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#385 新宿2丁目の悲劇

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 来年の同期会に出席する朝、自分自身に読ませるため、以下を記しておく。

 ぼくはヘアスタイルを変えたのだった。かなりの長髪で前髪が鼻の先まで伸びていて、すこしばかり女性っぽい。でも、わるくはない。セクシーだ。似合っている、ような気がする。髪が急に伸びたことについては疑問におもっていない。バッグのなかで携帯電話が鳴っている。とても出られる状態にはない。具合がわるいのだ。胃の調子が芳しくない。2度鳴って、3度鳴った。出ることができない。4度目が鳴った、なにかあったのかもしれない。ベッドから起きだし、時計を見た。正午前。ということは6時間ちかく眠ったわけだ。バッグのなかの携帯電話は鳴りつづける。やはりなにかわるいことが起きたのだ。吐気をこらえながら電話に出た。
「もしもし」
 自分の声がかすれている。
「オレだ、Gだ」
 切迫した声だ。やはり。
「どうした?」
「デイパックがないんだ」
「盗まれたのか?」
「いや、忘れたんだ。bbb、2軒めの店の名前わかるか?」
 まるで覚えていない。そういえばGもいた、というくらいは覚えているのだが。
「なにが入っている?」
「2泊3日のぜんぶだよ」
「ぜんぶか。それは困った」
「Oの電話番号わかるか?」
 Oはぼくをいまの部署に引っ張ってくれた男だ。あのとき、ぼくたちは20代だった。昨年Oは早期退職の応募に志願して会社を辞めた。2件目はそのOに連れられて行ったのだった。 六本木交差点にある俳優座の裏あたりではなかったか。しかし店の名前は、まるで記憶にない。
 ぼくはGにOの電話番号を教えて、風呂に湯を溜めた。湯舟に浸かったら、さらに吐気が増し、頭が痛くなってきた。
 名古屋から出てきたGは今日、会社の釣り仲間Iさんと自転車ツーリングの約束をしているはずだ。それを知っていたから、3軒目を無理に誘わなかったのだ。そういった恩情を、かつてぼくたちは「武士の情け」と呼んでいた。
 それにしても貴重品は入れてなかったのか、財布は大丈夫だろうか? いずれにしても今日のツーリングは中止だろう。
 湯舟に浸かると血行が促進されて、余計に具合がわるくなるのではないのか? そうとしかおもえない気分のわるさだ。おどろいた。百万遍二日酔の朝を迎えながら、こんな単純な科学にいまさら気づく自分の愚かさに。今日以降、金輪際、死ぬまで酒は飲まないことに決めたから、これからは用のない知恵だとしても。
 吐気をこらえながら、Gに電話した。Gはなかなか電話を取らない。心当りに片っ端から電話しているだろうから、通話中なのかもしれない。しばらくしてGが電話してきた。Oは電話に出ないという。では幹事のKはどうだ?
「それがさあ、Kに電話したら切りやがって」
「昨日Kとなにかあったのか?」
 名古屋からわざわざ同期会のために上京するGのために、Kは会費から「御足代」と称して5,000円を捻出したが、そのお礼をいうのを忘れたのだろうか。
「いや、べつに」
「よしわかった。ちょっと待ってろ」
 Yusukeに電話した。出ない。Mに電話した。Mは20年以上前に会社を辞め、変遷を経た後、とうとう昨年独立して会社を興した男だが、同期会にはきっと参加して、一昨年は新宿2丁目で明け方まで飲んだ。どんな偶然なのだろうか、昨日もたまたま新宿2丁目で朝までふたりでいっしょに飲んでいたのだが。大学のサークル仲間のY田も、まるで申し合わせたように2年前とおなじように店にいた。電話したからかもしれないが。なにもかもが2年前と変わらない。そういえば昨晩は店の前で火事騒ぎがあって、それだけはほんとうに偶然だ。
 きっとぼくの電話がMへの起床ラッパになる。寝起きの不機嫌な声を聴くのはイヤだが、Gのためだ、仕方がない。
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「はい、Mです。bbbさんですか。たいへん恐縮ですが、ただいま打ち合わせ中でして」
 独立とはなんと骨の折れることだろうか。
「急ぎだ。いいから、そのまま聞け」
「かしこまりました」
「Gが一切合切入ったデイパックを2軒目の店に忘れたらしい。店の名前はわかるか?」
「ああ、それでしたら、HRです。みなさんよくご利用になられるようですよ」
「わかった。助かった。仕事がんばってくれ」
「はい、了解いたしました」
 HRをグルナビで調べた。そうそう、たしかにここだった。
