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 診察を終え、改めて診察室の椅子に座ったぼくに向かって、医師はお尻の断面模型を見せた。ぼくの痔核は内痔核と言って、歯状線(しじょうせんと読む)の内側に出来たイボ状の腫れ物のことである。歯状線はK門の奥にある。K門は外側からはシワシワの円い穴に見えているから(ぼくを含む多くの人が自分のものを見たことがないんじゃないかな)、ぼくたちは普段K門を2次元的に意識しているが、医学的には奥行きは3センチ前後あるのが普通だそうだ。で、この3センチ先には直腸がある。その直腸とK門の境目がギザギザになっていて、そこを歯状線と呼ぶのだ。つまりぼくたちが一般的にイボ痔を指しているのは、この歯状線より外側、つまりK門に出来た腫れのことで、外痔核という。ところが歯状線から内側の直腸側が腫れることもままあって、それが内痔核である。腸には痛みを感じる神経はないから内痔核そのものは痛くない。痛くなるのは内痔核が腫れ上がり、歯状線の外側、つまりK門に飛び出したケースだ。ぼくのは3つとも完全な内痔核だから痛みはなかったが、医師はついでだから処置することにしましょう、とぼくの意思を問わずにそう決めた。
「処置というと?」
「注射を打つんです、もともと神経がないところだから、あまり痛みは感じないと思います」
 そうこれが「切らずに治す」噂のジオン注射なのであった。ぼくはひとまず安心したが、肝腎の痔瘻についてどうするのかの説明はない。ぼくは恐る恐る聞いた。
「Bさん、痔瘻というのは、切らずには治せないんですよ」
 医師は銀座のアップル・ストアでMAC BOOKの値引きを訊いた客に対して「大変申し訳ありませんが、あいにくお値引きをすることは出来ないことになっておりまして」と笑顔で答える店員のように、使われている丁寧な言葉づかいと表情とは裏腹に、この決まりごとに例外はないという断固たる信念を表明した。一般的にはポーカー・フェイスが多いこの業界で、この医師はどこか役者的なというか、営業的というのか、豊かな表情を見せるのが特徴で、それはどうやら「わたしには患者さんの気持ちが十分わかっていますよ」という表明らしかった。ぼくのジョークには笑わないから、どこかチグハグな印象で、だから役者的に見えるのだ。ひょっとすると単にぼくのジョークが面白くないだけかもしれないとしても。
 わたしは1945年8月15日の玉音放送を聴いた後に日本国民が感じた虚脱感を胸にクリニックを後にした。うすうすわかってはいたけれども、やっぱりダメだったか。耐え難きを耐え、忍び難きを忍んできたというのに、やっぱりそうか。折しもクリニックの真裏では家の建て替え工事が行われていて、トカトントン、トカトントンと小槌の音が響くのであった。

 

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# by bbbesdur | 2017-03-27 21:30 | health care

