a0113732_11371031.jpg

 座敷童子協会より続報がありました。昨日までの神奈川支部からたすきを受けて、東京支部長の報告です。以下に全文を掲載します。

 普段座敷童子に興味のない、一般の方々の間でも話題になったほどのニュースなので、いまさら座敷童子ファンの皆さんにご報告する必要もないとはおもいます。しかし帰省等の事情で、テレビで座敷童子を見ることができなかった会員もいるやもしれず、念のために今回、どのような状況で座敷童子が現れたかを記しておきます。
 正月早々に配信された神奈川支部からの報告を読み、我々東京支部としては、復路にも現れるのではないか? とかんがえました。
 ただし神奈川支部の座敷童子新幹線移動説については、今回座敷童子が茅ヶ崎に現れたことにより、残念ながら空論(大変失礼ではありますが、いいかえれば「あてずっぽう」)であった、と判定せざるをえません。スポーツ好きという点に関しても、じつは東京支部では「甲子園に現れた。子供はスポーツ好き。だから箱根駅伝を見にやってくる、という3段論法はあまりに強引すぎないか」という意見が大勢を占めました。
 ご努力をつづけていらっしゃる神奈川支部の方々には大変失礼ないい方になってしまいますが、神奈川支部の推測はひと言でいえば「新年会の盛り上がりによる初夢」ではなかったのか、とおもうのです。
a0113732_12404713.jpg

 結果的に、座敷童子を目撃することができたが、それはたんなる偶然ではなかったのか、いえ、支部同士で争うつもりは毛頭ありません。かつて過酷な発見合戦による死亡者まで出した醜い前例もあり、争いは我々の望むところではないのです。あくまでも支部同士で切磋琢磨し合うことが、座敷童子の出現法則解明のための近道であると信じて、あえて包み隠さずご意見させていただいているのです。
 神奈川支部の報告を受け、我々東京支部が開いた緊急連絡会でも議論は白熱しました。
 座敷童子の年齢よりも、夏の高校野球の決勝戦が沖縄と神奈川との争いだったことに着目した方がいいのではないか、つまり座敷童子の出身地を特定することによって、今後のリサーチに方向性を与えることができるのではないかという意見、スポーツなんて関係ない、座敷童子はただ人が大勢いるところが好きなのだ、とか、あるいはマラソン好きの沖縄支部メンバーからの報告のとおり「箱根駅伝は沖縄では放送されない」という重大事実から、普天間問題よりも先にこの問題を解決するべきである、という意見など、例によって議論はおおきくひろがりつつ、逸れに逸れて、結局、落ち着いたところが、
「座敷童子は茅ヶ崎に現れたが、 いったん見物したからには、結果が気になるのが人のサガというものだ」
 という結論でした。
a0113732_129127.jpg

 座敷童子が人間なのか、あるいは人間出身なのか、という議論が先にあることはわかっています。しかし、現に座敷童子は我々の推測どおり大手町のゴールに現れたのです。ここは人間に近いという特性づけをしたことは誤りではなかったのではないかと考えます。
 ところで箱根駅伝のコースは大半を神奈川県に譲りながらも、しかしスタートとゴールは東京にあります。神奈川の皆さんからは「いいとこ取り」と恨まれつつも、しかしそういう役割を果たすのも、国の首都としての使命なのです。
 わたくしは東京支部長の重責を全うすべく、なんとかこの目で座敷童子を確認し、今後の活動の新たな指針を打ち出そうとかんがえたのです。
 私自身、正直なところ、マラソンは苦手です。ただ単に、身体がメタボ形状をしているからではありますが。まあそれは仕方がないとして・・・・・・、ついでですから、この場を借りてふとっちょをバカにしている痩せている人にひと言いいたい。
 太った人がいないと痩せた人がいないという相対的事実を、あなたたち、しっかりと認識されていますか? いいかえれば、痩せている人の存在基盤を握っているのは、ふとっちょの我々であると・・・・・・、大変失礼しました。つい日頃の鬱憤が出てしまい・・・・・・、話をもどします。
a0113732_1147178.jpg

