#209 くたびれもうけ

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 なんとも沖縄らしく、おおざっぱに作られた道路に見えるが、じつはこの道路、昔は滑走路(正確には誘導路らしいが)だったのだ。遠くに見えるおおきな建物が読谷村役場で、管制塔がデザインの一部になっている。
 読谷に飛行場を作ったのは日本の陸軍で、沖縄戦の直前に突貫工事で作られた。それなのに、肝腎の飛行隊はいつまで経っても配備されず、米軍上陸の日が近いことを知った日本軍は、空っぽの飛行場を眺めておののき恐れた。これではまるで上陸してくる米軍のために作ってあげたも同然ではないか、と。そこで日本軍はこんどは飛行場を壊しにかかった。まったくクタビレモウケとはこのことである。
 戦後ながらく米軍の占有地だった読谷飛行場が返還されたのはわずか3年前のことで、いまでも住宅工事中に不発弾が爆発して人が死ぬのが沖縄なのである。
 昭和31年以来、日本では「もはや戦後ではない」ことになっているのだが、この島ではぜんぜん戦後なんて終わっていないのである。
 with GRD3 2009/9/25 読谷
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by bbbesdur | 2009-10-04 11:15 | okinawa