時代のロマンス

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 後ろの座席におしゃべりな男が坐っている。ロマンスカーの最新形3100(VSE)はとても静かに走る。会話は周囲に筒抜けだ。男はぼくの知っている世界を語っている。ときどき刺激的な言葉が耳に入ってきて、ぼくは眠ることができない。ニコマートとかOM1といった単語がぼくの耳を必要以上に敏感にしているのだ。
 聴き手は女性でぼくの乗った町田駅からずっと、「そうなの」「ええ」「へー」という、ほぼ3種類の相づちを使い分けて見事に対応している。中年男が語る『銀塩カメラの歴史』なんて、いまどきのカメラ小憎ですらあくびを漏らすにちがいないというのに。
 ロマンスカーは登戸を過ぎ、多摩川を渡った。男は隣りの女性にむかって熱心に語りつづける。それにしても女はおそろしいほどの聴き上手だ。聴き上手すぎて、語り手が騙されてしまっている。女はまるでニコンやオリンパスの歴史にほんとうに興味を持っているような絶妙な相づちを打つから、男は調子に乗って先を語るのだ。
 成城学園前を通過したとき、男の話はミノルタX7のCM「いまのキミはぴかぴかに光って」までやってきた。女は、はじめて「あらっ、宮崎美子って、昔モデルやっていたのね」とフルセンテンスを口にした。ずいぶん色っぽい口調だ。ぼくは外を眺めるフリをしてやや後ろを向き、窓に反射する背後の座席の様子を探ったが、明るすぎてなにも見えなかった。ぼくは見えない女の姿の代わりに、浜辺でジーンズを脱いでいる宮崎美子の姿をおもいだした。
 男の口からα7000という言葉が出たとき、懐かしさに痺れそうになった。ぼくが初めて買った一眼レフだ。長男が生まれたときに買ったのだった。我が子の成長を記録しようと。男はもちろん世界初のオートフォーカス一眼レフカメラの偉大さについて語った。あの有名な逸話も。α7000の試作機で撮ったベタ焼きを、現像所にたまたま居合わせたプロカメラマンが垣間見たときの驚きを。すべてのコマにピントが合っているベタ焼きを見て、そのプロカメラマンは、とんでもない腕を持ったカメラマンがいると己の技量の未熟さに絶望したという伝説だ(マニュアルフォーカス時代にはプロであっても、ピント合わせに歩留まりの限界があったから)。
 男がオートフォーカス機に出遅れたニコンの開発体制について語り始めたとき、女の携帯電話が鳴った。
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「あら、どうしたの、こんな時間に? 」
 と、まるで店のなかにいるような艶かしい声を出した。
「ううん、ちょっと風邪気味だったから・・・・・・」
 店を休んだか。
「今日は、もうだいじょうぶ・・・・・・、もちろん・・・・・・ばかねえ、そんなわけないでしょう・・・・・・ええ、わかった」
 女はそれだけいって電話を切った。
「だれだい?」
「お客さんよ」
「なかなかいいムードじゃないか」
「あら、気にしてくれるの?」
「そりゃー、まあ・・・・・・」
 と男が曖昧な返事をすると、女は、ぜったいにほかのだれにも真似できないような不思議な長さの間を空け、ほかのだれにもぜったいに真似できない不思議な声音で、
「ばかねえー」
 といった。
 ぼくは先が気になった。もちろんニコンのオートフォーカス戦略だ。しかし男はこの世にカメラなんて存在しないかのように、むっつりと黙り込んでしまった。
 ロマンスカーが下北沢を通過しても、新宿到着のアナウンスがながれても、男は黙ったままだった。たしかあの当時、オリンパスは大場久美子だったはずだ、とおもいながら、ぼくは近づいてきた新宿の街を眺めた。
 高い塔が聳え立ち、ぴかぴかの建物が並んでいる。あれからずいぶん時が経ったのだ。いま乗っているロマンスカーもそう。あのころはミノルタとおなじく7000形(LSE)がぴかぴかだった。そうだった、オリンパスOM10は
「好きだという代わりに、シャッターを押した」だ。ずいぶん明るい時代だった。
 with FINEPIX F30 2007/10/31撮影 小田急新宿駅、GRDII 2009/3/6撮影 小田急町田駅

*CMの情報は『ズイコー-フォーサーズ あれこれ + FX』からです。オリンパスに関する情報源としては、ぼくの知っているかぎり最も信頼できるblogで、なによりもオリンパスファン独特の「ディープでいながら、ほのぼのしている」かんじが伝わってくるところがいい。
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by bbbesdur | 2009-05-02 23:52 | around tokyo