 そしてわたくしは走るのが好きではないのと同時に、テレビで観るのも好きではありません。ことに箱根駅伝は。
 長い折り返しの道のりが人生そのものであることを、わたくしくらいの年齢になると意識しないわけにはいかない。
 したがって、我々の年齢の人々が見ると、まあ、たいがいは泣ける。わたくしは正月早々、泣きたくなんてないのです。
 参加20チームにはそれぞれの事情があります。放送局には放映の長い歴史がある。アナウンサーと解説者はそのあたりのツボを心得ている。彼らはチームの事情を巧妙に安っぽいドラマに仕立てあげるのです。そしてその安っぽさというのは、認めたくないが、私たちおおくの庶民的人生なのです。だから泣ける。
 昨日の神奈川県メンバーF氏の目撃譚にしても、それが事実であることは認めたとしても、正直なところ、相当に通俗的な展開におもえます。いかにも安っぽい。いえ、F氏が作り話をした、といいたいのではありません、逆なのです、座敷童子が通俗ではないのか、といいたいのです。だからこそ、東京支部メンバーの「人が多いところが好き」=「野次馬的」=「庶民的」という法則が成り立つのではないか、と。
a0113732_12452870.jpg

 そこで話を箱根駅伝にもどしますが、個人的事情やチームの事情なんて、人の数だけ、チームの数だけある。10人20チームの合計200人もいれば、前年に怪我をして出場できなかった選手もいるだろうし(200人ではあきたらず、出場できなかった選手さえ登場させて、ネタの増強に役立てているのもズルい)、最近肉親を失った学生だっているでしょう。どうして彼の失った母親を亡霊のように登場させて、走っている苦しげな男の顔に重ねるのか。
 たしかに彼は走りながらおもいだしているだろう。幼い頃から駈けっこだけは得意で、授業参観では身を潜めるようにしていた母親が、運動会でこころから嬉しそうな顔をしていたことを。高校総体の代表に選ばれたと報告した夜、夕食後に姿が見えないとおもったら、駅前まで彼の大好きなモンブランを買いに行ってくれたことや、そして彼の出場が確定した箱根駅伝を目前にしながら、病室で息を引き取ったときの無念そうな顔を、最後に流された一筋の泪を。
 じつにイヤらしく、陳腐な手法です。しかし今回、座敷童子はその陳腐な手法の上にあぐらをかくようなあからさまな出現の仕方をしました。やはり座敷童子は庶民派なのかもしれない。
 ひとりのランナーが最後のコーナーを回って、大手町のビルの狭間に伸びているラストストレッチに姿を現したときです。
a0113732_1147182.jpg

 実況アナウンサーがそのランナーがレース前に残した言葉を伝えました。
「マラソンはあまりに苦しい。もうやりたくない。このレースを最後にして、普通に就職して、もう走らない」
 じっさい、ほんとうにとても苦しそうです。こんな表情を見ていると、なぜ人はわざわざ好き好んでマラソンなんてやるのか、とおもえてくるし、もうやめる、といいたくなる気持ちもわかる。
 その彼が優勝争いはおろか、シード権争いとも無縁の10位以下でゴールしたとき、後続ランナーのいないガランとした走路を振り返ったのは不意打ちででした。
 ほんのついさっきまで彼を苦しませていた道、それは箱根までつづき、そしてもとはといえばこの大手町からスタートしたその道に向かって、どこにそんな力が残っていたのか、からだの正面を走路に向け、微動もせずに真っ直ぐに立ち、深々と一礼をしたのです。
 だれもいない道に向かってなされた、そのながながしい一礼は喧しいアナウンサーの口を止め、沿道で応援している人々のざわめきを抑えた。ゴールに一瞬の静寂が訪れた、そのときでした。
 真空のようなその瞬間、わたくしは見た。テレビ画面の奥に映っているコースのすぐ脇に、ひっそり佇み、微笑んでいる座敷童子の姿を。
 with GRD2、GRD3
[PR]
by bbbesdur | 2011-01-08 12:53 | 座敷童子

