#527 もしも世界からニワトリがいなくなったら

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 もしも地球上からニワトリがいなくなってしまったら、世界中の朝食が混乱する。人間のことだ、ウズラの飼育と品種改良でなんとか危機をしのぐだろう。あるいはそのうちダチョウとウズラを強引に(どうやって?)交尾させて、中間ぐらいのおおきさの卵を生む怪鳥ダチラが朝食メニューとして定着するかもしれない。
 じっさい目玉焼きはあの一個の黄身と白身の比率と大きさこそが全世界で朝食として愛されている由縁であって、大食漢のおおい米国ですらも、朝食の目玉焼きは二個までが通常である。やはり朝から目玉が二つ以上あるのはマズいのだ。コレステロールの問題は別として、 蜘蛛ではあるまいし三つ目以上は新しい一日のスタートにふさわしくない。ウズラの目玉焼きは百目鬼のような醜さ極まりないデコレーションになってしまい、人々は朝のテーブルに悪夢を見ることになるだろう(そもそも、だれが名づけたのか、よくよくかんがえてみれば「目玉焼き」という名称そのものが、かなりグロテスクではある)。
 さらに、もしも世界からニワトリがいなくなったら、100%の確率でケンタッキー・フライドチキンは明日倒産する。もちろんカーネル・サンダースはプライベート・サンダース、よくてサージャント・サンダーズまで降格だ。
 もしも世の中からニワトリがいなくなっても、わたしはがんばって生きてゆきたい。たしかにおでんの、あの絶妙な色のついた卵がなくなるのは寂しい。でもカツ丼に卵がなかったら、トンカツ定食ですませることができるくらいの柔軟性はある。親子丼はたしかに厳しい。でも普通の白ごはんとおもえば、梅干しとタクアンさえあればなんとかなる。53年も生きてきたのだ、そのくらいの世界の変化には対応しないと。
 でも、ほんとうはどうしても困ることがあるのだ。ニワトリがいなくなったら、絶望のあまり川に飛び込んでしまうかもしれないくらいの重大事が。
 じつはニワトリがいなくなると、毛ばりが巻けなくなるのだ。
 フライフィッシングという釣りのジャンルのなかにあって、20世紀中盤に人気が定着したのが、ドライフライ・フィッシングといって、毛ばり(フライ)を水面に浮かべて釣る方法である。見えている毛ばりに鱒が喰らいつき、その瞬間に合わせなくてはならない。一瞬の駆け引きに伴うスリルと興奮に満ち満ちていて、釣りが漁ではなく、遊びであることの証左そのものの釣法である。そしてその毛ばりが基本的にニワトリの羽毛で作られるのだ。この20年ほどは鴨のお尻の毛の人気に押され気味ではあるが、万能性と耐久性からニワトリの羽毛を好む釣り人ははるかにおおく、いまだに毛ばり材料としてメジャーの地位を失っていない。
 わたしの人生はフライフィッシングと同義なので、ニワトリが絶滅したと同時に、わたしの人生も終わるのだ。フライフィッシングができなくなってから以降、もしも生きていたとしたら、それはまさしく余生と呼ぶにふさわしい日々となるだろう。
 渓流釣りは春が来るまでは禁漁だから、その間シーズン中にできない、いろいろなメンテナンスをする。なかでも虫の湧きやすいニワトリの羽毛の日干しはハウスダスト・アレルギーのわたしにとっての重要な冬の儀式であり、おなじ理由で古本を日に晒すように、オフシーズンにこれをやっておくと、いざ毛ばりを巻くときにクシャミが出ない、ような気がするのだ。
 というわけで、周回遅れで元旦に始まった大掃除が今日で終わり、ようやく新年を迎えられる態勢になった。明日は、朝からお屠蘇か、雑煮か、おせち料理か、といいたいところだが、新しい年も、はや7日を過ぎて七草粥すら終わってしまっているのだった。いや、しかし、それでいいのだ。目玉焼きがあるじゃないか。新年こそは、目玉焼きでスタートしなくては、真のふらい人とはいえないのである。
 with FujiFilm X10 2012/1 自宅庭(中央下の白いのが雄鶏の、そのふたつ左の白黒の縞模様のが雌鶏の、それぞれ首から下の羽毛。縞模様のひとつ上にある女性の長い髪のようなグレー、あるいはおなじ列の右側に並んだ茶色いふたつが腰の辺りの羽毛。昨年はこの腰のあたりの羽毛が女性のファッションとして流行したのです)
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by bbbesdur | 2012-01-09 00:04 | flyfishing