さえ我慢すれば、あとは無痛のはずだ。それも歯医者で経験するような局部麻酔の注射と言うのだから、たいしたことはないだろう。
 そんなぼくの疑問+疑心暗鬼などおかまいなしに、
「ゴメンなさい、ちょっとチクっとしますよ」
 医師はそう言って、K門の奥に注射針を刺した。はっきりと痛かった。チクリという歯医者の注射と違って、奥まできっちりと刺し通すから、はっきりと、かつ持続的に痛かった。
「では、ジオン注射をします。痛かったらそう言って下さいね」
「ハイ」
 医師はそう言った。もともと直腸部は痛みがないはずだし、麻酔までしたのだ。ぼくは医師の言葉は聞き流すことにした。
 しかしなぜか注射は痛かった。歯状線より奥にあって感覚のないはずの直腸への注射がなぜ痛いのか? しかも麻酔までしたというのに。ぼくは痛みと理不尽さの両面攻撃に心身ともに苦しんだ。まさかぼくの直腸だけが突然変異で神経付きっていうはずもない。つまり医師は気休めを言ったに違いなかった。まさか10回痛い後に、いよいよ本番が待っているなんて言えなかったのだ。
 ぼくは我慢した。
 痛かったらそう言うように、という医師に対して遠慮したのではなく、言ったところでどうにもならないと悟ったからだ。あと8回もこの同じ痛みを我慢した挙句に、ノルマンディー上陸作戦並みの総攻撃が待っているのだ。その時、ぼくは硫黄島の栗林中将の心境がわかった気がした。
 誰も助けてはくれない。徹頭徹尾、我慢することだけがぼくに出来るすべてなのだった。負けて、勝て! とぼくは自分を奮い立たせた。まさかその数ヶ月後に悲惨な沖縄戦が待ち受けているとは思いもつかずに。

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by bbbesdur | 2017-04-22 21:08 | health care