a0113732_0504088.jpg

――私は不動産販売会社で20年以上セールスをつづけてきた男です。これまでながい間、座敷童子協会神奈川支部員でありつづけたほんとうの理由は、この会で知り合う皆さんが将来の私の顧客になりうる、と考えたからです。
 わかっています、皆さんの座敷童子を見つけ出したい、という純粋な科学的興味からすれば、私がいますぐにでも退会勧告を受けてしかるべき人物であることは、十分承知しています。そんな男が紛れもないこれまでの私でした。しかし、いまわたしは、そんな自分の愚かさを隠してお話しすることは出来ないとかんじ、ここに正直に告白させていただいているのです。
 じっさい私はこれまで、明日の一件の契約のこと以外の大半の物事について興味のなかった男です。損得勘定のために、おおくのウソと、裏切りを、経験してきました。
 そんな社会の欲望にまみれた私でしたが、昨年、夏に愛犬に死なれ、勤めていた不動産会社は、このどん底の不動産不況で、作年末に倒産してしまいました。
 そんな私に、元旦の夜、座敷童子協会から、3区の海岸沿いのどこか、なるべく人がいないところに立って、監視してほしい、と、突然のメールがあったとき、神奈川県民でありながら、3区を選挙区とかんちがいし、やっぱりアイツか、政治家のくせに金儲けのことばかりかんがえやがって、新年早々、あの土地を買い占める気だな、とおもったくらいです。
a0113732_1175889.jpg

 土地の値段なんて、私にはもう関係ないんだ、と気づいたとき、すべてのことが虚しくなりました。いったいなんのために生きているのだろうか。私には再就職先を見つける気力がなかった。なにもする気がしなかった。
 元旦はおせちも食べず、ただひたすら日本酒を飲んで、過ごしました。翌日、陽が昇ると、こんどは部屋にいたたまれず、あてもなく、ふらりと出かけました。出かけたのはいいが、なにをする気力もなかった。横浜駅でいつも買っていた宝くじ売り場に目をやりましたが、宝くじを買う気力すらなかった。
 東海道線に乗ったとき、私は自分がなぜこの電車に乗っているのかわかりませんでした。あるいは座敷童子の導きだったのでしょうか、電車のなかに数名、駅伝の大学関係者が乗っていて、携帯電話のテレビで画面を食い入るように見つめては、なにやら真剣な表情で囁きあっていました。
 そうか、箱根か。しかし、なにを好き好んで、箱根くんだりまで走って、またもどるのか。そしてそんな選手たちを応援する人々があれほどたくさん沿道に繰り出しているのか。出身大学でもなく、陸上スポーツをやっていたわけでもないだろうに、旗まで振って、身も知らぬ人物たちに向かって。 いつもはバカにしている窓外のそんな光景が、その日、私の目にはなぜかちがって映っていました。そして前日に座敷童子協会から送られてきたメールをおもいだしたんです。
 わたしはふと茅ヶ崎で電車を降りてみる気になりました。
 茅ヶ崎の海岸には風が吹いていました。
a0113732_049567.jpg

 私は少年のころをおもいだしました。江ノ島の浜辺を兄と競争して走り、絶対に負けなかった。兄は負けん気の強いそんな私を、きっとオマエは将来オレよりエラくなるよ、といってました。
 そんなことをおもっているうち、いつのまにか私の視界に選手たちが映っていました。
 ひとりが過ぎ、ふたりが過ぎ、一塊が、さらに一塊が通り過ぎました。風を切る彼らの身体全体から、オーラが発せられているかのようでした。
 オーラというのは、つまり人が走っているのではなく、マラソンに取り憑かれた魂そのものが走っているように見えたからです。
 それは声援などしている時間もない、ほとんど瞬間的なすれちがいでした。
 しかし、そんな一瞬だけの空気の波動に、私は経験したことのない衝撃を受けたのです。
 そこには私が失ったすべて、それは、若さ、情熱、ひたむきさ、真摯さ、真面目さ、連帯感、愛情、そんなこの世の中のうつくしいものすべて、が存在していました。
 最後を走る選手の背中に向かって、私は、
「がんばれ!
 と声をかけたつもりでしたが、出てきたのは声ではなく、泪でした。選手の背中はだんだんちいさくなって、やがて消えてゆきました。
 その滲んだ私の視界の向こうに野球場があったのですが、そこに得体の知れない者がいて、私を正面に見つめていたのです。
a0113732_133323.jpg

