2011年 03月 05日
#398 低潔な精神(朝日新聞のカンニング記事について)
カンニングの方法は時代とともに変遷こそすれ、受験生のカンニング精神(というものがあるとすれば)は中国の科挙の時代からなにひとつ変わってない。他力でズルをする、というじつに子供っぽい精神である。それをメディアがあそこまで書き立てることはないんじゃないかとおもったから前回の記事にした(テレビはいっさい観ないからわからないが、テレビでの報道がさらにエスカレートしたバージョンであったたことは想像に難くない)。
今回の学生は結果的には時代が要請したスケープ・ゴートだったとおもう。揃いもそろって4大学の監督官の眼が節穴だったことは確かだが、責任そのものはもちろん彼自身にある。仕方がない。彼の復活に期待したい。それはいい。
でも記事を書いて寝た翌朝の朝日新聞を読んで、ぼくは自分の眼を疑った。
警察の捜査方法には問題があって、受験生はそれほどおおきな犯罪を犯したのだろうか? といった内容が第一面に載っていた。
呆れた。
事を大げさにした張本人は、アンタたちメディアじゃないの! 記事の掲載方法について警察が指定するはずもなく、それを判断するのがメディアに与えられた役割でしょ。アンタたちそれでメシ喰ってるんでしょ。それを警察の方法に誤りがある、なんてよくもいえたものだよ。スミマセン、我々にも責任の一端がありました、くらいのことがなぜいえないのか! いったん雲隠れした受験生がほんとうに行方不明になって、万が一のことがあったなら、警察より、メディアの責任がより重かった。組織的犯罪かどうかが不明なまま(結果的にはひとりの子供の失敗を)、大犯罪のように書き立てたアンタたちの責任だった(そもそもいまだに真相が完全に解明されたわけでもない)。
今回の朝日新聞に代表される大人たちの醜さ極まる韜晦術に比べたら、一か八かのカンニングのどれほどすっきりと潔いことか。社会のなかでわるさをするのではなく、社会に対してわるさをする自身の立場が明確である。たとえそれが高潔ではなく、低潔な精神であるとしても。
with E410 14-42/3.5-5,6 沖縄 2007/11