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絶命した川

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 5月15日、金曜日の早朝、ぼくたちは中央自動車道を西に走った。ふたりで申し合わせて会社を休み、奥秩父にある秘密の川へ向かったのだ。
「ユーミン、元気かなあ?」
 右に府中競馬場、左にサントリーのビール工場が見えたところで友人がそういった。
「たぶん、元気だ」
 ぼくは近頃の日本のポピュラー音楽界の動向については、3歳児並みの知識しか持ち合わせていないけれども、そう答えた。なんとなくユーミンは元気にしているような気がしたのだ。それからしばらくぼくたちは、ユーミンが荒井由美だった時代を懐かしんだ。会話の途中で友人はぼくの重大な記憶違いを正してくれた。ユーミンの結婚相手は山下達郎じゃなくて、松任谷正隆だというのだ。それでないと松任谷由実にならないじゃないか、と。かんがえてみればあたりまえの話だった。きっとぼくの頭のどこかが混線していたのだ。でもほんとうのことをいうと、ぼくにはどちらでも良かった。ユーミンが松任谷正隆と結婚していようが、山下達郎としていようが、たぶんぼくには関係がない。だから、ふーん、そうだったんだ、といった。友人は、山下達郎の奥さんは、たしか竹内まりやだったはずだ、といったがあんまり自信はなさそうだった。竹内まりやといえば、ぼくは不思議なピーチパイしか知らない。こうしてぼくたちの会話はほとんど無意味に費やされつづけた。阿呆が阿呆の話をしているようなものだ。だからといって無駄だったかというと、そうでもないような気がした。遠い日の話や知らないことをあいまいに話しながら遠くに向かうのは良かった。
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 そうこうしているうちに、ぼくたちが眺めているフロントガラスはどんどん新緑で埋まってきた。笹子トンネルの前のパーキングでは左手に富士山が見えた。まるで真冬のように、真っ白だった。トンネルを抜けると南アルプスが壁のように立ちはだかっていた。右に甲斐駒ケ岳、中央に鳳凰三山、そしてもうひとつトンネルを抜けると角度が変わって、視界の奥の奥に日本で二番目に高い山、北岳のてっぺんが見えた。富士山とちがって、奥ゆかしいところがいい。目立たなさすぎるくらい目立たない。だいいち北岳が日本第2の高峰であることを知っている人は、たぶん100人にひとりくらいだろう。ぼくも友人もかつては高い山に登っていたから、知っているだけのことだ。
 登山道の入り口で車を止めた。ぼくたちは、散歩する牡犬が匂いつけをするように、車を降りておしっこをした。ここはオレのテリトリーだから、ほかの釣り人は立ち入るべからず、と宣言するように。おしっこをしながら見上げると、頭上にはおおきな橋があった。
 森に降り注ぐ陽射しは透明だった。登山道を30分ほど登った先に目指す川があった。山の空気は乾燥していて、汗はすぐに乾燥した。木漏れ日が揺れると、地表に降り積もった落ち葉が、大海原のようにざわめいた。見上げるとホウノキやトチノキのおおきな葉が空中に浮かんだ小舟のように揺れていた。
 登山道の終わりに吊り橋があった。吊り橋は、川下からの風を受けて、静かに山を繋いでいた。ぼくたちは吊り橋を渡ってから、一気に崖を下って釣り始めた。
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 水はおそろしく澄んでいた。水温を測ると9℃だった。すこし冷たいかな、とおもった。期待した虫は飛んでいなかった。だからぼくたちは、空気が暖まったお昼過ぎに期待することにした。この時期は日和次第でカゲロウやトビケラなどの水生昆虫が羽化したり、しなかったりする。虫が飛ばないと、虫を模した毛針を使うフライフィッシングは困難になる。飛んでいる虫なんているはずがないときに、川面を虫が流れてきても、魚はちゃんとそれが偽物であることを見分けるのだ。本物の虫が流れているときなら、偽物も本物っぽく見える。たとえばレストランに行って、ガラスケースのなかにならんでいるロウ作りのサンプルをまさか食べようとする人はいないが、万が一注文したものとおなじものがテーブルに運ばれてきたなら、ひょっとすると口をつけるくらいのことはするかもしれない。それがフライフィッシングなのである。
 午後一時過ぎ、ぼくたちは、河原に坐っておにぎりを食べた。おにぎりはおいしかったし、登山道の入り口の茶屋で買ったよもぎ餅もおいしかった。ぼくたちは言葉すくなく、周囲の新緑を眺めながら、お茶を飲んだ。
 まるで絶滅してしまったのかとおもうほどに、魚は釣れなかった。秘密の川は一夜にして秘密の川ではなくなることをぼくたちはとてもよく知っているから、元気がなくなるということもなかった。ただ、釣れるときよりも言葉がすくなくなり、景色を眺める時間が増えるだけのことだ。以前は、平日にきて釣れないと「世紀末的だ」とか「これからの日本の自然はどうなるのだろうか」などと憂いたものだが、いまどきの魚はほぼ100%放流魚か、良くても放流魚の子孫だから、とくに世を憂いる必要なんてないのだ。
 それでもぼくたちは絶命した川を魚止めの滝まで遡った。いつか死ぬとわかっていても、生きつづけるように。
 with E-420 ED14-42mm F3.4-5.6 2009/5/15撮影 山梨
by bbbesdur | 2009-05-17 14:28 | flyfishing