#598 辺境ラジオ

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 大阪毎日放送でアナウンサーをやっている西靖さんは釣りの友人で、東京には届かない電波でイカすことをやっていたのだった。なにしろぼくらは釣り場では魚の話しかしないから、彼がなにをやっているかなんてまるで知らなかった。で、唐突に「本を出した」と案内があった。西さんは以前にも60日間世界一周の本を出したし、パンだって出すから、何が出てきても別に驚きもしないのだが、本のタイトルと企画の素晴らしさに感心した。すぐにアマゾンの即日便で注文して、さきほど読了した。タイトルは『辺境ラジオ』。西さんがホストしている非定期ラジオ番組の放送数回分を活字に起こして書籍化したものである。写真は今年ぼくの仲間たちに誘われてフライフィッシングを始めた宗石佳子さんが担当している。
 西さん、大変だとおもう。内田樹と名越康文の対談の相づち役だと本人はいっているが、ふたりは知識人であると同時に、圧倒的に文学者的な資質が強くて、どうしても表現,言い回しに凝る、愉しむ、追求する傾向がある。論理的な帰結を目指しつつも、結論(というほどはっきりしているわけではない)に至る表現過程でふたりの化学作用が激しくスパークしていて、その寄り道にこそ、このラジオ番組のおもしろさのエッセンスがあるようなのだ。
 それだけに、次の展開が読みにくい。次の展開が読みにくいことが、進行役にとってどれだけ悪夢的かは想像に難くない。
 このふたりのうなずき役って、激しく高難度なのだ。ふたりは西さんを鵜飼の鵜匠に例えているが、この二羽の鵜は羽ばたいて、飛んで行ってしまいかねない恐ろしさがある。さらにわるいことには、このふたりはお互いの発想、というか思考のベクトルの方向が似ていて(早い話、気が合っていて)、ふたりの間では言葉に出さなくても通じている部分がある。文章で読んでいてもはっきりとその親密ぶりがわかる。お互いが、お互いを補完し合いつつ話が進行するのだ。その言外で語られている行間は、さすがの西さんでも読み切れない。
 だからワザとだろう、西さんときどき、ふたりの語っているポイントを微妙に外した相づちを打っていて(ことに前半)、じつはその微かなボケっぷりがいい。さすがは大阪の番組であった。高次元で語られている思想的、文化的なトピックを、市井の井戸端会議に下ろす作業こそが、進行役の西さんに与えられた最大の役割であって、いってみれば西さんの存在はふたりを現世へ留め置く重しのようなものだ。
 なにはともあれこのふたりの対話をラジオ番組にしようとかんがえた西さんのアイディアには脱帽した。ちょっとすごい企画だ。
 そしてなによりもこういう元気なことをやっているのがが東京ではなくて、大阪という点にハッとさせられたな。東京はすでにして大人の街として落ち着いてしまっていて、これ以上のパワーは出てこないとおもう。老人に「走れ!」といってもムリなのだ。
 昨今の韓国、中国の元気っぷりに圧倒されっぱなしの日本は、もはや東京が中心では競い合うのは不可能である。世界的にみれば、すでにして東京こそが経済的、文化的に辺境、あるいは彼岸とさえいっていいような状況なのだとおもう。文化が似非貴族的に洗練、成熟されすぎてしまっていて、熱さやハングリーさがまるでない。知識人が総じて自家中毒的、あるいは文化的ノンポリとでもいいたい状況にある。大阪や那覇に頑張って欲しい!
 というわけで、辺境ラジオの届かない辺境東京で、第2弾を愉しみに待っています。
 with D7000 高知 2011/4
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by bbbesdur | 2012-09-17 01:29 | book