 それが座敷童子でした。
 ランナーではなく、ずっとわたしを見つめていたとかんじました。それは子供の背くらいのようでいて、雲をつく入道のようなおおきさでもありました。目撃したといいながら、はっきりしなくて申しわけありませんが、じっさい目の焦点が合わないような存在だったのです。
 初めは薄気味悪かったのですが、目が合ったとおもった瞬間、唐突にこころのなかに薄オレンジ色の火が灯った気がしたんです。
 直後に、私は浜辺のすこし高いところに浮かんでいて、凪いでいる海のように穏やかな自分のこころを見下ろしていました。おかしい、自分が見えるなんておかしい、とおもったとき、私は砂に足をつけて野球場を見つめていました。そしてもういちど私は目を凝らしたましたが、野球場の上空には、なにか空気が薄くなった気配のなかに暖かい色の残照があるばかりだったのです。
 with D700 1.4/24mm、GRD3、E-3 2.8-3.5/12-60mm
[PR]
by bbbesdur | 2011-01-07 01:22 | 座敷童子

a0113732_19371246.jpg

 一昨日、座敷童子協会神奈川支部の捜索員(通称ハマのG麵)より、報告があった。以下に全文を掲載し、全国各地で熱心な捜索活動をつづけている会員の補助とする。

 座敷童子が盛岡駅からやまびこに乗って、東京駅に移動したという連絡を受け、一年以上が過ぎた。東京に隣接する我々神奈川地区会員は昼夜を問わず、必死の捜索をつづけたが、残念ながら昨年は信憑性のある目撃情報は一件のみで、それも神奈川を通過したらしい、というだけものであった。
 8月中旬の朝まだき、新横浜駅のホームにそれらしき影が揺らめいていて、のぞみに乗って大阪方面へ向かったというのが神奈川情報であったが、この目撃情報は当支部としては報告に値しない、と判断し、内部連絡にとどめた。そのあとは大阪支部の夏の華々しいニュースのとおり、甲子園で数々の目撃情報が寄せられ、かつ嘆かわしいことに、あの忌まわしい「これが座敷童子だ!」という偽りのフォトショップ加工偽造写真に発展していったわけだが、大阪支部がかの撮影者(加工者)を支部より永久追放したのは当然かつ適切な措置であった。
a0113732_19372157.jpg

 今年の元旦に開かれた新年会で、じつは神奈川支部はおおいに盛り上がった。昨年の貧果をおもえば、呑んで食って騒いでいる場合ではないぞ! お屠蘇に大阪支部の爪のあかでも煎じて呑め、とお叱りを受けるやもしれないが、しかし我々にはある確信があったのである。
 いまのところ座敷童子は移動に新幹線を利用していると、我々は見ている。エラいといっても、やっぱり子供は子供で、新幹線に憧れているのだ。あるいは飛行機の利用もかんがえられるが、座敷童子にはマイレージがつかないから、おそらく利用しないだろう、という意見が多数だ。
 移動手段はひとまず置いておくとして、問題の核心は、なぜあのウダるように暑かった昨年の夏に、わざわざ座敷童子は、さらに蒸し暑いであろう大阪に、しかもさらにさらに暑い甲子園球場に向かったか、である。
 今年の夏の甲子園は沖縄県勢初の夏の優勝が沖縄の戦後を終わらせた、というのは会長がblogで報告したとおりである。まあ、会長の沖縄に対する思い入れは、男女間に喩えれば、毎晩繰り返される激しい肉体関係みたいなものだから、あんまり当てにできないが、それはともかくとして、我々は座敷童子は、子供らしく、スポーツ好きなんじゃないだろうか、とかんがえたわけである。遠野の川で釣りをしているところを見た、という情報がおおいことからも、名前のとおり、座敷童子がじつに子供っぽい存在であることは明らかである。そんな話で盛り上がっている宴の席で、A子が
「じゃあ、きっと駈けっこも好きよね」
 と呟いたのだ。その途端、我々神奈川支部会員は全員唾を、あるいは酒かビールを呑み込んだ。
「たいへんだー!」
a0113732_19373283.jpg

