#698 痔の話 第22回 欺瞞と真実


 医師がしばらく安静にしているようにと言って、カーテンの向こうに消えてしばらく後、ぼくは身体に異変を感じた。大イベントが終わった安堵の余韻に浸とうとしていたぼくだったが、じわじわと強まる便意(以降B意)にたまらずに看護師を呼んだ。しかし看護師は、そのB意は麻酔薬による手術特有のもので、ほんとうのB意ではないといって、なんとかがんばるようにとぼくを励ました。B意にさえ、本物とニセモノがあるのだった。手術台に横たわったぼくは人間社会全般にはびこる欺瞞と真実の総量を思った。オレオレ詐欺を引き合いに出すまでもなく、おそらくは真実を圧倒するとてつもない量の欺瞞が世に渦巻いていることは間違いのないところだ。あるいは真実のないところにも、果たして欺瞞は単独で存在することが出来るのだろうか? 表があるからこそ裏があり、たとえば美川憲一が存在しないで、コロッケが存在することが出来たのだろうか? とさらに考えを進めようとしたぼくだったが、しかしさらに強まる偽のB意にぼくはほとんど思考不能状態に陥っていた。

 カーテンを開けて医師が入ってきたとき、ぼくのB意はすでに暴発寸前に思われた。ぼくは平静を装って、あくまでも大ではなく小の方を想像させるような気軽な感じで、医師になにげなく「トイレに行きたいんですが」と言った。欺瞞は欺瞞を呼ぶものなのだと自身に言い訳をしつつ。しかし医師は騙されなかった。

「我慢してください。行っても出ません」

 とこの医師にしては、かなり明確にぼくの要望を拒絶した。ぼくのB意は弱まりはしなかったが、真実に欺瞞が怯んだ気配があった。

 ぼくは医師の言葉を信じて我慢した。じっさいぼくは手術が終わったばかりのクリーンな患部を最悪な形で汚染して、医師から再手術を宣言されることを恐れた。

 ところで欺瞞的なB意はどこか本質的な部分でホンモノのB意と違っていて、なにかしらフェイクっぽい感覚があった。しかしフェイクだから我慢できるかというと、それはまた別な話で、B意がB意であることには違いはなかった。B意が必要に迫られているために生じていても、必要でないのにたまたま副作用として(それは例えば右を押したら、左が出っ張るような事情で)生じていても、B意は紛れもなくB意でありつづけるのである。そこが中国製の偽ルイ・ヴィトンと違ってB意のような形のない感覚やら感情やらのやっかいなところだ。

 今振り返ってみて、今回の手術で一番辛かったのは、このB意を我慢している時間帯だったとおもう。なんとか競り勝ったと安心しかけていたところが、ロスタイムに予想外の猛攻を浴びて肝を冷やしたような気分だった。

 そして偽のB意は自身が亡霊であったことを認めるように、ゆっくりとぼくの身体から出て行ったのだった。


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by bbbesdur | 2017-07-21 20:05 | health care