 すぐにGに電話した。しかしまた繋がらない。地下鉄で六本木に向かっているのだろうか。しかしあれだけ密集している飲食店から、HRを探し当てるのは、ほとんど不可能におもえる。
 すこししてGが電話してきた。さすがにいろいろと手を尽くしているのだろう、息切れしている。
「わかったぞ」
「ありがとう。助かった」
 そうだ、この声を聴きたくて、ぼくは吐気をこらえて、奮闘したのだ。
 電話を切ったら、Yusukeから電話が返ってきた。
「だいじょうぶだ、解決した」
「相変わらずGらしいなあ。成長しないね」
 ぼくははげしく同意した。
 電話を切ってからしばらくの間、ぼくは窓辺に坐って鉢植えの影を見つめていた。シクラメンの花影がゆっくりと部屋のなかをうごいていった。
 日が陰り始めたころ、Mが電話してきた。
「さっきは、わるかったな」
「いやいや、それはいいけど、見つかったかバッグ?」
「いや、まだ店は開いてないだろう」
「そうだな。しかしアイツほんとアホだな。学習能力ゼロだ」
 ぼくははげしく同意した。
「しかしオマエ、あの時間によく仕事ができたな」
「10時半にアポがあってな、たいへんだよ、極小企業は」
 Mの口調にふざけたニュアンスはなかった。
「そうか」
「じつは今朝オマエと別れてから高尾山まで行った」
 ぼくは新宿でMと別れて、小田急線の始発各駅停車に乗った。坐ると同時に熟睡して、ながいトンネルのような眠りから醒めると、そこは降車駅であった。川端康成級の驚き、モーゼ級の奇跡だ。
 しかしMの自宅は上野のはずで、眠っていたとしても、どんな複雑な経路を辿れば高尾山まで乗り越すことができるのか。
「それがどうして京王線に乗ったのかがわからないんだ」
 事態はきわめて深刻であった。ぼくはMの不安を払拭するために、冗談めかして
「昔、付き合っていた彼女の家が明大前にあったとか」
 といった。
「いや、吉祥寺だった」
「午前中のアポは?」
「神田」
 深層心理学を一から学ぶような手間をかけるくらいなら、酒を止めた方がいい。
「さっきGのことをアホといったよな」
「記憶にないな」
 ぼくたちは、しばらく笑いを止めることができなかった。体内の残存アルコールが躁状態を演出する生理科学現象であり、この歳でこんな事態になっているなんて、ほんとうは笑っている場合ではないはずである(じっさいこれは笑話ではない。もしかすると書き方がわるいせいでそう読まれる方がいるかもしれないが、これは悲劇なのである)。
「またな」
「ああ、じゃあな」
 Mはぼくが酒を止めたことをまだ知らないでいる。新宿で彼と飲むことは、もうこれから先ありえないことなのだ。来年の同期会で、ウーロン茶を注文するぼくを見て、きっとMは悲しむだろうが仕方がない。こんな愚かなことをつづけて生きてゆくわけにはいかない。
 そんなこんなで、はや日も暮れた。やたらと空が赤いが、花粉か黄砂か。
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 夕空の美しさに我慢できずにカメラを持って外に出た。空気は冷たいが、そのなかにはっきりと春の気配があった。
 写真を撮って、自宅にもどると娘の自転車カバーが風に吹き飛ばされていた。カバーをかけながら唐突に閃いたことがあった。まちがいなかった。なぜいままで気づかなかったのか。 
・急いでいるはずなのに、Gはなかなか電話に出ない☞携帯電話がすぐに取り出しにくい状況、体勢にある。
・しかしすぐに掛けなおしてくる☞電車内ではない。着信には気づいている。体勢を整えてから、あらためて電話してきているようにおもえる。
・街中から掛けている風ではない。☞人や車の喧噪がない場所から掛けている(室内でもなく、電話から聴こえてくる音にはどこかしら、のどかな風情がある)。
・息切れしている☞病気じゃなければ、なにか運動らしきことをしている。
 まちがいなかった。 
 Gのやつ、店の探索をオレに任せて、自分は自転車でツーリングしてたんだ。人を叩き起こしたあげく、同期仲間を心配させておきながら、自分は甲州のどこ吹く風を切りながら、Iさんと。まったく、ばかばかしいったらありゃしない。金輪際、いっさい、助けてなんてやらない。3月にいっしょに行く予定の初釣りでは宿でビールの1本でも驕ってもらう。毎年あそこは雪も残っていて寒いから、熱燗の1本も追加して、断然、驕ってもらう。
 with GRD3

P.S.業務連絡
沖縄営業所のNANとYKOちゃんへ
Yusukeという同期の男が2月7日(月)に沖縄営業所に行って、N田所長と同行するから、夜、一杯付き合ってやってくれ。いい男だ。性格のことだ。
by bbbesdur | 2011-01-29 21:12 | around tokyo