#168 渡良瀬橋

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 彼女は、きっといっしょに行くといってくれる。彼はそう信じてメールした。やや間があって、返信がもどってきた。
<いいわよ>
 彼女のアパートに着いたのが22時すこし前。それからふたりは中央道を西に向かい、八王子JCTで圏央道に入って北上し、鶴ヶ島JCTで関越道に乗り替え、赤城高原サービスエリアに到着したのは0時40分のことだった。
 サービスエリアの外れにスターバックスがあるが、照明は消えていて真っ暗だ。あるいはまだ開業前なのかもしれなかった。サービスエリアの施設全体が改装中のようで、一時的に外に引っ張り出された自動販売機ばかりが、やたらと明るかった。
「それにしてもアナタもモノ好きねえ。いったいぜんたい、なんだってこんなバカげたことばかりするのよ」
 前回誘われたのは2月の、恐ろしく冷え込んだ日の夕暮れのことだった。
<群馬名物、空っ風を浴びながらキャラメル・マキアートを飲もうとおもうんだけど、興味ない?>
<バッカじゃないの、こんなに寒いのに!>
<赤城おろしを浴びながら渡良瀬川の河原ですするキャラメル・マキアートは甘くて、甘くて、コタツのなかで食べるぜんざいよりもはるかにおいしいって知ってるかい?>
<だれがいったのよ?>
<ぼくだ>
 5分ほど間の空いたメールで、彼女は
<ほんとうよね? ほんとうにおいしいわよね?>
 と返信した。彼女は森高千里の「渡良瀬橋」を聴くと泣きたくなるのだった。いつか渡良瀬橋から夕日を見たい。この人、なんでわたしの秘密の部分を知ってるんだろう。
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 そうしてふたりは中央道、圏央道、関越道を乗り継いで高崎まで行き、AEON MALLのなかにあるスターバックスでキャラメル・マキアートを「熱めで」と注文し、近くの河原で震えながら飲んだ。
 渡良瀬川ではなかった。渡良瀬川より利根川の方がずっと高崎から近いってわかったから、と彼はいった。やっぱりこの人、ぜんぜんわかってない、とおもった。
 舌を灼くほどのキャラメル・マキアートは利根川の川面に白波をあげながら渡ってくる赤城おろしにまるで無力だった。冷えきったキャラメル・マキアートを利根川に流す彼女に、彼は、ゴメン、といった。
――ほんとうにバカよ、あなたは。
 車のなかにもどっても、なかなか暖まらないからだを両腕で抱えながら彼女はそうおもった。東京に帰ってからも、どこか落ち着かなかった。彼からのメールは月に一度あるかないかだった。
「そんでもって、こんどは、プー次郎肉まん、かい!」
 彼の説明によれば「プー次郎肉まん」は赤城高原サービスエリアで搬送中の豚が逃げ出した事件がアイディアの発端だったという。しかしなぜ彼が「プー次郎肉まん」を食べたくなったかについては謎のままだった。
 バカらしい! いったいぜんたい、なんでまた夜中に肉まんを食べに行かなくちゃならないの、と彼女はおもい、携帯電話の画面を見つめて固まり、そして5分後にOKと返信した。なんだって、こうなっちゃうんだろう、と溜め息をつきながら。
 夜中のサービスエリアはもちろん閑散としていて、フードコーナーにはぼんやりと天井をながめている男の店員がひとりいるだけだった。
「プー次郎肉まんをふたつください」
 天井から目をもどした店員は憐れむような目つきでふたりを見て、
「昼過ぎに売り切れました。人気商品なもので、すみません」
 といった。
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「昼過ぎ・・・・・・、12時間も前か」
 彼は腕時計を見て、そう呟いた。
 彼女はこころの底からがっかりした。
「このためにきたのに」
「どこから?」
「東京です」
「このためって、豚まん2個のために、ここまで?」
「ええ」
「あんたたち、どうかしてるよ」
「ええ、どうかしてるんです」
 彼女は本心からそういった。
「なにか別なものを食べようよ」
 彼はそういったが、彼女の胃は肉まんを受け入れるための準備を整えすぎていた。
「いらないわ」
「ゴメン」
 店員はふたりから目をそらして、ふたたび天井を見上げた。ふたりはその視線の先を追った。
 天井にはとてつもなくおおきな蜘蛛がいた。
「こんなにおおきな蜘蛛なんて、見たことがないな。さすが赤城山だ」
 彼がそういうと、店員は、
「ひょっとすると、これがカマイタチの正体かもしれませんなあ」
 と、ぼそっ、と呟くようにいって生唾を呑み込んだ。
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「まさか」
「いるっていう噂なんです。赤城の山のなかに、国定忠次の刀のような刃を持つカマイタチが」
「怖いわ」
 そういって天井から目を下ろしたまさにそのとき、彼女が手を置いていた目の前のレジ台にぽとりとその蜘蛛が落ちてきたのだ。
 彼女は赤城山中に隠れている国定忠治にさえ聴こえるような叫び声をあげた。
 気づいたとき彼女は彼の腕のなかにいて、熱くたぎるような自分の胸に気づいていた。彼の熱い胸が自分を受け入れたがっていたことにも。あなたはわたしを喜ばせたくて、たまたまそれがうまくいかないだけなのよね、きっと。
「蜘蛛が天井から落ちるなんて、天変地異に等しい」
 店員はひどく冷静にそういった。
 彼女は彼の肩越しに、レジ台から一目散に逃走する蜘蛛をじっと見つめた。だめよ、逃げちゃ、もうあなたを離さないんだから。彼のからだを強く抱きながら、そうよ、ここはカカア天下と空っ風の土地なんだから、わたしが決めるのよ、とおもって彼女は彼の耳元に囁いた。
「いまから渡良瀬橋に行って、朝日を見ない? そしてそのあと八雲神社に行っていっしょにお祈りするの」
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 with GRDII 2009/7/17 黒崎サービスエリア、2007/9/17 鶴川、2009/7/17 赤城高原サービスエリア、2009/6/20 八ヶ岳、2009/7/17 日本海東北自動車道 新発田付近
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by bbbesdur | 2009-07-20 11:15 | 短編小説