2017年 07月 16日 ( 1 )

#697 痔の話 第21回

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 医師はおそらくは本来使用するはずだったメスではない、おそらくは大きめのメスで手術を始めた。大きめと思ったのは医師と看護師が交わす会話の端々に「小さい」とか「細い」といった単語が現れては消えていたからだ。ぼくはアジフライを作るために、マグロ用のぶつ切り包丁を使っている板さんの苦労を思った。とはいえ、一流の板前であれば可能ではないのか。プロとはそういったものではないのか。なくても出来ると言い切った医師の自信を信じてみてはどうだろうか。ぼくは俎板の上でそう思ったのだった。

 いったいどういった手順で手術が進行しているのか皆目見当がつかなかったが、肉がこそぎ落とされるような「シャー、シャー」という音がある程度のリズム感を伴って、ぼくの耳に届いていた。すべての作業がK門鏡と呼ばれる筒状の金属の中で行われているはずで、ほとんど直腸に近い奥の部位にどうやって正確にメスを入れるのか、ぼくは不思議だった。

 穴の背中側が切られるとき、少し痛いような気がして、医師に告げた。

「ここは括約筋が近いところなんで神経が敏感なんです。ちょっと麻酔を足しましょう」

 そう言って追加される麻酔の注射が痛いのが辛かった。そしてまた「シャー、シャーと」という音が、今度はお尻の骨にやや反響しながら聞こえ始めた。

 そんな作業がおそらく20分くらいつづけられたはずだ。医師はぼくに「大丈夫ですか?」と声をかけた。ぼくは「大丈夫です」と答えた。

「これから穴の奥側を縫います。これが終われば完了です」

 医師はK門鏡を奥に進めたが、ぼくのK門は音をあげ始めていた。手術の痛みというよりは、押しつけられたK門鏡が辛かった。たぶん医師はそんな状態を知っていて、手術が最終段階にあることを知らせて、患者の忍耐を要求するのだ。ほんとうにこの医師は患者の気持ちをコントロールすることに長けていると恨めしい気持ちでそう思った。

 これが終われば完了というわりには作業は長かった。しかしすべての物事には終わりがあり、あらゆる苦痛には終わりが来ると信じて、ぼくは目の前の美しい海岸を見つめつづけた。

 縫合部分を固めるために、念のためにジオンの注射を打つと医師は言った。ぼくはいったい何本注射を打たれたか、すでに思い出すことが出来なかった。縫合部分にジオン注射を打つというのは、おそらくはこの医師の経験から来る独自の処置方法だと思う。

 そうしてまたK門鏡がお尻に入っていき、ぼくは激しく呻いた。

「大丈夫ですか?」

「はい」

 大丈夫ではなかったが、ぼくはそう答えた。この最後の最後に来て、もう痛いから止めてくれと言るはずもなかった。そしてまたしても注射は痛かった。転んで擦り傷だらけになった膝小僧に紙やすりをかけられるような気分だった。

 そうして手術は終わった。ほんとうに終わったのだと、ぼくは目の前に打ち寄せる透明な波を見つめながら思った。


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by bbbesdur | 2017-07-16 09:50 | health care