#189 夢の香り

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 老人はいつものように自転車で海岸を一周してくると妻にいって家を出たが、ほんとうはひとりになって夢のつづきを見たかったのだ。
 あんなところで彼女に出会うなんておもいもしなかった。いったいあれから何年が過ぎたのだろう。高校を卒業すると同時に東京の就職先へ向かった彼女からはその後の音信は途絶えた。だからたぶん60年ぶりなのだ。それなのにすれ違った途端にふたりはお互いを認識した。
 顔つきだろうか? 雰囲気だろうか?
 老人は、しかし彼女を見た瞬間に、香しい匂いをかいだのだった。60年前に抱きしめたあの甘く切ない香りが、擦れちがいざまに唐突に香り立ってきて、慌てて振り向いたら彼女もおなじように振り返っていて、目が合ったのだ。まさか18歳の乙女の香りがそのまま残っているなんて、かんがえられない。視覚が臭覚に悪戯したか? もはや香りどころか、加齢臭に悩まされている歳だというのに。
 老人が眠りに就いた途端、ふいに懐かしい香りがたちこめてきて、けれど老人はもう夢のなかにいて、自分が昨夜とおなじ夢のなかにいることを知らない。
 with GRD3 2009/8/21撮影 那覇
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by bbbesdur | 2009-08-26 06:42 | 短編小説