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 今日、毎年恒例になっている部屋の模様替えをしていたら、懐かしい本が出てきた。どこの古本屋で買ったかわすれた。たぶん 20年以上前だ。滑稽なまでの真面目でストレートなタイトルに惹かれて手にしたら、これが良かった。基本的に内容はタイトルどおりに真剣であり、本気である。初夜についてというよりも、男と女の結婚にどんな意義があるのか、社会的な責任をどう果たすのか、などという記述も目立ち、じつに大真面目なのであるが、10ページに1箇所くらいの割合で突然、○○○○○○○、と文字が伏せてあって、これがまたいい。たとえばこうだ。
——故に、床入りの場合に於いては、新郎は出来るだけ自分の逸る心を抑制し、寧ろ臆病すぎるほどあらゆる行為を慎まなくてはならない。努めて愛情深く妻をいたはり、綿密な配慮を用ひ、たとえ○○○○○○○行ふべきではない。まして○○○○○○○○妻の快い許諾なくして行ふは痴漢のする業である——
 この○は、そうとうな想像力がないと読み解けない。○の数が語句の数と一致しているようにはおもえないが、しかし、許諾なくしてする痴漢まがいの行為とはなにか、じつに気になる。
 全体を通しての内容はどちらかというと新婦ではなく、新郎向けに書かれてある。そもそもこんなタイトルの本を、昔の女性(この本の初版は昭和2年であり、わたしが持っているのは昭和4年、13刷とある)が書店で買い求めることができようはずもない。じっさい当時、閨房の事ごとに関する情報はきわめてすくなかったはずだ。
 たとえばこれは戦後になってからの話だが、三浦朱門と結婚した曾野綾子は、初夜で三浦朱門が腰をうごかしたことに衝撃を受け「わたしは変態と結婚してしまった」とおもったと回想している。それほど昔は性に関する情報は限られていて、やはりリードする男性側に知識が必要だったのだ。
 今回久しぶりに開いてみておどろいたのは、回数について記述された箇所である。
——房事の回数に就いては、いずれの新郎新婦も式後直ぐに懐く疑問であるのみならず、これに関する種々の伝説や諺なぞを小耳にはさんでいるのが、かえって害をなし(中略)一般に行わるる説は、広く今日では人口に膾炙せらるるに至っている宗教改革の英僧マルテン・ルーテルにより定められた戒律で一週に三回といふにあるのだが——
 おいおい、ルターが戒律で週に3回って決めたって、それって、ほんとうかい? ルーテル派はアメリカではスウェーデン移民から広がって、プロテスタントのなかでは主流派で信徒の数もおおい。もしかしてルーテル派のアメリカ人って、この戒律をしっかり守っているのだろうか。
 明後日、横須賀基地に行く用事があるから、ついでに第7艦隊の水兵をつかまえて訊いてみよう。航海中はしたくてもできないから0回だろうし、港についたらその分の埋め合わせで毎日かもしれない。しかし、ルーテル派の敬虔なクリスチャンだったら、きっと年間を通してしっかり平均3日になるように調整しているはずだ。
 with FujiFilm X10 2012/1 
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by bbbesdur | 2012-01-05 02:35 | book

#394 出発は遂に訪れず

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 先週、出張で久しぶりに佐世保に行き、帰路に慰霊碑に立ち寄った。敷地に入った途端に空気が変わった。というのは話が逆で、空気感が唐突に変わったことで、自分が敷地に入ったらしいことを知ったのだった。敷地は防波堤から脇の狭い道を挟んだところにあり、道路との明確な境界線もなかった。ぼくはちっとも厳かな気分にはなっていなかったし、花粉に気を取られてマスクを掛け直していた。民家が一軒、真横にあった。ちいさな公園のような場所だった。しかしそこには目に見えない歴史のバリアが張られていたのだ。一線を跨いだ途端、沖縄の戦跡とおなじ清澄な空気がぼくの頬を打ったのだ。

――もし出発しないなら、その日も同じふだんの日と変るはずがない。一年半のあいだ死支度をしたあげく、八月十三日の夕方防備隊の司令官から特攻戦発動の信令を受けとり、遂に最後の日が来たことを知らされて、こころにもからだにも死装束をまとったが、発進の合図がいっこうにかからぬまま足ぶみをしていたから、近づいて来た死は、はたとその歩みを止めた。
 経験がないためにそのどんなかたちも想像できない戦いが、遠巻きにして私を試みはじめる。
 