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 診断中に医師の声音が変わる場合、それはほぼ100%間違いなくバッド・ニュースだから、ぼくは固唾を呑んで次の言葉を待った。
「痔核がありますね。うーん、それも2つ、いや、ちょっと待って下さいね、いや3つですね、3つ」
 と言うのだ。
「痔核ですか」
「ええ、まあまあの大きさです」
 ぼくには医師の言う「まあまあの大きさ」がどの程度なのか想像がつかなかった。
「痔核というのはつまりイボ痔ということですか?」
「ええ」
 と医師が当たり前のようにそう答えるから、ぼくは、
「つまり痔瘻とイボ痔のダブルというわけですか?」
 と聞くと、
「まあ、よくあるケースですから、心配しなくても大丈夫です」
 と言う。もちろんこれ以上心配なんてしたくないが、壁を向いて診察台に横たわっていたぼくは、
 痔瘻 +(イボ痔×3)=悲し過ぎる
 の計算式を頭に浮かべていたのだった。
 しかし人間というのは希望の生き物である。希望という思念が実体化したのが人間じゃないのかとおもうほど人間は希望が好きである。宗教しかり、教育しかり、行政しかり、人間はより良き翌日を信じていないと生きていけないのだ。
 ぼくはこの人間性を「1ミリの希望」と呼んでいる。
 ぼくがハマり込んでいるフライフィッシングの世界の話をしようか。釣り人は夜明け前に釣り場に到着し、朝もやの中で支度をして、1日への大いなる期待をもって川や湖へ浸透し、次の一投、次のポイントへと歩を進める。大物はまだ釣れないけれども、ひょっとするとあのカーブの向こうには楽園が待っているかもしれない。次の一投こそは。でも釣れない。いや待てよ、あの先に見えている淵はどうだ。いかにも大物が潜んでいそうな場所ではないか。でも釣れない。あれっ、あれは滝か。なるほど、きっとここまでは誰でもやる場所で、ここで諦めてはいけないのだ。滝上は釣り人が少ないはずだ。おそらく滝を高巻きした釣り人だけが栄光を手にすることが出来るのだ。このとき釣り人は欲望と希望の塊である。欲望は満たされることもあり、満たされないこともある。しかし希望だけは夜明けから日暮れまで常にそこにあって釣り人の背中を押しつづけるのだ。夕暮れが来て、釣り人は釣れても釣れなくても、欲望を身から削ぎ落とした状態で車へと引き返す。このとき釣り人は本人も気づいていないが、じつは解脱しているのだ。もしそんな状態の釣り人を見かけたら、あなたは無、すなわち仏様を見ていることになる。恭しく一礼し、黙して手を合わせるとご利益があるかもしれない。
 なんの話だっけ? そうそう痔の話だった。ついつい釣りの話となると夢中になってしまう。
 で、その1ミリの希望を胸に、つまり、早い話が、こんな事態に陥っていても、ぼくはなお「切らずに治す」方向に光明を見出そうとする希望の人だったのである。

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# by bbbesdur | 2017-03-23 20:25 | health care

#684 痔の話 第10回 

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 痔瘻は、お尻にもうひとつ穴が開くという、無意味に過剰な病気である。オレはひとつだけでいいからね! と言ってもムダだ。どうせバイパスを作るなら、第2東名みたいにピカピカで立派なヤツにして欲しかったが、残念ながらぼくのヤツは旧天城トンネル並の古クサさだった。
「ここまでポッカリ開いているのも珍しいです」
 と医師は言った。ぼくとしては余裕のあるところを見せたくて、なんとか気の利いた一言を言おうとしたのだが、その前に医師は、
「これ痛いです……」
「イターーーーー――!!!!!」
 医師としては痛みの確認は患部特定のために欠かすことの出来ない手順であることはわかる。しかしわかり易すぎるくらいぽっかり開いているんだったら、もう少し遠慮した触り方をしてくれればいいものを、ほとんど穴(もう一つの)に指を突っ込んだかとおもうような勢いでやるから、ほとんど1日の体力を使い切ったような汗が一気に吹き出した。
「ですよね」
 と医師の声は、前回患部が腫れ上がった時をコピーしたかのように、はっきりと嬉しそうなのである。わかりやすい医師だなあ――、とおもう余裕などその時のぼくにはなくて、ただひたすら、もうあそこには一切指を触れないでくれ、という強い気持ちでいっぱいだった。指で触れられてこれだけ冷汗が出るくらいなのだから、万が一手術ともなれば最低失禁は間違いないところだとおもった。じっさい診察中、もしくは手術中、何かの拍子に催してしまわないかという恐怖は常にある。殊に治療中は抗生剤を服用しているためにお腹が緩くなっているからなおさらである。
 医師はぼくの第2の穴にいたく満足し、ぼくもひとまず患部の特定が出来たことには安心して医師の見立てを待ったが、なお執拗にK門鏡を覗き込みつづけていた彼は、ふいに
「おやっ」
 と言ったのである。

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# by bbbesdur | 2017-03-22 22:14 | health care