 一気に酔いが吹き飛んだメンバーは、酒とおせちをテーブルの脇に寄せ、翌日の箱根駅伝のコースマップをひろげた。箱根駅伝は神奈川県民のおよそ98%が沿道の応援に駆けつける、県の代表的イベントであり、だれもがコースを熟知している。
 我々は宴を戦略会議に変更し、熟慮ののち、往路、復路の監視場所を確定した。走者の中継点が重要ポイントであることはまちがいないが、しかし支部メンバーのなかに元陸上部のK助がいて、彼は、「じつは各区間にシロートには見えない要所があるんです。ぼくは座敷童子が現れるなら、中継点ではなくて、そういった地味な場所だとおもう」
 と厳かな口調でのたまわり、我々は、
「プロがいうなら」
 と彼の言葉にしたがった。K助は謙虚な性格で、自分の大学チームが予選会でも最下位であったことを認め、自分はプロではない、といった。しかしそういいながら彼はいまもアソックスに勤務して、残業の夜であっても毎日走り、主だったマラソン大会に出場するのであるから、セミプロなのである。
 いちいちメンバー紹介をしているとただでさえながい報告がさらにながくなるので、途中を端折って報告させていただく。
 座敷童子が現れたのだ、とうとう神奈川にも。アソックスのK助の予言どおり、各大学がエースを揃える花の2区に現れることはなく、ここ数年、連続して座敷童子ならぬ山の神が出現する5区でもなく、コース中もっとも沿道の応援がすくなく、つなぎ区間さえ呼ばれる3区に。
 3区は戸塚から平塚までの比較的平坦で、かつ直線のおおいコースであり、浜須賀の交差点で右折し、湘南海岸道路に出たあとは海沿いの単調な景色がつづく。
 その海沿いにコースを見下ろす古い旅館があるのだが、その旅館の窓に、座敷童子が顔をくっつけるようにしてレースを見ていた。興奮しすぎて、窓に顔をひっつけすぎていたらしく、一旦アンパンマン協会神奈川連絡所から「アンパンマン出現!」の誤報が流れたくらいだ。
 浜辺にいた神奈川支部会員Fは、じつは座敷童子捜索の本義をわすれ、事情あって、ただただ目の前を必死で走り抜ける選手たちを呆然と眺めていたのだが、だからこそ座敷童子を目撃することが出来たのである。
 これから先は正確を期すため、目撃者本人の弁を借りる。
 つづく
[PR]
by bbbesdur | 2011-01-05 19:45 | 座敷童子

#340 海を越えた少年

a0113732_2137028.jpg

 こころが疲れているとき、どこか遠くの場所を想うとすこしは安らいだ気持ちになる。行ったことがないところを想像するのは難しいし、逆に行ったことがあると、光景だけではなく、そのときの思い出までくっついてくるから安らげない。楽しい思い出は、悲しい思い出ほど邪魔にはならないが、それでも言葉やこころの動きそのものが生々し過ぎる。なにもおもいださず、なにもかんがえずにいたい。
 そんなとき、彼はきっと夜更けにここを観る。
 20秒ごとに映像がアップデイトされるが、なによりも無音なのがいい。間欠泉が無音で吹き上がってゆくのもいい。からだを寄せ合っているカップルが、彼のこころのどこかに眠っている情熱や欲望を思い出させることもない。見ず知らずの人が、無音で視界に入って来たり、出て行ったりするのを見ていると、だんだんこころが静まってくるのだ。
 世界はきっちり20秒ごとに消えては、ふたたび出現することを繰り返す。存在していなかった人物が姿を現し、たしかにそこにいたはずの人物がいなくなる。世界が彼を置き去りにして、早回しで動いているような気になるそんなとき、彼のこころは凪いだ朝の湖面のようになる。
 たぶん一種の逃避なのだろう。逃げ出すことのできない自分が、こころだけを逃がしているのだ。インターネットの通信回線を通って、目だけが太平洋を越えてゆくのだ。すくなくともひと月前のあの日まで、彼はそうおもっていた。
 ようやく初夏らしくなった5月中旬のその日に、しかし彼は画面のなかに奇妙な少年を見たのだった。少年はカラー映像のなかに唐突に紛れ込んだ昭和枯れすすきのような風情でそこに佇んでいた。
 初めは目の錯覚かとおもった。少年は日本人だった。少年の周囲には親や友人らしき人物はいなかった。彼は画面を可能なかぎり拡大した。
 少年はひとりぼっちだった。誰そ彼時のなかに空いた時空の綻びから、まろび出たかように間欠泉の前に立ち、そして突然振り向いて彼に手を振ったのだ。
 なにが彼にそう信じさせたのかわからない。しかし彼はそのとき、その少年が座敷童子であることを疑わなかった。自分になんらかのメッセージを伝えているのだ。
 翌朝、目が覚めたとき、すでに彼は気持ちを決めていた。目だけではなく、からだも連れて、ここから逃げるのだ。
 そしていよいよ明後日が決行の日。会社や家族にはちょっと釣りに行ってくる、と伝えてあるが、まさかイエローストーンに行って、そのままもどってこないつもりだとはおもわないだろう。
 最後の日の今日、彼は画面に目を凝らし、自分を見つめているひとりの少年に微笑んだ。
――君がわたしの人生を変えたんだね。
 with CONTAX 159MM Distagon28/2.8 1998年撮影 Lamont 人口3人、標高6,622feet(2,415m)
[PR]
by bbbesdur | 2010-06-20 21:47 | 座敷童子