 島尾敏雄の『出発は遂に訪れず』の冒頭である。じつにクセのある粘度の高い文章であるが、それはともかく始めて読んだときには、戦った経験はおろか、いちども敵を見たことすらない若者たちが、いきなり特攻したのだなあ、という感慨で胸がいっぱいになった。ほんとうにあれは戦いではなく、無駄死にだったのだ、信じられないことに、彼らは、ただ自爆するためだけに爆弾を載せた戦闘機に乗り、魚雷艇に乗り、潜水艇に閉じ込められたのだ。そんなことってあるのか、しかもたった65年くらい前の話だ。たった半世紀ちょっと前だからこそ、いまだに米軍が沖縄に駐留しているわけだが、ぼくたちはそんな事実をインターネットや携帯電話の向こう側にわすれてきてしまっているらしい。
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 かつて長崎県の川棚町に特攻水雷艇の訓練所があり、島尾敏雄は『魚雷艇学生』のなかで、穏やかな湾内での訓練生活を淡々と描いてみせたが、時は終戦の前年1944年である。特攻を志願するかしないかを決断するために一日の休日が与えられ、その日の夜に特攻の可否を書いた紙を提出するのであった。特攻水雷艇とは魚雷艇に爆弾を積んで敵艦船に突っ込む魚雷艇を指すのだが、物資が底をついていた終戦間際に作られたその船舶は、ちいさな木製ボートに爆弾を乗せただけのシロモノだったという。
 いくら夜陰に乗じたところで、海を埋め尽くす圧倒的な米海軍に向かって、のんびり進んでゆくちっぽけな水雷艇は生命をかけたジョーク以外のなにものでもなかった。
 特攻に志願した島尾は180名を擁する部隊の司令官として奄美大島は加計呂麻島に配属される。出撃命令のないままに戦況は悪化してゆき、若き特攻隊員たちはなんとか自分の生命を代償にして国を救いたいと熱望する。しかしいっこうに機会は巡ってこない。
 そんな緊迫した日々のなかにありながら、いや、だからこそ、若き司令官島尾は島の長の孫娘ミホと知り合って、熱烈な恋へと発展する。夜な夜な密会を重ねるうちに、ふたりの恋は公然の秘密となる。いずれにしても司令官である島尾の死はそう遠い先のことではなく、周囲の目も寛容であった。
 広島につづいて長崎にも原爆が投下され、敗色濃厚な1945年8月13日夕刻のことだった。島尾率いる第18震洋特攻隊は米艦隊接近の報を受け、ついに出撃命令を受け取った。いよいよ死を覚悟した隊員たちは別れの水杯を酌み交わし、夜の海面に敵艦隊の出現を待つが、しかし白みゆく空の下、米海軍の姿はついになく、翌8月14日の夜に出撃が延期される。そしてそのまま翌15日正午の玉音放送となって、終戦を迎えるのだ。
 まるでハリウッド映画を地でいくようなストーリー展開であるが、これはほぼ事実であり、しかし夢のようなドラマとともに戦争が終わると、シンデレラ・ストーリー(といっても島尾が書くと、美しさや幸福感なんてものは、どこかに置き忘れて来てしまう)はおもわぬ方向へ向かってゆく。島尾の浮気をきっかけにして、ミホの精神が異常をきたすのだ。
『死の棘』には、そのあたりの私小説的詳細が息苦しいまでにびっしりと、かつ延々と書かれている。ぼくにはあの本にまつわる強烈な記憶があって、あれは20代後半の、しかしなぜ白昼の下りの京王線に乗っていたのか、いずれ仕事をさぼっていたにちがいないのだが、千歳烏山駅を通過したあたりだった。半ば過ぎまで読み進んでいて、どうにもこうにも我慢ができなくなり、たまたま空いていた窓の外に投げ捨てた。そのときの爽快な気分といったらなかった。本を捨てたのは、後にも先にもこの1回限りである。それでも島尾敏雄はいい。文章そのものが堂々巡りを内包し、粘り付きながらも奇妙に淡々としている、あの不思議なユーモア感覚(ぼくはそうかんじるのだが、おなじことをいった人を他に知らない)はほかの作家ではありえない読書経験だ。しかし、ホントのところ、この人が大日本帝国海軍の司令官だったなんて、とうてい信じられない。
 GRD3 2011/2
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by bbbesdur | 2011-02-27 00:45 | book