#687 痔の話 第13回 言葉のない世界

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 手術実施の宣告からおよそ1週間経った、ある晴れた日に、ぼくは再びクリニックを訪れた。街路を薫風が吹き抜け、5月の陽光を浴びた街路樹がキラキラと輝いていた。季節はぼくのお尻の状況とは、まるで無関係に夏に向かって歩調を速めていた。世の中はこんなにも輝いている。ぼくだけが憂鬱なのではない、ぼく以外にも今日のこの美しい日に痔の手術をする人がいるんだ、とあてどない共感を求めて空を見上げた。上空の遥かの高みを西に向かう旅客機が飛んでいた。その飛行機を見上げながら、座席にずらりと並んでいる乗客のお尻の想像をしている自分が哀しすぎた。いったいぼく以外の誰が空を飛ぶ飛行機を見上げて、そんなことを想っているというのだ。
 医師ひとりの小さなクリニックだから、手術は午前と午後の診察時間の合間に行う。つまり手術がある日はお昼休みが短くなるから、看護士たちはきっと患者を恨んでいるに違いない。しかもランチの直前にK門を見たり、触れたりしなくてはならないのだ。つくづく因果な商売だと溜息まじりに術後の患部を消毒しているのだろう。しかし患者のこちらだって、何も好き好んで皆さんにK門を露出しているわけではないのだ。看護士はお金をもらってK門を見て、患者はお金を払ってK門を見せるのだから、不思議なものだ(たぶん全然不思議ではない)。
 クリニックに到着すると、午前中の最後の患者が会計を済ませたところだった。ぼくは診察券を出しながら、カウンター越しにリーダーらしい受付の女性に語り掛けた。
「こんなに素晴らしい日なのに、ぼくだけが……」
 彼女はとびきりの笑顔をぼくに見せながら、
「きっと明日は素晴らしい日になってますよ」
 と言ったのだ。ぼくは『風と共に去りぬ』の「Tomorrow is another day」を思い浮かべつつも、彼女の言った明日という日の明るさを信じる気にもなったのだった。笑顔は魔法で、言葉は呪文だ。言葉があるからこそ、ぼくたちの世界には意味が渦巻き、ひいては人生にさえ意味を見出さないと生きていることにはならないような錯覚に陥るわけだ。かつて詩人田村隆一は『言葉のない世界』でこんなことを言った。

 ウイスキーを水でわるように、
 言葉を意味でわるわけにはいかない

 さすがだよね、田村隆一。居合抜きのように、詩の中に一閃言葉が煌めく。そうして出来上がった詩にぼくたちが意味を探ることを知っているからタチが悪い。4回離婚して、5回結婚しているけれども、別れた元妻たちから恨まれなかったというから、よほどいい加減な男だったんだと思う。
 というようなことを、そのとき思ったわけじゃないけども、まあぼくが内向きになっていたことだけは事実だ。

 そりゃあそうだよな、
 痔の手術の当日に、
 明るく輝いているヤツがいたならば、
 きっとソイツは太陽だ。

 やっぱ1回も離婚してないから詩も不出来だ。ところで文学者と言えば、芥川龍之介だって痔じゃなかったら、自殺しなかったかもしれない(ちなみに芥川は前回の記事で説明した内痔核が外に出てくるタイプの痔で、温めたコンニャクを使って痛みをうっちゃっていたらしい)。それもこれもK門が暗鬱な穴蔵だからいけないのだ。神様がもう一度人間を再創造するチャンスがあって、ひとつだけ希望を聞いてくれるなら、ぼくは人類を代表して「明るく開放的なK門」を希望する。便秘に悩んでいる人も、痔に悩んでいる人もいなくなり、地球は喜びに溢れる惑星になるだろう。


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by bbbesdur | 2017-04-11 23:10 | health care