#154 隣りの座敷童子

a0113732_2350056.jpg

 つい今しがたのことだ。岩手県に潜伏している内偵から座敷童子関連のニュースが飛び込んできた。情報提供者は花巻在住のBさんということだが、実名は公表しない、と内偵が約束したので、ここでは仮にBさんとしておく。ちなみに馬場さんでも伴さんでも坊さんでもなく、もちろんボブでもない。
 Bさんは3年前のある春の夕暮れに花巻市内のちいさな公園で彼女と出会った。彼女との付き合いの深さなどについての詳細も勘弁して欲しい、というのだが、想像するのはこちらの勝手だ。じっさい内偵は彼と彼女の関係の実態については、嫌になるほど知っていた。じっさい知りすぎていたかもしれない。知りすぎていると、夫婦間に限らず、だいたい嫌になってしまうものだ。
 夕暮れの公園で、ひとりブランコを漕いでいるBさんを見た彼女(Mさん)が声を掛けたのがきっかけだ。でもほんとうは声をかけたのではなく、花粉症のMさんはくしゃみをしただけだった。それなのにBさんは、どういうわけだか勘違いして、
「座敷童子をお探しですか?」
 と訊いたのだ。もちろんMさんは
「いいえ」
 と答えた。するとBさんは、
「偶然ですね、ぼくも座敷童子は捜してないんです」
 と返した。
 そんなわけでふたりは一瞬にして意気投合し、会ったその日だというのにホテルに行かずに、盛岡までドライブをして、駅前のぴょんぴょん舎に行って、カルビと冷麺を食べた。
 Mさんは2階の座敷席でBさんに身の上話をした。女の身の上話なんて退屈なだけだ、とおもっていたBさんは、Mさんが自分を「不幸の星の下に生まれた」というのを聞くなり、爆笑してしまった。
「ばかだなあ、コペルニクス以来、星じゃなくて地球が回ることになったんだ。いつまでも星の下にはいられないんだよ」といって不幸な彼女を慰めた。彼女はそれまでこんなに優しい男に出会ったことがなかった。愛情を語らず、科学を語る。なんて素敵な人だろう。その日からふたりは親密に付き合うようになった。それから3年経つがふたりはいまでも、
「あのとき座敷童子の話をしなかったら、わたしたちはいまこうしていないのね」
「ほんとうだね」
 などといい合って、ふたりを出会わせた偶然にこころから感謝するのである。じつはふたりは近々に結婚することも決まっている。でもふたりはまだそのことを知らない。彼らの出会いは偶然なんかじゃなく、Bさんの脇でブランコを漕いでいた座敷童子の仕業だったのだ。
 with GRDII 2007/6/27撮影 花巻
[PR]
by bbbesdur | 2009-07-01 23:55 | 座敷童子

a0113732_7461644.jpg

 彼は駅長から見張りを頼まれている。朝方、盛岡駅の駅長から東京駅の駅長へ重要な伝達があったのだ。
――座敷童子がそちらに向かった。要注意。
 朝礼の後に駅長から呼ばれ、今日だけ通常勤務から外れて座敷童子の発見に集中するように命じられた。彼はこころから、
――バカらしい!
 とおもった。けれども彼は気骨のある生粋の鉄道員というよりは、どちらかというと柔軟なサラリーマンだったから、真摯な作り顔でもって駅長に頷いた。
 退屈な1日が始まった。ながいながい午前中のあとに、待ちに待ったランチタイムがあって、そのあとにひたすら眠くなるだけの永遠の午後が待ち受けていた。
 いつものように入線する電車を待ち受ける細切れの時間のなかで働いている仲間が羨ましかった。彼が鉄道員になった理由は、時刻表が好きだったから。電車が好きだからという理由で入社してくる仲間がおおく、もちろん時刻表首っ引きの鉄道少年経験者がおおかったが、彼のように純粋に時刻表だけが好きだという男はすくなかった。ほんとうは時刻表を発行する出版社に勤めた方が良かったのかもしれない、と後悔したときには30歳を過ぎていて、妻も子供もいた。
 ザシキワラシって、どんな姿をしているのだろうか。
 なんといっても東京駅は日本の中心だから、なにもかもがやってくる。有名な芸能人から名も知れぬ妖怪までが、日本全国から集まってくるのだ。駅長の妖怪好きは、5年前にゲゲゲの鬼太郎がやってきたときに始まるといわれている。肩に乗った目玉親父に語りかけられた駅長は、頬を紅潮させて、
――これまでわたしたちは妖怪たちをひどく扱いすぎた。これからは妖怪たちを大切に扱おうではないか。
 と宣言したのだ。こうして東京駅は現世への気軽な玄関口となり、噂を聞いた日本全国、津々浦々の妖怪たちが列車に乗ってやってきた。
――バカらしい! 
 とそのときもおもった。しかし彼は野に暮らす狼ではなく、犬小屋に飼われる従順な犬だった。妖怪を見かければ、待合室に通し、お茶をふるまうくらいのことはした。
 あまりの退屈さ加減に、そんなことをおもいだしてはぼんやりとしていたから、彼は23時08分東京駅着はやての最終列車32号に乗ってやってきた座敷童子を見逃してしまった。不思議なスポットライトが当たっていたというのに。こうして彼は幸運をつかみそこねた。
 with GRDII 2009/6/27撮影 東京駅
[PR]
by bbbesdur | 2009-06-30 09:18 | 座敷童子

a0113732_002168.jpg

 そりゃあ、怖いさ。でも、なんとか見たいんだよ。あんたも、どうだい、いちどいっしょに警備の手伝いをやってみないか? 夜も2時を過ぎるころになれば、さすがにだれも通らなくなる。12時過ぎまでは、ときどき酔っぱらいやら残業帰りのサラリーマンも見るけどね、日付けが変わると、人がいなくなるんだ。
 この駅前通路は幾本も枝分かれしているから、その角を曲がるときがいちばん怖いんだよ。だれかが、いやだれかと呼べる存在ならいいんだがね、その、なにが、隠れているんじゃないかってね。なにがってなにか、って? うーん、あんまりはっきりいいたくないんだけどもね、座敷童子だよ。
 釜石線って知ってるだろう、最近は銀河鉄道って呼ぶんだけどもね、なんたって、岩手は宮沢賢治の土地だからね。ま、それはいいんだが、3年前の夏に座敷童子がその釜石線の遠野駅から乗ってきて、いまは盛岡駅構内に棲みついているっていう噂がもっぱらなんだ。もともと盛岡にもいるらしんだが、やっぱり遠野が本場だろう、ああいった類いのものは。
 座敷童子を見ると福がやってくるというけどねえ、じつはねえ、オレ、いちど真夏に早池峰の麓にある釣宿に泊まったときに、経験したことがあって、でも福なんて来なかったんだ。人にいうと、そりゃあ、オマエさん、見たわけじゃないだろう、っていわれてね。まあ、たしかに見たわけじゃない。深夜に風鈴が鳴ったんだ。窓を閉め切った部屋の中でだよ。蛾かなにかだって、いうんだろう。バカいっちゃいけないよ、蛾が歌うかい?
 with GRDII 2009/6/26撮影 盛岡
[PR]
by bbbesdur | 2009-06-29 00:05 | 座敷童子